第二章 幼児期

幼児の頃私は“チチちゃん”と呼ばれていた。何故か今言い返してみると気恥ずかしい。

私の名前、“にしぐち よしゆき”には母音の“i(い)”の行が連続して出てくる。

言葉を覚え初めの頃の私にはこれがなかなか正確に発音できなかったらしく、自分の名前

を“にくにく ちち”と紹介していたそうであるが、残念ながら私の記憶には無い。

私が育ったのは、大阪市阿倍野区松虫(まつむし)と言うちょっと変わった地名ではある

が、高級住宅街“帝塚山(てづかやま)”と下町“天下茶屋(てんがちゃや)”とに隣接

する、中途半端に閑静な住宅街である。近くには“聖天山公園”や空襲で更地になったと

思われる“ハラッパ”などが沢山あり、遊び場所には苦労したことが無い。

幼稚園は“大阪基督女子短期大学付属聖愛幼稚園”、良く覚えていたものだこんな長い名

前を.....、担任は“おだ とよ先生”、先生の名前も今書いていて思いだした。

キリスト教の幼稚園だけにクリスマスの行事は大掛かりで、何日もかけてお芝居や歌の練

習をした記憶がある。どういう訳か私がその年の発表会での“とり”である“独唱”をす

るはめになった。“赤い帽子白い帽子”と言う歌をピアノ伴奏でたった一人で歌うのであ

る。確かひと月ほど前から特訓が始まったように記憶している。2番までの歌詞を完璧に

覚えるまで.....。さてさて本番当日、自分の出番までの楽しい出し物に参加したり、見物

したり、いよいよ私の出番になった。練習では完璧に唄っていたのでなんの問題も無

かった。1番を唄いきり間奏を待って2番に「♪あかいぼ〜し、しろいぼ〜し、なかよし

さん♪」.....ここで私の目に入ったのが、私以上に緊張してこちらを見ている、おばあち

ゃんと両親である。「あっ!」この後の歌詞がどうしても思い出せない、出てこない、頭

の中が真っ白である。歌詞を初めから頭の中で思い出そうとする、順に辿っていった。や

っとのことで今忘れている部分まで来たが、伴奏はすでに先に進んでいる。何とか間に合

わせなくては.....で、伴奏に追いついたのが一番最後の「♪なかよ〜しさん♪」であった。

このつらい恥ずかしい経験は私がかなり大きくなるまで、いやごく最近までトラウマとし

て残るのである。