冷たい雨 ―1―


 スナック『ボン』の店内、カウンターの中では女主人のイコが鼻歌交じりにグラスを磨いていた。その姿を認めた両国とオヤブンが顔を見合わせて

「ってことは――今日の飛葉の相手はイコじゃない……ワケか」

「んじゃ、誰なんだろな」

と思案顔を浮かべる。そんな二人にお構いなしに世界、八百、チャーシュー、ヘボピーの4人はテーブルにつく。水を満たしたグラスを運んできたイコの妹の志乃ベエが飛葉の不在をメンバーに問うたが、イコが飛葉に淡い恋心を抱いていることを承知している彼らは、飛葉は居残りだなどとごまかした。コーヒーが運ばれた後、彼らはイコと志乃ベエの耳に届かないように顰めた声で先刻の飛葉の様子を囁き合う。

「飛葉のあの浮かれた様子じゃ、デートに間違いねぇと思ったんだがな……」

「相手は誰だよ。イコはここにいるじゃねーか」

「イコ以外の女ねぇ……」

「あの女っ気のない野郎に、よくもまぁ、そんな甲斐性があったもんだな」

 荒っぽいばかりの修羅場を数え切れないほど踏んではいても、任務から解放された時には実際の年齢よりも遙かに幼い笑顔を浮かべる飛葉は、未だに色気よりも食い気のほうが勝っているように見え、似合いの年頃の少女といるよりもワイルド7のメンバーや昔の悪仲間と連んでいるほうが多い。それ故、現場から撤収してから散開するまでの飛葉のそわそわとした、逸る気持ちを抑えきれないことが手に取るようにわかる態度が腑に落ちず、彼らは好奇心と野次馬根性と僅かばかりの親心に似た気持ちを抱きながら、メンバー最年少の飛葉を話のネタにしていた。

「デートってもなぁ……泥まみれだったぜ、ヤツの隊服はよ。顔も煤けていたしな」

「着替えに戻るくらいの頭はあるだろうよ。飛葉もそこまで馬鹿じゃねーはずだしな」

「だといいんだけどよ。なんたって、あの飛葉ちゃんだからなぁ……」

「ま、飛葉の歳なら多少の赤っ恥もいい経験になるさ」

他のメンバーの心配をよそに、八百がいかにも気楽な口振りで言う。

「今のうちに女にも色々あるってのを身をもって知る。こっぴどく誰かに振られるのも、相手にされないのも、見当違いのことをやらかして呆れられるのも、今の飛葉なら格好の人生勉強になるだろうぜ」

「八百――お前さん、飛葉ちゃんが振られるって決めてかかってないか?」

両国がニヤニヤと笑ながら言うと、八百は

「当たり前だ。あんなガキが色恋沙汰で浮き足立つなぞ、10万年早ぇ」

当然だと言わんばかりの態度をとる。

「よく言うぜ。何だかんだと偉そうなこと言ってる割に、いっつも振られてばっかなのは、どこのどなたさんだよ」

チャーシューが鼻で笑いながら言うと、その言葉に乗じるように他のメンバーが野次を飛ばし始めた。そしてついには飛葉のデートの首尾を巡って賭が始まったのだが、誰も飛葉の恋路の行方に明るい未来を見出そうとしなかったために勝負はお流れになり、それと共に話題も違う方向へと移っていく。話題となるのは任務の間中研ぎ澄まし続けてきた神経を宥めるような他愛のないものばかりで、何も考えずに笑うことが疲れた心身を癒す最良の手段だというように彼らは快活に語らい、笑い合いながら夕暮れまでのひとときを過ごしていた。

◇◇◇

 ガラスのショーケースが並ぶ店内から出た飛葉は、大きなため息を一つついた。強盗にでも荒らされた後であれば、高級な貴石ばかりを扱っている宝石店だろうがどこかの国の王様の屋敷だろうが、ワイルド7の飛葉として振る舞うこともできる。けれど私的な、しかも慣れぬ女物の装飾品の買い物となると勝手が違う。普段扱っている鍛え抜かれた鋼とは明らかに異なる、煌びやかな光を反射する華やかな細工を施された貴金属は飛葉の理解の範疇を越えていた。高価そうだとか、細工が凝っているということくらいならわからないでもなかったが、それが果たして飛葉がこれから訪ねようとしている人物の好みに合うものなのか見当もつかず、飛葉は皮のパンツのポケットに両手を押し込んだまま、ガラスケースを眺めるばかりだった。

 「お客様、どういったものをお探しですか」

不意に後ろから声をかけられ、飛葉が驚きを隠して振り向くと40代半ばの紳士然とした店員がいつの間にか傍にいる。飛葉は男を渡りに船だとばかりに、埃まみれの隊服姿がふさわしくないことを承知で入店するに至った用件を早々に済ませようと焦る心を押し殺し、できるだけ平静さを保ちながら――けれど消え入りそうに小さな声で

「その――よく……わからないんだ」

とだけ言った。


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