早春賦-1
「おい、世界。悪りぃけどよ、風呂貸してくんねー?」
と、土埃で煤けた顔をした飛葉が言った。
飛葉がリーダーを務めるワイルド7のメンバーは、ここ数日間、ある任務にかかりきりだった。建設現場に建てられていた仮小屋に立てこもった犯人を始末する際、両国がダイナマイトを使用し、八百やオヤブンたちと共に敵の意識を引きつける役をしていた飛葉は、爆破の際に舞い上がった土や泥を頭から被ってしまい、任務が終了した時にはまるで、泥遊びに興じていた子どものような有様になっていた。普段から敵の中に真っ先に飛び込む飛葉の隊服のいたるところに泥がつき、顔にも火薬が爆発した時に受けたと思われるかすり傷が無数にある。現場であらかたの汚れを落としているとは言え、その姿はお世辞にもまともなものだとは言えたものではない。
「お前は俺の部屋を、泥だらけにする気か」
「ケチケチすんなよ。この間、仕事が終わってすぐに風呂屋に行ったんだよ。そしたら番台のオヤジは迷惑そうなツラするし、風呂ン中じゃ他の客が胡散臭そうな目で見るしよ。ほら、あちこちに傷とか痣とかあるだろ? それが気になるらしいんだよ」
本人は考えた上で行動しているつもりなのかもしれないが、他のメンバーから見れば後先のことを到底考えていはいないようにしか思えない飛葉は、メンバーの中で最もかすり傷を負うことが多い。おそらく今回の任務でも、身体中のあちこちに青痣を作っているだろうことは、世界にも容易に想像できた。泥だらけ、埃まみれの上に、あちこちにかすり傷だの青痣のある客は、風呂屋にとっても迷惑なものであることは明白である。世界は諦めを多分に含んだ声で
「しかたないな」
と言った。その言葉に飛葉は短い言葉で礼を言い、世界の少し後をついて歩いた。
◇◇◇ 世界が風呂から上がると、飛葉は畳の上に大の字になって眠り込んでいた。世界が貸した服は飛葉には少々大きいため、決して細いとは言えないはずの四肢が華奢なものに見えてしまい、実際の年齢よりも少し幼く見える姿が更に子供じみて見える。
「飛葉、風邪をひくぞ」
世界が飛葉に声をかけたが、任務の緊張から解放された飛葉は、身じろぎ一つせずに寝息を立てている。
彼らの任務はいつも命がけのものだ。だから任務中は全ての神経を研ぎ澄まし、自分や他のメンバーの生命を守ることに集中しなくてはならない。ワイルド7に与えられる任務の全てが、一瞬の気のゆるみが死に直結しているほどの危険をはらんでいる。それだけに、任務から解かれた瞬間に覚える開放感や疲労は大きい。それは世界自身も感じていることではあり、飛葉が深い眠りに落ちてしまうのも十分に理解できた。幼子のような表情で眠る飛葉を起こすことがはばかられた世界は、押入から引っぱり出した掛け布団を飛葉にかけ、自分は毛布にくるまって仮眠をとることにした。
先に目を覚ましたのは飛葉だった。日が暮れてどれくらいになるのだろうか。部屋の中は既に暗くなっていた。飛葉は毛布にくるまって眠っている、彼よりも遥かに年長の仲間の姿を認めると、その身体を容赦なく揺さぶった。
「おい、世界。起きろよ。もう夜だぜ」
飛葉は世界が瞼を開いたのを見て言った。
「おい、腹減らねーか?」
世界は右手を額に当て、呆れたと言わんばかりの口調で
「お前……起きてすぐに腹が減ったなんて、ガキ臭いことを……」
未だ冷め切らぬ眠気を含んだ世界の声が気に入らない飛葉は、空腹から生まれる不満を隠そうともしない調子で言う。
「しょーがねーだろ? 腹減ってんだからよ」
「今、何時だ?」
「げっ、もう10時過ぎてるぜ。これじゃ、食いもん屋も閉まってるな……。おい、世界。ここに何か食うもん、ねーのか」
「羊羹ならあるぞ」
「そんなもん、腹の足しになるかよ」
子ども扱いされたことに、そして空腹を満たす食糧がない事実に、飛葉はすっかり臍を曲げてしまっている。世界はそんな飛葉を無視するかのように立ち上がると、上着に手を通し、
「おい、飯を食いに行くぞ」
と声をかけて戸口へと向かう。そして飛葉は慌てて、その後を追った。
◇◇◇ 陽光には春の気配が感じられる季節になってはいた。しかし夜の闇の中には未だ冬の気配が残っている。微かに白い息を吐きながら、二人は夜道を歩いていた。ふと、飛葉が足を止める。それに気付いた世界が数歩離れた場所に佇んでいる飛葉に声をかけた。
「おい、世界。沈丁花の匂いだ」
飛葉が世界に駆け寄りながら言った。
「沈丁花?」
「えーっと、春先に一番最初に咲く花だってよ。外側が赤くて、中身が白くて小さい花なんだけども、匂いは強くて……」
「お前な……花は匂いじゃなくて香りって言うもんだ。それにしても、よく知ってるな」
世界が感心した様子に飛葉はすっかり気を良くしたらしい。誉められた子どものような笑みを浮かべて世界を見上げる。
「八百に教えてもらった。花の名前くらい覚えろってさ。女をくどく時に使えばいいってよ」
飛葉はそう言うと、何かを思い出そうとするように視線を宙に馳せた。
「……えーっと、そうだ、思い出したぞ。『君の魅力は沈丁花の花のように、遠くからでも感じられる』って言えば、イチコロだって言ってたぜ」
肝心の口説き文句の部分を、全く抑揚のない調子で語る飛葉がおかしくて、世界はつい吹き出してしまう。
「何、笑ってんだよ」
「お前な……、そういうセリフは惚れた女の前だけにしろ。俺に言っても仕方ないだろう」
「へっ。女っ気のないあんたにも教えてやったんだ。感謝しろよ」
「花で腹がふくれるんだったら、このまま置いていくぞ」
そう言って再び歩みを進めた世界の後を、飛葉は小走りで追いかけた。
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