残像 1


 「ったく、あれが警視正に対する態度かね」

憤懣やるかたないといった口調でオヤブンが言った。彼は任侠の世界で生きていたため、目上の者に礼を欠いた態度で接する警官が気に障るらしい。地獄の底からやってきた警官と評されているワイルド7が、警察組織にとって歓迎されない存在であることは、彼自身も嫌というほど承知してはいた。しかし、それでも人として守るべきものがあるというのが、彼の持論である。そのため警察の人間と接する度、彼は不愉快な思いを抱いてしまうのだった。そんな彼の抱える感情は全員が感じているものだが、誰も敢えて口に出そうとはしない。何を言っても無駄であるということはわかりきっている。だから、皆沈黙を守っていた。

「オヤブンよ。今さらなことを言ってんじゃねーよ」

わかっているだろうと言いたげに、両国がオヤブンの肩を叩く。

「ホシを引き渡しちまえば、俺たちはお役ご免だ。さっさと帰ろうぜ」

八百の言葉を受け、飛葉、世界、ヘボピー、チャーシューも出口を目指し、その歩調を早めた。

 「人を呼びつけといて、今日は忙しくなったから明日来いっていうのは、どういうことよ!」

「仕方がないだろう。重要事件の犯人が今しがた連行されて、こっちだっててんてこまいなんだ。バカな女の相手をしてる暇はないんだ」

「なんですって! もう一度言ってごらん!!」

「ああ、何度でも言ってやるさ。いつもいつも男に騙される女の相手をしてられるほど、警察は暇じゃないんだよ」

「私たちの税金で食わせてもらってるクセに、偉そうに!! 公僕なら少しは、らしくしたらどうなのよ!!」

「うるさい!! とにかく今夜はあんたらの相手をしてる暇はないんだ! わかったら、さっさと帰るんだな」

 刑事と思しき大柄な男に肘を掴まれ、刑事課に続く階段から女が一人降りてきた。よく通る声と、彼女よりも遥かに体格の良い男を相手にしても微塵も臆することのない態度は、ここでは異質だと言える。

「離しなさいよ!!」

そう言うと、女は勢いよく刑事の手を振り払い、ハイヒールの音を響かせて、7人の男の行く手を遮る形で石造りの廊下に降り立った。平均よりも少し小柄で、ほっそりとした身体に、明るい色の軽く波打った長い髪が揺れている。どちらかというとはっきりとした目鼻立ちの中でも、強い意思を秘めた黒い瞳がとりわけ印象的な女だった。女は男たちの前を横切るようになったのことに気付いたのか、軽く目礼をして出口に向かおうとしたが、次の瞬間には慌てた様子で彼らのほうに向き直し、鮮やかな微笑みを浮かべる。

 懐かしそうな表情で女が口にした、聞き覚えのない名前に世界だけが反応した。

「美奈……か」

「久しぶりね。嬉しいわ。覚えててくれたなんて」

7人の男たちの最後方にいた世界に歩み寄る彼女のために、6人は道を譲る。

「何年になる?」

「そうね……15年……かな」

世界の言葉に、女は少し間を置いて答えた。

「そうか……」

美奈と呼ばれた女と、彼女と視線を合わせる世界の間に親密な空気が流れた。それは、ごく親しい間柄の男と女の間にだけ存在する種類の甘やかで、柔らかなものだった。

「どうして、こんな所にいるんだ?」

世界が尋ねた。

「知り合いを引き取りに来たのよ。正確に言うと知り合いの亭主がケチな詐欺で捕まったのよ。知らない間にその娘、詐欺の片棒を担がされてたもんだから、一緒に引っ張られちゃってね。事情聴取だけで帰れる筈だったんだけど、何か、急に大きな事件の犯人が連行されたとかで、こっちは後回しにされて……」

美奈が語る話に耳を傾けながら、世界が煙草に火を点けた。すると女は流れるような動作で、世界が食わえている煙草をかすめ取り、ゆっくりと吸う。世界は女のそんな行動を意に介することなく、2本目の煙草を取り出し、火を点ける。

「まったく、嫌になっちゃうわよ。さっさと引き取りに来いとか言っといて、明日にしろなんて言われちゃって……」

紫煙を吐いた美奈が言う。

「ああ、悪いな。犯人を連れてきたのは、俺たちだ」

世界の言葉に、美奈は呆れたような表情を浮かべた。

「あのね……私は今、そんなつまんない冗談につき合えるような気分じゃないの」

女が深く息を吸うのに合わせ、煙草の火が明るさを増す。

「そう言えば、どうしてこんなとこにいるのよ? 何か悪さでもしたのね? そうでしょ?」

「いや……俺たちは仕事で……」

世界の言葉など端から信用していない口調で、女が早口で畳み掛けるように言葉を継ぐ。

「何言ってんの。今の私には冗談につき合えるほどの余裕はないって言ったでしょ」

人差し指を世界の胸に突き立てる仕草は、まるで母親か教師が子どもを詰問する時の動作のようで、5人の男たちは密かに吹き出してしまった。ただ飛葉だけが、少しばかり怪訝な表情で世界と美奈を眺めている。

「いい年して、暴走族の頭やってんじゃないでしょうね?」

美奈が他のメンバーを見回しながら言うと、美奈の言葉に八百やヘボピー、オヤブン、両国、チャーシューの5人はこらえていた笑いを吹き出し、遠慮のない笑い声を上げる。

「美奈……俺たちが暴走族に見えるのか?」

「ええ、どっから見ても、立派な暴走族に見えるわよ。ジャンパーだのグローブだのを揃えたりした、いかにも悪たれ顔が雁首揃えてるんだもの。誰がそう思っても不思議じゃないでしょ」

世界はお手上げだと言わんばかりに上を向き、大げさに溜息をついてからジャンパーの襟の裏側につけられているバッジを美奈に示した。

「本物?」

「ああ。俺たちは警官だ」

美奈は彼女と世界を囲むようにして立っている6人の男たちを見回し、

「この人たちも?」

と言った。その問に答えるかのように、それぞれが襟の裏側のバッジを見せるのだが、美奈の顔から不審げな様子は消えない。

「みんな、悪そうな顔してるわよ」

「ああ、俺たち7人は全員悪党だ。だが悪党にしかできない仕事も、警察にはあってな」

と言う世界の横から、他のメンバーが思い思いに口を挟み始めた。

「俺たちよりひでぇ悪党を退治するのが、仕事でね」

「そう。毒をもって毒を制すってやつなんだよな」

「おまけに警察の鼻つまみ者でね」

「誰もしたがらない仕事ばっか、まわされてよ」

「今日もね、せっかく犯人を連れてきてやったってのに、用が済んだらさっさと帰れって、追ん出されちまってね」

世界と彼の仲間の言い分を聞いていた美奈は、しばらく何かを考えているようだったが、やがて静かな表情と口調で念を押すように世界に問うた。

「今、ホントに悪さしてないんでしょうね」

「ああ、やってねぇよ」

美奈の口調と同様に静かな世界の言葉に、彼女なりの真実を見つけたのか、

「そう。なら、いいのよ」

と、言った。


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