七夜目の真実―Side of others 6th―
「そりゃぁ、ただの偶然じゃねぇのか」
世界が寿司屋での件を一通り説明したすぐ後にオヤブンが言った。
「その可能性のほうが高い。それに俺は、いい歳をしてサビ抜きのカッパ巻を食う人間を、飛葉以外に知らんだけだからな」
「しかしよ、俺たちの誰かしらがここんとこずっと佐倉川を張ってるんだぜ? けど、あの家じゃ奴以外の人間を見たこたぁねぇ。これは、確かだ」
「まぁな。それに大の大人を隠しておく場所だったら、武田ン家よりも佐倉川の家のほうに可能性がありそうだよな」
「俺はよ、武田はシロだと思う」
ヘボピー、チャーシューに続いて両国が静かに言葉を継ぐ。
「武田の奴が未だに悪さでもしてるんだったら、試験用の参考書だのをあんなに買い込んじゃいねぇと思うんだよ。前科(まえ)はあっても……いや、あるから余計にマジに堅気になろうとしてるような気がすんだ」
「確かに働きぶりは真面目なもんだな」
「佐倉川の野郎だって、会社には真面目に行ってるぜ」
「何の面白みもなさそうな奴ほど、臭せぇってのもアリだな」
「善人ぶってる奴ほど、質が悪りぃってね」
「佐倉川のヤサに乗り込むのに文句はねぇ。だがな、世界。その前に聞いておきてぇことがある」
仲間たちの同意の言葉を切るように、八百が言った。
「あんたを動かしてる根拠は何だ」
「どうもな、臭うんだ」
世界がゆっくりと答える。
「俺にも確証はない。しかし妙にひっかかる。それが何なのかはわからん。だがな、どうにも何かが腑に落ちん。こんな感じは今までに何度もあった。で、そんな時は大抵、目には見えてないぬかるみが後から顔を見せるんだ。そのぬかるみってヤツはどういうわけか、俺の鼻につく臭いがしやがる」
世界は一つ、深い息を吐いた。
「そして俺は、ぬかるみに足を取られなかったお陰で今、ここにいる」
沈黙がオイルの臭いのする室内に満ちた。誰もがそれぞれの胸の内に去来する何かに思いを馳せているかのようだった。
「鼻が利くってのはよ、結構なもんなんだよな」
沈黙を破り、チャーシューが口を開いた。
「臭いのある所にゃ、大抵何かあるもんだ。店を閉めて厨房を片づけたはずなのに、どうにも何かが臭ったりしてよ。で、そういう時は大抵、何かがどっかの鍋ン中に残ってんだな。夏場だとあっという間に腐っちまって、明くる日にゃ厨房全体がひでぇ臭いになっちまってな。人間も似たようなもんで、糖尿を患ってる野郎のションベンは甘ったるい臭いがしやがるし、癌にやられた人間の息は腐った肉みたいな臭いがするんだ」
「佐倉川はどうよ。臭うのか? チャーシュー」
八百が訊いた。
「臭さかねぇな。何の臭いもしねぇ。それがな、俺は気に入らねぇんだ。牛も豚も鶏も魚もな、食って糞をタレられりゃ臭う。人間も同じよ。生きてんのに臭わないってのはよ、逆に胡散臭いってことだ」
八百はチャーシューの言葉を受け
「臭う、臭わねぇって理由だけじゃ、警察は手も足も出ねぇな」
と、独りごちる。
「だからはみ出し者のの俺たちに、お鉢が回ってきたってワケだろ?」
誰かが皮肉な笑い混じえて呟いたのを合図に、彼らの間に不敵な忍び笑いが生まれた。
「さて、今夜にでも佐倉川のガサ入れに行くか」
「明日にしてくれ」
オヤブンの言葉を世界が制した。
「もしも飛葉が中にいるのであれば、どうにかして佐倉川を動かすだろう。そうだったら、ちょいと仕込んでおきたいものがある。中にいるのが飛葉ではなかったとしても、ちょっとした道具くらいは必要だろうしな」
「そんじゃ武田と佐倉川に一人ずつ張り付いて、残りはあのでかい家をざっと見ておくって手はずにしとくか」
両国の言葉を合図に彼らは腰を上げ、それぞれのすべきことを全うするためにガレージを後にした。
◇◇◇ 監視役の両国から、佐倉川が帰途についたという連絡が入ったのは、夜の9時を回った頃だった。武田を張っていた世界と交替のためにやってきたオヤブンが、両国から報された佐倉川の1日の行動を簡単に説明する。残業で遅くなった佐倉川は寿司を買うことが多い。そう確信した世界は、馴染みの老人が営む寿司店に向かった。
店に入った時、店内には勤め帰りらしい3人連れがいた。世界は寿司をつまみながら佐倉川の来店を待つ。カラリと引き戸が動き、佐倉川が現れた。
「よう、佐倉川の。ここんとこ、ご贔屓にしてくれるじゃねぇか。今日は何人前だ?」
老店主が人の良い笑顔を浮かべる。
「二人前のと、それから一人前のをください。二人前のは胡瓜巻と海苔巻きと、いなり寿司でお願いします」
「おうよ。カッパはサビ抜きもするかい?」
「はい、お願いします」
「毎日同じネタってのも芸がねぇっていうか、飽きがくるんじゃねぇか。よう、旦那。いつか一緒だったボウズは、何が好きだった?」
「食えりゃ何でも文句を言わん奴だが……玉子だとかが好きだったな」
「どうだい、佐倉川の。玉子だとかちょっとばっかり、毛色の変わったのを入れちゃぁ」
老店主の問いかけに、佐倉川は頷いて承諾の意を示す。世界は何事もなかったように寿司をつまみ続ける。店主は鮮やかな手つきで寿司を折に詰め、佐倉川はそれを楽しそうに眺めていたが、
「すみません、おじいさん。お手洗いを貸してもらえますか」
と言った。店主は笑顔で奥を指し、佐倉川は礼を言いながら移動する。佐倉川が出てくるよりも早く深緑色の紙で包まれた寿司折りがカウンターの上に置かれた。世界は勘定のために立ち上がり、支払を済ませながら大きいほうの寿司折の包み紙に素早くごく細い糸鋸の歯を忍び込ませて店を出る。店の出入り口を閉め、夜気を深く吸う世界に、店の脇の暗がりから声がかけられた。
「よ。案配はどうだ?」
「上々だ。今夜も奴は、三人分の寿司を買ってる」
「やっぱ、あの家には誰かがいるとみても間違いはねぇようだな」
店の脇の路地で世界と両国が声を潜めていた時、店の戸を開ける音が聞こえた。彼らは言葉を切り、少し遅れて佐倉川の後についた。
昨夜と同じ道筋を辿る佐倉川の態度に特に変わった様子はない。
「今日、あの家に忍び込んだんだけどな。まぁ、家の周りとか庭とか、調べたのはそんくらいのもんだったんだけども、めぼしいものは何もなかったよ。飛葉も見かけなかった」
両国が小声で言った。
「家の裏手の地面に金網が張ってある場所があってよ。その下に半地下になってる部屋みたいなのはあったんだけども、中は真っ暗で何も見えなかった」
「出入り口は?」
「見当たらねぇのよ、それが。多分、家の中にあるんだろ」
「座敷牢だな、まるで」
「オヤブンも同じこと、言ってたな。俺たちが見たのは1箇所だけだったんだがよ、奥のほうは塀じゃなくて、生け垣になっててよ。隣の人間に見つかったら面倒だから、その奥は調べられなかったんだ」
「ま、そんなところだろう」
それきり黙って歩いていた世界と両国はやがて、佐倉川の屋敷のすぐ傍まで来た。先を歩いていた佐倉川は門の中に消え、二人は佐倉川邸の監視拠点となっているアパートに向かう。飛葉を除くメンバー全員が集まった部屋では、八百とヘボピーが息を殺して家を見つめていた。
「変わったことはなかったぜ」
オヤブンが言った。
「だが奴は、今夜も三人分の寿司を買って帰った」
「で、あんたは何を仕込んだんだ? 世界」
チャーシューが尋ねた。
「鋼の細工用の精密糸鋸の刃を一つ」
「そんなもの、素人には何だかわかんねぇんじゃねぇのか」
「ちょっと気の利く人間なら、何かに使うだろうよ。もし中にいるのが飛葉だったら、俺たちがすぐ近くまで来てるってことに気がつくはずだ」
世界は煙草に火を点けると窓際に寄り、歴史を感じさせる佐倉川の屋敷に目を遣る。ただ一つに灯されていた部屋の灯りが消え、家が眠りの時を迎えたのを確かめたメンバーが部屋の中央に集まった。
「あんだけでかい屋敷のクセに、蔵も物置もねぇんだ。こりゃ、妙だぜ」
「蔵の代わりが、今日両国が見つけた地下室なんじゃねーの」
「蔵と防空壕を兼ねたような感じかもな。結構丈夫な金網が張ってあったし……」
「どちらにせよ、住人の案内がなけりゃ入れそうにもないぜ」
「明日、出社前に佐倉川を足止めして俺たちに付き合わせよう。奴がシロだとしても構うこたぁねぇ。そうだろ? 世界」
「ああ、その時はその時だ」
「じゃ、今日はここで夜明かしといくか」
誰かの言葉を合図に、朝の訪れを待つため、彼らは思い思いの場所に身体を横たえた。