最強婿養子伝説 第壱拾七話 ──byニシオギ──
皆の要望に応え、騒然としていた厨にもどうにか落ち着いた空気が漂う。
とりあえずはと家人を下がらせた今、竈の前には譲と朔だけが残されていた。このまま黙っていてはまた逆戻りだと、二人共が知っている。
ずっと蟠ってたものがあるのはお互い様なのだ。お互い密かに覚悟を決める。「「その……神泉苑……」」
「えっ?」
「あっ」
同時に口にしたのはよりによってある意味単刀直入な言葉で、
怯みそうになる気持ちを必死に奮い立たせる。「その…朔、朔が邸を飛び出した後、俺、神泉苑に……」
「ちっ、違うの!誤解なんです!」
まだ語り初めだと言うのに、朔らしくなく思い切り遮ってしまう。
「ヒノエ殿とはたまたま会っただけなんです。今日邸に見える事になったのも
本当に成り行きで……。譲殿がヒノエ殿には悩みを相談してると聞いて私、その、悲しくて…」
(悲しい……?)
そうか、私は悲しかったのだと。目が覚めた思いのそんな朔の耳に、
「ヒノエ?」
と、不思議そうな譲の声が届く。「あの……私とヒノエ殿が一緒に居る所を見て、それで怒ってるのでは……ないの?」
「いや…… ヒノエじゃなくて……」
譲は酷く言い難そうだ。今までならば、ここで無理に聞き出すのも。と思い止めていた。
それがきっと今のこの気まずさを産んでいる。
同じ事を繰り返すまいと、本当の理由を訪ねようと朔が口を開きかけた時、「朔、その……俺は最近ずっと思っていたんです。朔は…その、
俺と…夫婦になった事を後悔しているんじゃないかって」
譲が先手を取った。
「ええっ?!」
「俺が、この邸を出る相談を景時さんにしてた矢先だったし、
朔はずっと俺の生活の心配をしてくれてて……何て言うか弾みだったんじゃないかと」そう、この先帰らないつもりならば、いつまでも居候という訳にはいかない。
律儀な譲にしてみれば、当然考える事だ。
「でも景時さんに”祝言の後も朔とここに住んでくれて全然構わない”と言われて
俺達だけが知らないうちにそんな事になってるのを知って、
……朔も引っ込みがつかなくなったんじゃないかって」やはり、譲は自分の強引さでこちらに残ってしまったと……そういう事だろうか。
譲からこの邸を出る相談を受けたと景時から聞いた時、引き留めなければと何故か焦ったのは確かだ。
でも、それは、今思えば……「朔の事だからそんな話になっている以上、俺が気兼ねなく此処に居られるには、
形だけであれ夫婦になるのが一番だと思ったんじゃないかと。
……俺は、朔のそんな気持ちを利用した気がして…」「そんな……」
「それに、最近…この邸を訪れる人々や、六条の邸でも……、朔が、その、何て言うか……綺麗になったと」
「えっ……?」
何を言ってるの?とでもいう様な表情に、譲は少し苛立つ。
「だから、朔は綺麗になったと噂なんですよ!狙ってる輩は沢山居るんです!!
尼僧だった時は皆が遠慮していただけで……そんな事、ヒノエに言われる迄も無く解ってる……」
最後の方は、やけに自嘲気味な呟きに変わった。そんな譲に朔は一瞬唇を引き結び、譲をひたと見据える。
「そんな……一人でそんな事で悩まないでください!
私が…私がどんな思いで貴方に婚姻の申し入れをしたと思ってるんですか!」
「朔 ?!」
「確かに誤解を招く言い方だったかも知れませんけど……好いても居ない方に……そんな事しません……」
そう言ってしまってから、初めてそうだった事に気づいたかのように、
やおら朔は頬を染めて俯いてしまった。「えっと……その……朔?」
いきなりの朔の剣幕と、一瞬の後に恥じらうその様に、譲は呆気にとられた様に立ち竦んだ。「でも……朔、君は今でも黒龍の事……
俺が……俺が神泉苑で朔に声を掛けずに戻った原因は…ヒノエじゃありません。
朔が、あの池の前で黒龍の名を呼ぶのを聞いたから……」
「えっ……」
「他の……他の男なら俺だって…何なら腕ずくでだって……でも、黒龍だけには敵わない……」そうだったの……と朔は思い起こす。
確かに、何か辛い事があるとあの場所で黒龍を想う事は
朔の習慣の様なものになっていた。それは確かだが…「……でもね。黒龍は……神様なのよ…皆の」
「……?」
「そうね…確かにあの黒龍は私だけの黒龍だったかも知れない…
いえ、それすらも今思えば奢りかも知れないけれど…。
でも、今は、そう、白龍と共にこの世界を守護してる……」
「………」
「あの黒龍を忘れたと言えば多分嘘になります……
その事で譲殿が気を悪くしたなら御免なさい……でも…違うの……
白龍と黒龍が共に天に還って行くのを見た時、はっきりと解った。
あの黒龍は…元々…消えた事を悲しむ存在では無く、逢えた事に感謝するべき存在なの……」
「朔……」朔は顔を上げ、譲を真っ直ぐに見詰める。
「……これだけは信じて欲しい。私は好きでも無い方と夫婦になったりはしない。
黒龍が消えた時、生涯、もう、決して……誰とも夫婦にならないと……
立てた誓いを破ることになったのは……他でも無く貴方が……」
滲んで来る涙を必死に堪えながら言葉を紡いでいた朔は、ふいに強い力に引き寄せられた。「ごめん……俺は……本当に成長していない……何も解っていない……」
「譲殿……」
痛いくらいの抱擁が心地良い。
その力が言葉にならない事も伝えてくれる様で、朔もそっと譲の背に手を回す。
「私…私も解っていませんでした。私……譲殿の………」と、その瞬間空気をぶち破って良く通る声が響いた。
「譲!朔殿はお前の作ったものを一番に食べたいそうだ!
奥方の願いなのだから、その様にするのが良かろう!
それでお前の不調が回復するのなら正に一石二鳥!そうは思わんか!!」一気に言い切った瞬間、抱き合う二人を見て、
九郎が思いきり硬直するのは、自然な流れであったと言えよう。
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