夢の名残

作:王立図書館司書さま


 出会いは、桜吹雪の頃。真新しい制服に身を包み、緊張した面もちで着席している姿が、何故か氷室零一の目を引いた。ほんの僅かに乱れたスカーフを注意すると、彼女は真っ赤な顔で、慌ててスカーフに手をやる。その指先の白さは、私立はばたき学園数学教師・氷室の心に強い印象を与えたのだった。

 二度目の出会いは、通常の授業が始まってまだ間もない頃。氷室が顧問を務める吹奏楽部に入部届けを提出するため、職員室の氷室を訪ねてきた時だった。恐る恐る届けを出す彼女の表情はひどく緊張していて、書類を差し出す指先が僅かに震えているのが見て取れる。それ程に自分は、この生徒に威圧感を与えてしまっているのかと思いはしたが、同時に、生徒に恐れられ、疎んじられることなど日常茶飯事に過ぎなかったため、学年度の始まりにありがちな、取るに足りない出来事の一つとして、氷室の記憶の片隅に留まるのみであった。

 専門の数学を教えるかたわら、氷室は担任しているクラスの有志を募り、時間を作っては課外学習の機会を設けた。参加するのはクラス全員の半数にも満たなかったが、学習意欲の強い生徒だけが集うため、全ての課外授業は、実に有意義なものとなった。それだけではなく、植物園で、博物館で、プラネタリウムで──学園を離れたあらゆる学びの場には、常に彼女の存在がある。好奇心に輝く瞳、常に何か新しい発見をする聡明さは、氷室の目に好ましく映る。そして氷室は彼女に対して抱くあたたかな感情を、時に氷室さえ唸らせる質問さえする将来有望な生徒に対して抱く、単純な期待に過ぎないとしか考えてはいなかった。

 奇しくも2年続けてクラス担任として接することになり、彼女とは教師と生徒という関係に過ぎなかったが、それでも一年前に比べれば遙かに親しい関係を築きつつある。

 成績は極めて優秀。運動部で活躍する生徒達に勝るとも劣らない好記録を学校行事で見せつける彼女は、周囲に対する細やかな気配りをも忘れず、どのような場にあっても中心的な役割を果たしている。そのため一年生の頃から、彼女を生徒会役員にと推す声も少なくないのだが、部活動に専念したいとの強い希望を理由に、教師や現役生徒会役員の誘いを断り続けているのだという。職員室で、その話を耳にした氷室は、二年生に進級してからは、吹奏楽部部長として部員達をまとめ、演奏の機会のあるたびに確たる結果を出し続ける彼女を、心から誇りに思ったものだった。

◇◇◇

 自分を呼ぶ声に氷室が振り返ると、そこに彼女がいた。

「来年も、氷室先生が私の担任だったらいいのに……」

そう呟く彼女の頬は、淡い紅色に染まっている。

「こればかりは、私自身もあずかり知らぬことだからな」

氷室が答えると、彼女は微かに頷く。

「むろん私も、新しい氷室学級に君がいてくれることを望んでいる。君は文武両道を実現している、素晴らしい学生だ」

「ありがとうございます」

俯いているため、彼女の瞳は見えない。春風に揺れるスカーフに頼りなく添えられた白い指は、桜色の爪で、慎ましやかに彩られている。その風情は些細な出来事に心を揺らす、少女期にある者だけに許される、言葉にしがたい魅力に溢れているようだと、氷室は思う。

「私……知りたいことが、あるんです。答は、先生だけがご存じです」

初めて出会った頃の幼さが僅かに残る、大人への階段を昇りつつある少女の貌に浮かぶ固い決意の色に、氷室は思わず魅入っしまう。

「先生は、完璧な方です。私、先生のような方、他に知りません」

「そう、私は完璧だ。否、そうありたいと、常に欲している。君が私を完璧だと感じるのは、私自身、常に完璧な人間を目指して自己の研鑽を怠らないからだ。しかし私は、未だ完璧な人間になるための途上にある。だからこそ、より完璧でありたいと望んでいる」

「いえ、先生は完璧です」

自分を讃える涼やかな声に、氷室は至福を感じた。

「だから私……先生の全てを知りたいんです」

静かな、けれど固い決意に溢れた言葉だった。

「全て……?」

言葉の真意が掴めず、氷室は少女の言葉をなぞる。

「ええ、全てを」

そう言いながらこちらに歩み寄る少女の唇に浮かぶ、淡い微笑みに、氷室は気付いた。

「先生が完璧である理由──例えば、先生のAIはどうなっているんですか? メモリーは? 集積回路の仕組みは、どんな風になっているの? 情報伝達速度はどれほどの数値になっているのか……」

「何を言っているんだ、君は。私は生きている人間であり、体内に人工的な機能を追加したことなど、断じてない!」

「ウソ……私は信じないわ、そんなこと」

いつの間にか近距離に迫っていた少女は氷室に手を差し伸べ、きっちりと結ばれたネクタイをくつろげようとする。

「やめ……なさい……」

「いや……」

「何を……何をするつもりだ……」

ともすると掠れそうになる声を必死に整え、氷室が問うた。

「知りたいの、先生のこと」

たたたたた谷間が…っ@☆●◎♪★○?△そして少女は、妖艶な微笑みを面に浮かべて氷室を見上げる。年齢にふさわしくない程の、他者を圧倒するような艶を帯びた瞳に射抜かれた氷室は、指先一つ動かすことができず、ただ立ち尽くすのみだった。

「ねぇ、先生。先生の動力源は何? 高性能の小型ジェネレーターが埋め込まれているの? それとも小型原子炉を搭載しているのかしら……燃料はソーラーシステムや、空気中の水素と酸素を融合させた時に生まれるエネルギーを使うの? それとも何か他の、もっと効率性の高いものが選ばれているのかしら? 人工筋肉の強度や骨格の構造や素材も知りたいわ。それから関節の仕組みも……どうしたら、本物の人間のように滑らかで自然な動きができるの?」

氷室の困惑や戸惑いなどお構いなしに、少女はシルクのネクタイを足下に落とし、糊の利いたワイシャツのボタンを一つずつ外していく。

「やめ……なさい」

氷室は言った。よく見ると、少女はいつの間にか白衣に身を包んでおり、白い指先には銀色のメスが光っている。

「何を……する、つもりだ……」

「先生の全てを教えて? その身体の全てを知るためなら、私は何だってするわ……そう、例えば先生を解剖するとか……」

身の危険を感じた氷室は、思わず少女を振り払おうとしたが、気付かぬうちに四肢を戒められた格好で、手術台に仰向けに固定されている。生命の危険を感じた氷室は、必死で逃れようとした。だが、どんなに足掻こうとも、固く拘束された手足は少しも自由にはならない。

「ヒューマノイドでも、セクサロイドでも、アンドロイドでも、サイボーグでも……先生が先生ならいいの。先生の全てが知りたいの……」

『だから』と囁く少女のしなやかな指先が、既に露わになった氷室の胸を辿る。

 乾いた機械音と共に、手術台が強烈なライトに照らされた。逆光の中に立つ少女の表情は読めない。けれど彼女は確かに妖艶に微笑んでいる。そう、氷室は確信した。

 初めて会ったその時から、何故か氷室の心に強い印象を残した、少しはにかんだ笑顔を浮かべながら彼を見つめていた少女は今、彼の目前で成熟した一人の女へと変貌した。到底信じられない、信じたくはないことではあるが、氷室は目の前のかつて少女であった者の存在を認めるしかない。両の手足が戒められていることは現実であり、彼女は常軌を逸した好奇心を露わにしたような濡れた唇で、氷室の名を呼ぶ。だが一方で、最初こそ感じるものは戦慄のみだったその声に、ある種の陶酔感を抱いているような気がした。絶望や危機が臨界点に達しようとする時、人は誰もがその中に一筋の光明を見出すことで生きる気力を得るのだというが、それに酷似しているかのような心地良さが、確かにある。

 混沌とした意識の澱みに堕ちる間際、氷室は強い理性で我を取り戻した。

「やめなさい!!」

 渾身の力を振り絞り、氷室は少女の手から逃れようとした。けれど少女は桜色の爪を氷室の胸に立てたまま、静かに首を振る。そして右手のメスが氷室の胸に突き立てられようとした瞬間、氷室は現実に生還した。

 氷室を悪夢から解放したのは、彼自身の悲鳴だった。

 ピアノ演奏を趣味とする氷室の部屋は、完全な防音処理が施されている。そのため、彼が絹を引き裂くような声を出したとて、近隣に迷惑をかけることはない。そう自覚した途端、氷室は安堵の息を吐き、彼の背中に冷たい汗が流れ落ちた。胸は激しく波打ち、唇はカラカラに乾いている。汗に濡れた前髪を掻き上げようとした掌にも汗が光り、つい先刻まで見ていた夢が、氷室の精神衛生上よろしくないことこの上ないかを物語るようだ。

 しかし氷室は悪夢に苛まれながらも、清楚な微笑みの下に隠された、少女のもう一つの姿に、成人男性としてごく真っ当な反応をする下半身に愕然としたのであった。

◇◇◇

 桜吹雪の頃、氷室は新学期の教室で、少女と三度目の出会いを果たした。はばたき学園から少女が巣立つのを目の当たりにできるのは、彼にとっては存外の喜びである。しかし先日の夢を見た自分が許せなかった生真面目な彼は、しばらくの間、三年の間見守ることになる少女を、まともに見ることができなかった。
 

赤くなるやら青くなるやら

 


トンチキになりませんでしたが、まぁ、嗤ってくださいよ。
改造人間ネタを聞いた時、そしたら解剖さしてくれ!
と思ったのは、ナイショ(笑)。
あと、敢えて大きな声で言わせていただけるなら、
氷室零一はどんな状況下で、誰が相手であっても
「襲われ受け」だと断言します。(司書さま)

*****

いやー司書さん、なんだか私の挿絵ばかりがトンチキでかたじけない。
しかし「襲われ受け」って…
なんちゅーことおっしゃいますか、司書さん!でも確かに!!(笑)
このお話は、そんなヒムロッチのリビドー全開(きゃv)とゆー感じで、
ヒヤヒヤドキドキな中にも司書さんらしい味わいがあり
大変おいしゅうございました。
おびえる眼鏡を描くのが楽しかったです。フフ。
司書さん、どうもありがとうございました。
(04.04.06.)

そして、この話の後日談風のものを書いた
掲示板リレー創作をまとめたものをアップしました。
こちらからどうぞ>>>
なお、相当トンチキな内容なため、
このお話のムードを壊されたくない方、
まっとうにかっこいいGSキャラを愛する方は、
決して入ってはいけません。絶対ぜったい後悔しますからね!
忠告はしましたからねっ!!!

◇◇◇

いっしーさんサイトにお預かりいただいていたものをアップ。
「とりあえず、ヒムロッチだけは落として!!」
と言われ、ソフトをお借りしたのが、『ときメモGS』初体験でした(笑)。
いっしーさんのお陰で、新しい煩悩の扉が開いたのも良い思い出。


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