キャベツのある風景 1


 軽く茹でたキャベツを挽肉の塊に巻き付けていく作業は好きだ。生々しい肉の色が、加熱されて、葉脈の模様が際立つ薄緑色に包まれていき、次第にその姿を隠していく様はまるで、蝶や蝉といった昆虫の羽化を写したフィルムを逆回しに見ているようで、少しだけワクワクする。

 その逆に、キャベツの葉を一枚一枚剥いでいく作業は、幾枚もの薄ものに守られた秘密の宝物を探すのに似ていると思う。中心にあるものは次々に新しい葉を外の世界に送り出す芽だと知っているけれど、その芽はこの植物中でも最も活発な細胞分裂が行われている場所であり、適した生育条件さえ維持してやれば蕾をつける茎を空に向けて伸ばして、その先に可憐な薄黄色の花を開く。そんな力を秘めていることなど素振りにも見せず、台所にあるキャベツはただキャベツとして食用植物としての本分を果たしているようで、そんなところが潔く感じられる。

 ほのかな甘みの他、これといった特徴もないから和洋中華、どんな料理にも使われるキャベツは、山田一郎が好んで使う食材の一つだ。普段は手軽に作ることのできる野菜炒めや焼きそば、お好み焼き、コールスロー。使い切れそうにない時には浅漬けや、一手間かけてザワークラフトにする時もある。しかしロールキャベツは作るのが面倒に感じられ、一人暮らしの食卓に上ることはまずない。どうしても食べたくなればコンビニのおでんを買ってきてすませていた。

 「何年ぶりや……」

呟いてから、山田は記憶を辿る。

「五年……六年……それくらいになるんか……エライ久しぶりやってんなぁ……」

 看護師の山田の母親は、彼が幼い頃から三交代制の勤めに出ていた。母との二人暮らしだった山田は、いつの頃からか母親と家事を分担するようになり、その母は息子の作るロールキャベツを好んだ。そして山田は母親のためというよりも、好奇心と調理という実験に似た家事に対する試行錯誤への欲求を満たすために、思いつく限りのバリエーションのロールキャベツを作ったものだった。キャベツの中身に手を加えて、スープや調味料を調整したなら、和洋中華のいずれにもなり得る。それを確信した時、山田の好奇心は限界まで突き進み、三日に一度はロールキャベツを作った。

 今にして思えば母は、半年程も続いたロールキャベツ攻めをよく耐えたものだと思う。母自身が忙しい仕事に就いていたからか、一つのことに意識がいってしまうと周囲が見えなくなってしまいがちな山田の性格に諦めを選んだのか、それとも連日食卓に上っても平気なくらいロールキャベツが好きだったのか。親元からとうに離れてしまった今は改めて真意を問いただす気にもならない山田だが、もしも遺伝子を共有することで気性面の一部が一致するのであれば、母親が何も言わなかったのは、単に面倒だったからだろうと思っている。

 例えばロールキャベツには飽きたと言うのであれば、調理者に対して何らかの代替案を提示する、最低でも、そのアウトラインだけでも告げるべきではないかと山田は考えている。だが時として、代替案が思い浮かばなかったり、考えるのが邪魔くさいといった状況もあるわけで、そういう時は目の前に出された料理をいかに美味しく食べることに集中し、制作者に対する感謝の心さえ持てれば、料理は通常の3割増のうまさになることは経験から知っている。ただひたすら、食べることに専念すればいい。それで人的な摩擦を防げたならば、その食卓に着いた者全員が幸福になれるのならば、それが山田にとっての最良の善後策となるのだ。

 

 そんなことをぼんやりと考えながら、山田はサラダ用の春雨を熱湯で戻し、キュウリを千切りにして、赤と黄色のパプリカを細く切る。サラダを構成する具材が4種類なのは縁起が悪いような気がしたので、冷蔵庫からロースハムを出して刻む。

 鍋の中に行儀良く並んだロールキャベツが充分に煮込まれたのを確認した山田は、味を中までしっかりと染み込ませるために火を止めた。別の鍋では椎茸や筍、人参などの入った中華あんが出来上がっている。

 大鉢に盛りつけたサラダを冷蔵庫に入れてから、山田は自分のためにコーヒーを煎れた。

 山瀬に告白されてからも、山田の生活は変わりはない。決まった時間に学校に行き、理科教師としての職務を自分なりにこなしている。放課後は退屈な事務処理に手こずることは多いのだが、それさえ終わらせられれば実験の準備や授業の資料作りといった、山田の好む仕事が待っていたし、放課後の理科準備室には山瀬が、毎日のように来てくれた。

 基本的に、山瀬は節度ある態度を保っている。時折、悪戯めいたスキンシップを仕掛けてきたりするものの、それでも山田を戸惑わせたりはしなかった。偶然ではない、意図的に触れてくる指先や、投げかけられる意味深げな視線に、体温が少しだけ上がったりする。友情と恋愛感情の間を揺れ動く、どっちつかずの微妙な状態はどこか照れ臭くも、心地よい。

 遠からず答を出さなければならないことは、山田とて承知している。山瀬が自分に向ける感情に、自分がどういう形で答えるのか──否、応えられるのか、られないのか。明確な形で答を導き出さなくてはならない。

 山瀬から提示された問題の解答を得るための絶対必要条件は、おおよそ揃っているだろう。欠けているのはたった一つの変数──山田の答のみ。未だ定まらない山田の気持ちが固まりさえすれば、この不可思議な人間関係はこれまでとは異なる形を取り始める。だが今現在、ごく近い将来に出されるであろう、彼らの在り方を左右する要件はまだ何ものにもなってはおらず、山田は中途半端でありながらも不思議に心地よい状況が、少しでも長く続けばいいのにとさえ考えてしまう。

「まぁ、な。焦ったところで、ならんものはならんし、放っといたかて、なるもんはなるもんやしな」

 他人事のように呟いて、山田はカップの底に残るコーヒーを飲み干した。


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