白浜温泉紀行 1


1998年12月29日から31日まで、白浜温泉方面にツーリングに行きました。何故、白浜かというとですね、路面の凍結の心配が殆どないということ、それから『南紀』っつーくらいだから、バイクで行ってもそれほど寒くはないだろうというね、非常に安直な考えで決定。あと、司書、温泉好きなんです。で、何故、年末に行くかっつーと、12月31日から正月三が日にかけて宿泊すると、旅館代が高くなるから。正月&休日前料金に引っかからないように、こんな日程になりました。

「行きは国道を使って、途中で高野龍神スカイラインを経由、んで、白浜入り。帰りは阪和道で手っ取り早く戻る」

と、猫ルヴァがコースを決定しました。ちなみに『高野龍神スカイライン』というのは、高野山から和歌山方面に抜ける自動車道で、コーナーが適度にある快適なドライブコースとして知られています。『阪和道』は大阪・和歌山間を結ぶ高速道路。猫ルヴァはバンディットV、司書はルネッサと、それぞれ愛車に跨って出発しました。

基本的に国道は快適ですが、結構な落とし穴があります。少し早めの昼食を食べて国道を走る。走る。走……る。途中で道路が1車線になり、間もなく対向車線のない道路になってしまった。司書は抜け道でも使ってるのかと思いました。そして延々とカーブと坂道が繰り返される山道に……。既に人家はなく、周囲にあるものと言えば植林された針葉樹のみ。でも国道。林道にしか見えなくても、抜け道以下の道幅でも林道。腐っても林道。
「なんで、林道を走らなあかんねん」と、司書は心の中で叫びながらも、連続するS字カーブのお陰で、次第に余裕がなくなっていきまして、しまいには
「教習所の八の字走行とS字走行、それにスラロームの練習は、この時のためにあったのか……!!」
とか、ぼんやり思いながら、必死でコーナリングとギアチェンジを繰り返しました。苦労の末、ようやく高野山に入り、『高野龍神スカイライン』の入り口に向かうと、そこには
「3月31日まで、二輪車全面通行禁止」の看板が立っていました。

今までの苦労が一瞬にして水泡に帰し、呆然とする司書。猫ルヴァは

「しゃーないな、山降りよ」

と、橋本方面に向かう下りの山道にバイクを向ける。

再び繰り返されるカーブ。地面のあちこちに砂利だの砂だのがこぼれてるし、路面悪いし、司書が初心者なん知ってるクセに、なんやねん!! と、はっきり言って、この時ばかりは猫ルヴァが鬼に見えました。
思わぬアクシデントのため、走行時間が大幅に長くなってしまったので途中で阪和道に入り、とにかく日が暮れるまでに白浜へ到着することを目標に、ひたすら走る。走る。ようやく旅館に到着した頃にはすっかり、陽は沈んでました。猫ルヴァは温泉に、司書は仮眠をとった後、夕食。二人とも無言で食う、食う。疲れはてて会話なんかないぞ。食後、司書は温泉。風呂から上がると猫ルヴァは、既に爆睡してました。

二日目は白浜あたりをまわってから、本州最南端の潮岬へ。国道42号線を走る。国道42号線は海岸沿いの、風景の美しい道路ですが、坂とカーブが連続するため、景色に気をとられた車輌がしょっちゅう事故を起こすので、別名『死にごう線』と呼ばれているらしい。
最初はコーナリングの基本『スローイン、ファストアウト』を実践する司書。カーブ手前で充分に減速します。自分の技量とバイクの性能のバランスが、まだよくわからなかったので、かなり慎重な運転になりました。ま、段々とコーナーでの限界速度っつーのがわかるようになったので、帰りはそれほど減速なぞしないようになりましたが、四輪と二輪の車輌特性や、コーナーリングの違いがよくわかりました。

最終日は家路を辿るのみですが、御坊(阪和道の和歌山の最終地点)ICまでの道は、国道のクセに突然農家の納屋の裏手を走ったり、片側車線しかないような狭い道になったり、迂回したりします。ようやく高速に入りましたが、寒いんだ。時速80キロを越えると、風を受ける身体の前面から体温が奪われる状態がリアルに感じられます。寒い。水洟がたれますが、風で乾くので問題はありません。トンネルはあたたかい。でも四輪の出す排気ガスで臭い。でもぬくい分、少し幸せかもしれないなどと、ぼんやり考えるだけ。あとは、冬に2時間以上、ぶっ続けでバイクに乗るのは、よほど酔狂な人間やな、とか、まぁ、ぼんやりと考えているわけよ。

行きは8時間、帰りは4時間。高速道路の素晴らしさを実感した旅でした(笑)。意趣返しに、今度こそ『高野龍神スカイライン』通ってやる!!


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