フェリーで会った、愉快な人たち
大阪から北海道にバイクと一緒に渡る時には、舞鶴港か敦賀港から出ているフェリーを使うという手段が一般的で、7月頃から大勢のライダーが北を目指したりするので、なかなかに賑わってたりします。往路は舞鶴港を利用したので、阪神高速から中国自動車道、舞鶴道を経て舞鶴市内に入ることに。舞鶴東の出口(終点だったりもする)の料金所で、おじさんに舞鶴港の方向を確認しましたら、同じ質問をするドライバーが多いのか、舞鶴港までの詳しい地図のコピーをもらっちゃったりして、その手際の良さに感心しました。ま、これで迷子になることはあるまい。実際、スムーズに舞鶴港に入れましたのよ。到着時間は午後2時頃。
舞鶴港、新日本海フェリーの駐車場には、既に数台のバイクが駐車されてました。いずれも大きな荷物を積んで、しっかりと旅支度をしてます。妙に気分が盛り上がるんですな。バイクを停めると、隣で荷解きをしていた金髪の若いお兄ちゃんに声をかけられる。
「一人?」
「そうですよ」
「どこ行くの?」
「北海道」
「あちゃぁ、それはわかってんねん。ええボケかましてくれるやん。北海道、どこ?」
「襟裳。自分は?」
「まだ決めてへんねん」
などと話していると、クラクションの音。
「あ、したら、俺、行くわ」
と、兄ちゃんはハコバンに乗り込んでった。京都ナンバーのハコバン。こっちに知り合いでもいるのかと、この時には思ったんだけども、それが大きな間違いであることは、後に発覚するのであった。
時間を潰してターミナル内の待合い室へ。そこには熊本から陸路、しかも高速道路を使わずに日本海側を走破して舞鶴にたどり着いたという、お兄さんがいた。
「いやぁ、毎年7月から北海道に行って、寒くなって野宿できなくなるまでフラフラしてるんですよ」
と笑う彼は、地元熊本よりも北海道の地理のほうがよくわかるという。話したり、居眠りしたり本を読んだり、他のライダーたちと話したりしているうちに、乗船準備のために駐車場へ。
乗車に備える行列に並ぶ。基本的にバイクは一般車輌より先に乗船するので、早めに並ばなくてはならないらしい。さて女性のライダーは全体の2割程度。司書のすぐ後ろに女性ライダーが来て、どちらともなく挨拶をしたのだが、何となくノリがあった彼女とはすぐに仲良くなる。お互いに北海道は初めてで、彼女は1カ月ほどかけて、あちこちのキャンプ場を拠点に回るという。そのため250ccのバイクの後部シートには、山のような荷物が積み上げられている。伊丹市に住んでいるとかで、家も割と近いので自己紹介と住所の交換。彼女はサッチャン。10歳も年下。なのに、ノリは同じ。いや、まぁいいんですけどね。ちなみにサッチャンからはお姉さんと呼ばれてました。
午後10時30分乗船。割り当てられた二等寝台に向かい、荷解きを開始。その後、入浴。午後11時30分、風呂につかりながら舞鶴から出港。風呂から出て、寝る。
翌日の朝食はパンとジュース。船内の売店やレストランは値段が高いので、あらかじめコンビニで買っておいたものです。熱湯は船内でタダでもらえるので、カップラーメンなどを用意しているライダーも多い。そう、ライダーは貧乏なのですよ。
朝食後、フォワードサロンと呼ばれる談話室で本を読むことに。進行方向への展望も見られるので、なかなか気分がよろしい。入るとサッチャンが二人の男性と一緒にテーブルを囲んでいて、サッチャンに会話に誘われた。一人は元長距離トラックの運転手。年の頃は40歳前半、男性。知人と北海道へ行く途中。もう一人は定年退職後、夏になると北海道を車で一人で回っているというおじいちゃん。女だてらに単身バイクで北海道に渡るのが珍しいのか、年寄りを相手にする若い者が珍しいのか、やたらと詳しい北海道情報を教えてくれる。その他、世間話で昼時を迎える。するとスキンヘッドに作務衣姿のおっちゃんが現れ、元運転手さんに話しかける。で、サッチャンと二人して昼食に誘われる。一応、1度は遠慮したのだが、かなり強引に船内にあるレストランに連れて行かれる。
サッチャンと二人、遠慮なくご馳走になる。船内でまともなものが食べられるのは、1回きりという意識がある二人はビュッフェで好きなものを、好きなだけ選んだりして、司書はあんかけ焼きソバ(かなりのボリュームがある)、ホウレンソウのおひたし、中華スープをいただき、食後にはコーヒーまでご馳走になる。サッチャンは食事を取りすぎたというか、半ば確信犯敵に料理を残し、ビニール袋に入れてお持ち帰り。から揚げを直接ビニール袋に入れようとするので、紙ナフキンに包まなければ、油でベタベタになるとアドバイス。スポンサーにはおおいに受ける。
さて、二人に食事をご馳走してくれたのは吉野は熊野に縁のある修験者の一行。一人は神通力を持つという実力者。かなり迫力のあるじいさんである。スキンヘッドに作務衣の男性は40歳過ぎ。まだ修業半ばの修験者だという。そして元トラック運転手さんは、修験者としての修業を始めたばかりだという。まぁ、坊さんだけあって話好きである。けど、説教臭く、押しつけがましい話は全くしないし、話題が結構豊富なので楽しくお話を拝聴する。さすがに食い逃げはできなかった。
昼食後、寝台に戻って読書の後、昼寝。3時頃、フラフラと談話室に行くと、サッチャンと修験者一向に再会。お話ししながら氷小豆だのジュースなどをご馳走になる。坊主の話に飽きたサッチャンはトンズラを決めたので、逃げられなくなった司書はお話につき合う。坊さんの話は面白いので、退屈はしないの。坊さんは
「バイクで走ること、これもまた修業」
などと断言してくれたのですが、今にして思えば予言めいた言葉でありました。
そして夕食に誘われる。さすがに2度もご馳走になるのは気が引けたので、サッチャンと二人で2度ほど辞退する。が、やっぱり強引にレストランに連れて行かれた。サラダとハンバーグ、杏仁豆腐とコーヒーをいただく。もちろんサッチャンはお持ち帰りを断行。
「遠慮のない娘っこだ」
と、神通力の持ち主がカラカラと笑う。
「さっき、遠慮したじゃないですか。でもご馳走になるって決まったら、容赦なくいただきます」
と答えると、更に大きな声で愉快そうに笑う。そして二人とも腹が据わってるし、面の皮が厚いので、道中は安心だと太鼓判をいただく。誉められたとは思えないけど、坊主の太鼓判は結構な力があるかもとほくそ笑む司書であった。
午後10時、ニュースと天気予報を見るために、テレビのあるホールにライダーが三々五々といった具合に集合。翌日の北海道は雨。北海道東沿岸には弱い熱帯低気圧。しかも前線のオマケつき。東南部は確実に雨である。そして襟裳岬も北海道東南部にあったりする。宿泊所を予約していないライダーは、曇りの予報の出ている地域へ進路を変更し、それができないライダーは開き直ったりするのだけど、どうも基本的に諦めがいいというか、楽観的な人間が多いように見受けられる。
「ま、しゃーない」
この一言で全てが決まるのである。
「お、久しぶり」
と、舞鶴港で話をした金髪の兄ちゃんに声をかけられる。熊本の兄ちゃん、サッチャンと一緒に談話室で雑談。後からやってきた男性ライダーが
「なぁ、夏の舞鶴港には北海道に行く貧乏ライダーを狙う、ホモの自衛官が出るって知ってる? そいつ、飯とか風呂に誘うらしいで」
サッチャンと司書はデマだと笑い飛ばしたのだが、熊本君が
「おった。おった。俺、昼過ぎに着いて、声かけられた。いきなり内腿さわって、飯に誘われて、怒鳴って追い返した」
と、証言。すると金髪の兄ちゃんが
「もったいないことしたなぁ。俺も風呂に誘われてんけど、『ケツは貸さへんけど、飯は驕らせたる』って言うて、飯とカラオケに連れていってもろたで」
と、とんでもないことを言い出す。
「ちょう、アンタ、あの時駐車場におった、京都ナンバーのハコバンの運転手はツレと違うて、見ず知らずのホモの自衛官やったんか?」
司書の言葉に金髪君は、嬉しそうに頷いた。ちなみに駐車場で会った時、彼はあちこち破れたジーンズにワークブーツ(黒)、素肌に黒の皮のロングベスト。そしてカウボーイハットを被っていて、バイクは黒のアメリカンタイプだったりする。で、司書の第一印象は、
「おいおい、これでハーレーに乗ってたら、ホモと間違われても文句言われへんで。だいたい、そのなりでアメリカ辺りに行ったら、ホモのオッサンに尻追い回されるで」
という感じ。はっきり言いまして、そのホモの自衛官に同情しました。なんか……やっぱりアカンと思うのよ。いや、どっちが悪いってわけではないと思うんやけど、なんかなぁ……。
翌朝4時、小樽港着。バイクが先陣を切って下船する。船で出会った人たちに挨拶をして、それぞれの目的地に向かう。ここからは一人旅である。高速道路から眺めた日高方面の空は厚い雲に覆われている。雨である。わかってましたけどね。まぁ、雨の中走れば、ええ修業になるかもしれないなどと、この時点では暢気に考えてたりしてました。
ちなみに復路は疲れはてて爆睡していたので、特に親しくなった人はいませんでした。元気なのは子どもとおばちゃんだけでした(笑)。