受 難 1
ジュリアスはここ数日間、原因不明の強い疲労感を覚えていた。食欲は殆どないような状態ではあったが、不規則な食生活を送ることで執務に支障が生じてはいけないという考えから、量こそ少ないものの、とりあえず食物を口に入れるようにしていた。ジュリアスはある惑星の異変に伴う激務が数日間続き、睡眠時間を削ってその対応に当たっていた時期の疲れが出たのだろうくらいに考え、執務を可能な限り効率よくこなし、休息と睡眠時間を僅かでも多く確保するようにしていた。しかし、ある朝、ジュリアスは腕にぽつりぽつりと小さな、薄紅色の虫に咬まれたような痕跡を見つけた。痒みなどを感じなかったので、特に気にとめることなく日常の執務をこなしていたのだが、最近感じるようになっていた疲労感・脱力感は一層、強くなるような気がする。彼は一瞬、自分が何らかの病に罹ったのではないかと考えたのだが、宇宙を導く女王陛下の加護により、一切の病が存在しない聖地に住む者に限って、患うなどということがあるはずがないと自らに言い聞かせ、その日の執務を終え、食事を申し訳程度にとっただけで、早々に寝床へもぐり込んだのであった。
翌日、薄紅色に変色しているだけだった部分に水疱ができていることに気づいたジュリアスは、聖地一の博識を誇る地の守護聖・ルヴァの執務室を訪れた。
「これは……」
「昨日までは赤くなっているだけであったのだが、今朝になってこのような状態になっていたのだ。ルヴァ、そなたには、これが何なのかわかるのではないか」
ジュリアスの左右の腕の発疹の様子を丁寧に観察し終えたルヴァが言った。
「ジュリアス、水疱ができているのは腕だけですか?全身に似たような発疹があるのではありませんか。それから、痒みや痛みといった症状はありませんか」
「実は全身にくまなく、ぽつりぽつりと……。それに今朝から少々痒みが出てきたようだ。痛みは……特に感じないのだが」
ルヴァは静かに立ち上がり、執務室のドアを閉め、ジュリアスに言った。
「ジュリアス、申し訳ありませんが身体に出ている発疹を診せていただけますか。私の見立てが間違いでなければ恐らく……」
「わかった」
ジュリアスの胸や腹部、そして背中には赤い発疹がそこここに散らばり、その中のいくつかの発疹の中心は、水膨れになっている。間違いない、そうルヴァは確信した。服装を整えたジュリアスがルヴァに尋ねた。
「どうなのだ、ルヴァ。私の身体には一体、何が起こっているのだ」
「……ジュリアス、あなたは水疱瘡に罹っているようです」
「水疱瘡?何だそれは」
「ご存じないんですか。えー、水疱瘡というのはウィルス性の伝染病の一つで、あなたの身体に生じている水疱を伴った発疹が、大きな特徴です。あと発熱や、それに伴うだるさや頭痛などが主な諸症状なのですが、年齢を経るに従い、症状が重くなる病気なんです。たいていは子供の頃に水疱瘡に罹るのですが、それで身体に免疫ができましてですね、その後は決して水疱瘡に罹らないのですが……。あー、ジュリアス、あなたはまだ、水疱瘡に……」
ジュリアスに水疱瘡の経験の有無を確認しようとしたルヴァは、その途中で言葉を飲み込んだ。わずか5歳で光の守護聖として聖地に召されたジュリアスに、聖地に来る前の記憶などないも同然であり、聖地に来てからは病気らしい病気にかかったことはないはずだということに思い至ったのだ。
「私は覚えていないのだが、物心つく前に守護聖としての資質を認められた私を、両親はそれは注意深く育てたと聞く。おそらく、病気に罹らぬよう、最新の注意を払っていたことだろう」
「では、やはり水疱瘡を終えてはいないと考えたほうがよいようですね」
気落ちしているルヴァを励ますように、ジュリアスが努めて力強く言った。
「それでルヴァ、私は今後どうすればよいのだ」
「あー、それはですね……」
その時、ルヴァの執務室の扉を激しく叩く音がした。ルヴァが慌てて扉を開くと、息を弾ませたリュミエールが立っていた。急いで走ってきたことは、その呼吸の様子から容易にうかがい知ることができたが、リュミエールの顔色は蒼白である。
「ルヴァ様……」
「リュミエール、どうしたんですかー。そんなに急いで。さぁ、中に入ってください」
中に招じ入れられたリュミエールは、ジュリアスの姿に気づき、軽く目礼をしようとした途端、言葉を失い、その場に立ちすくんでしまった。
「リュミエール、リュミエール、どーしたんですかー。顔色が……」
ルヴァの言葉に我に返ったリュミエールは、悲痛な声を絞り出すようにルヴァに訴えた。
「ルヴァ様……クラヴィス様が……クラヴィス様のお顔にも、ジュリアス様と同じような発疹が……」
「やはり、そうですか……」
「ルヴァ、そなた、クラヴィスも私と同じ病に感染していると考えていたのか」
「ええ。クラヴィスはあなたより1年遅れて守護聖になりましたからね。もしや、と……」
「ああ、ルヴァ様。クラヴィス様は何か重い病気に罹ってしまわれたのですか?けれど女王陛下のご加護により、病気がないはずの聖地で何故、こんなことが……」
嘆き悲しむリュミエールに、ルヴァが優しい言葉をかけた。
「あ〜、リュミエール。少々厄介ではありますが、全然深刻な病気ではないんですよー。ジュリアスとクラヴィスはね、水疱瘡に罹ってしまっただけなんですよー」
「……水疱瘡……というと、子供が罹る病気のことですね」
「ええ、そうです。二人とも子供の時に病気のない聖地に来たものだから、大人になった今、罹ってしまっただけなんですよー。だから、心配はいりません。ね、安心してください」
「そうですか……よかった」
安堵の大きな溜息をついたリュミエールに、ルヴァが尋ねた。
「ところで、リュミエール。あなたは水疱瘡は終わっていますか」
「はい、ルヴァ様。赤ん坊の時に、水疱瘡も麻疹もおたふく風邪も風疹も終わっていると、いつか母に聞いたことがあります」
「そうですかー。では、あなたにいろいろとお手伝いしたいことがあるのですが、お願いできますか」
「ええ、もちろんです。私にできることでしたら、何でもおっしゃってください」
「ああ〜、それは嬉しいですねかー。ではクラヴィスをここに連れてきてくださいますか。その間に私は、病室の手配をしておきますから」
リュミエールはクラヴィスの執務室に行くために、急いでルヴァの執務室を後にした。
「……ルヴァ、私は何をすればいいのだ」
「ジュリアス。病人は病人らしく、おとなしく私たちの言うことを聞いてくれるだけで、いいんですよー」
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