〜第71回有機セミナー報告〜

私の農業改造計画構想

今回の報告者は館野広幸さん
館野さんには御自身の農業観や、農村での生活にまつわる話を、エピソードを交えながら聞きやすく話していただきました。


農と私との関わり合い
 私は農家の長男でしたから、親に「おまえは農業をやれ」と言われまして、農業を継いだんです。最初から何になるかが決まっているということは、効率が良いようですが、本人には意欲が沸かないことなんです。最初から農家になるということが決まっているから農家の長男は家を出たことがない。私は家を出たくて、大学は絶対に家から通えない山形大学を選んだんです。大学時代には草刈り十字軍にも参加しました。大学を出て農業を始めると大学で習ったことは全然役に立たない。ところが周りの人からは「大学をでたんだから、すごい作物を作るんだろう」といわれて、私が困っていても教えてくれないんですよ。


やっぱり、私は農業が嫌いだ
 農業は時間を自分のことのために使えると思っていましたがとんでもない。作物に自分の体を合わせていくんで、作物に追い立てられてしまうんです。最初は『ギャンブル作物』に手を出しましたね。ギャンブル作物とは、白菜などの市場で当たり外れの大きい作物のことをいいます。そのうちにギャンブル作物は嫌になりまして、堅実派といわれる茄子を作りはじめました。でも茄子は化学肥料を多く使うんですね。それで窒素が増えるとあぶらむしが出来るので、農薬を撒く。するとあぶらむしはいなくなるんですが今度はダニが出てきて、また農薬です。やっぱり農薬はいやだと思っちゃいますね。農業仲間が集まる毎に、『仕事も生活も楽しくない』なんて、みんなで愚痴のこぼし合いです。
 農業には自然の中で仕事ができるメリットがあるなんて思っていたら間違いです。農業経営で食べていこうと思う人は、ビニールハウスをどうしても建てなければならない。冬は暖房を入れますから30度くらいになります。で、雨は当然降らないですからハウスの中は砂漠と一緒なんですね。そうすると、外とは全く環境が違っていて春夏秋冬が全くないんです。そしてトラクターで仕事をします。トラクターは、整備された道路の上で仕事をするわけじゃないですからよく故障します。これでは農業をやっているのか整備をしているのか分からない。運転席が壁で囲まれたエアコン付きのトラクターだと、家から行って戻って来るまで、1回も土に触れることはない。テレビゲームのような農業です。だから、農業というのは実はとても不自然なんです。
 市場で野菜が高く売れるというのはどういう時か。それは良い作物が出来たときでなくて、市場の品の量が少ないときなんです。季節はずれや自然災害があったときなんかがいい。市場の品が一割減れば価格は2倍。2割なら3倍になります。そうすると、市場へ行く10回中9回は満足のいかない結果ですから、他人の不幸を祈るしかない。農業の現場はどこへ行っても満足出来ないものなんです。


農村―そのひとあじ違った社会
 農業後継者普及のための青年組織4Hクラブ(head,hand,heart,health)なんかも若い頃は、やりました。今は、民間NGOの成苗二本植研究会に入っています。ところが、こういった会に行くよりも一日家で仕事をしたほうが金になる、と、大体の農家は考えてしまいます。神社の氏子や寺の檀家へ帰属をせまる雰囲気もあります。
 農業で生きるのと農村で生きるのとはずいぶん違いますよ。私なんかは農村というアリジゴクにはまって、抜け出したがっているのに有機農業やりたいと脱サラしてアリジゴクに自分から入ってくる人もいるんですから、おもしろいものです。
 農家に入ると見合いの話を親戚や近所がもってくるんです。私も5回受けました。見合いを公式戦とすれば、恋愛はゲリラ戦ですね。身分を明かさなくていいですから。農村では[嫁→母→妻→個人]の順で女性は扱われますから、嫁が外に仕事に出ることは、家族にも地域にも堪えがたいことなんです。だから、私の妻は保母なんですが農繁期は家族も忙しいですから、子供を保育園に預けます。自分の子供を預けて人の子供を見に行くのは、どういうわけなんだという不満が出てくるわけなんです。
 成苗二本植えだと稚苗植えよりも20日ほど田植えが遅れます。そうすると周囲からも親からもいろいろ言われます。というのは出穂時期は揃えるか遅くするものだからです。鳥の集中攻撃を受けるからです。
 農村の人は周囲の人より、遅れることを好まないんです。


農民としてどう生きるか―編集者後記
 館野さんの話の中には、農村の抱える問題が切実に浮かび上がってきます。封建的家制度の中でやる気のでない構造。不自然で土から離れた市場原理の農業。農業で生きることと、農村で生きることの違い。女性の権利などです。問題のそれぞれがリンクし、問題の深刻さを増大させています。農業への希望、楽しい農業をイメージ出来ないことが、農村抱える一番大きな問題ではないでしょうか。それは、私達生物資源学類(つまり農学部)の学生が、農業を目指せない理由でもあるようです。館野さんは「有機農業の畑の土は微生物が無限に広がる世界。微生物の固体がそれぞれ影響しあいながら生きる場です。固体が自由に生きられる農村を造っていきたい。」おっしゃっていました。館野さんの立場は農村を内部から変えていく、というものです。
 私達が、農村を楽しくするために農村と関っていくとき、内か外のどちらの立場をとるかは、まだわかりません。しかし、いずれにせよ、詳しく知り興味を持って考えていくうえで、良い問題を示してもらったのではないでしょうか。
飯泉仁之直


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