気仙沼で見えた「つながり」


 昨年の11月に宮城県気仙沼市、唐桑町を訪ねた。気仙沼で行なわれた水郷水群全国会議に参加することが目的で、時間の制約もあり街を見たり、ゆっくり東北の雰囲気を味わうなんてことは最初から期待していなかった。

森は海の恋人運動
 はじめに水郷水群全国会議とは何か、なぜ気仙沼で行なわれたか、ということに触れておこう。水郷水群全国会議は1984年の琵琶湖における世界湖沼会議をきっかけに始まった。それ以後、毎年水問題に関わる市民団体、研究者、企業、行政の人々が集まり河川、湖沼などの水環境の保全と再生について議論し交流を続けてきた。気仙沼地方は上流の農民と下流の漁民が植林などの交流を行なう「森は海の恋人運動」が全国的に注目を集めている。「森と海の入り組んだリアス地形という地域の特性をどう活かして上下流、沿岸の水環境の保全と再生を計るのか」を問題にするこの地域で公共事業や環境教育、市民参加について考えようと今回の会議は気仙沼で行なわれた。
 気仙沼は遠洋漁業基地と共に、静かな湾内を利用した牡蠣などの養殖漁業も盛んな地域である。ところが近年になってどうも牡蠣の育ちが悪い。そこで、唐桑町で牡蠣の養殖を営む畠山重篤さんを中心に気仙沼湾に流入する大川の上流、室根山(岩手県)への植林が始められた。また、室根村の小学生を気仙沼に招くなど上下流の相互の交流も行なわれている。こうした運動の総称が「森は海の恋人運動」なのだ。

気仙沼市という街で
 渋谷からの夜行バスに揺られて7時間弱。朝はどしゃぶりだった天気も徐々に回復し開会式までの時間、街を歩いてみた。私は恥ずかしいことに気仙沼=漁港、程度の予備知識しかなかったため山あり、海あり、川あり、というリアス地形に驚かされた。狭い範囲にいくつもの丘があり、その傾斜は半端ではない。崩壊危険区域の看板やのり枠、擁壁もあちこちに見られる。それと同時に森、特に針葉樹の森が多い。戦後の拡大造林の名残かと思いきや意外に手入れが行き届いている。あれ、と思いつつも観光ホテルや住宅の立ち並ぶ裏道理を歩いた。そこである場面に出くわした。何でもない普通の住宅の裏で杉の切り出しが行なわれていたのだ。杉林といえば、今や売っても人件費にもならない、手入れが悪くて何の価値もないなどという困ったものだと思っていた。ところが漁業が主要産業という、林業とはいささかも縁のなさそうなこの街で、ちゃんと用材生産の役目を果たしていたのだ。何だか狐に化かされたような気分だった。

唐桑半島の暮らし
 その夜は気仙沼から車で1時間ほどの唐桑半島にあるユースホステルに泊まった。唐桑ユースホステルは今までに泊まったものとは一風変わっていた。お酒を飲ませてもらえるうえに、ペアレントさん(経営者)は話し好き、一風変わったヘルパーさんまでいたのだ。ユースの夜は早く寝ると決めている私もこの日は遅くまで話してしまった。
 海岸で見る朝日は素晴しいという話だったので眠い目をこすりつつ犬の散歩に同行した。唐桑村は日本中どこにでもありそうな農村集落なのだが、漁業を中心にしているためか区画整備された畑ではなく比較的小さな区画に何種類もの作物が植えられていた。狭いこともあってか畑で使われている鉄パイプも代わりに木が使われていた。また、多く見られた杉、檜の林も気仙沼同様によく手入れされた美しい人工林だった。海岸には早朝から昆布拾いが行なわれていた。波間に浮かんでいる昆布を長い竿ですくう昔ながらの手作業だった。
 気仙沼への帰りはせっかくなので船に乗った。気仙沼も漁港だったが船から見える唐桑はまさに漁村であった。海にはたくさんの牡蠣の養殖のための枠のようなものが浮かびあちらこちらの海岸に船が上げられていた。唐桑の人たちは木を使うために杉や檜を大切に育てていた。これは気仙沼も同じで、船を造るための木が欠かせない、だから林業が海の街にあるのだ。海の生活をよく知らない私は「船=木」ではなく「船=金属」のイメージがあった。しかし、海に浮かぶ、ことから海で木が使われるのは当然のことなのだ。

なぜ木を植えているのか
 気仙沼で切り出しを見たとき、私には海の街で林業があることがピンとこなかった。それは海では漁業、山では林業というイメージ、海があるから山での仕事をわざわざしなくてもいいだろういう思いがあったからだ。しかし、それは効率を考えるからであって、気仙沼や唐桑で見た林業はそれとは関係がない気がする。海の仕事に必要だから木を育てる、そんな理由でもいいと思う。そう考えると農業も漁業も全て必要だから始まったもので、経済も環境保護もはじめから存在していた訳ではないと言っていい。しかし、生きるために必要な活動がさまざまな産業を生み、そこから生まれた経済と言うものが本当に必要なものもそうでないものも一括りに扱うために環境や人間の思考が変に歪んでしまったのではないだろうか。

自分を取り巻くつながりの中で
 もし、日々の暮らしが自分の生活の範囲で造られていたならば、自分が多くのものに支えられていることを理解するのは簡単だろう。毎日食べる米を作った人、稲、田んぼの土。田んぼの水、水を運ぶ川、水を蓄えた森。これらが目に見えたならば、いかに多くのものと自分が関わっているか自ずと感じるだろう。ある一定の範囲内(たとえば流域)で物事が完結(循環)している状態ならば、一人一人つながりが明らかになり無駄のない自然な産業が成立しそうである。
 日本人は木を植えて(栽培した)使ってきた数少ない民族である。そのため日本の造林技術は世界でも屈指のものらしい。そんな国で林業が元気のない産業の代表になっていること自体、日本人の産業への考え方が歪んでいるということの証明みたいなものではないだろうか。
 自然や環境を考えることはとてつもなく難解でどこから手をつけていいのか、なかなか判らない。しかし、自分の生活を支える人の暮らし、暮らしに関わる自然と考えていくと自然環境は遠いものではなくて自分の近くにその糸口がいくらでもあるようだ。人工の物も生き物も全部つながって自分の生きている環境が出来ていることが当り前のようで案外見えなくなっていたようだ。
秋山怜子
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