地域・先住民・環境について考えた

−−−アウキ市長講演会報告−−−

山口 淳
 11月20日、私は横浜市戸塚の明治学院大学横浜キャンパスで開催された、「 アウキ市長歓迎シンポジウム」というイベントに参加した。
 このシンポジウムのテーマは先住民による資源管理、持続可能な開発、有機コーヒー、フェアトレードなどであった。

 アウキ市長の挑戦
 メインゲストは南米エクアドル、コタカチ市のアウキ・チトゥアニャ市長。コタカチ市で初めて選ばれたケチュア出身の先住民族市長である。97年にはエクアドルで初めて「生態系保全都市」を宣言し、先住民文化に根ざしたエコロジカルな地域発展の方向性を打ち出している。このアウキ市長による基調講演の演題が、「先住民文化の復興とエコロジー思想」ということで、講演内容は以下のようなものであった。

 1992年から、アンデス山脈西部にあるコタカチ市近郊のフニン という村で、エクアドル政府の要請を受けた日本の国際協力事業団(JICA)によって、銅の鉱床を探査する資源開発調査が始まった。その頃から、生活用水として利用されていた、村を流れるフニン川が、試掘によって流出する土砂や重金属を含んだ鉱さいによって汚染され、川で水浴びをした小学生が皮膚病に侵されたり川の水を飲んだ馬が死ぬといった異変が起き始めた。
 こうして資源開発調査が始まってから一度もきちっとした状況説明も、協議の機会も与えられなかった住民達の将来への不安は募り続け、最高潮に達した時、一部の住民達は、調査キャンプにある機材、資材の全てを持ち去り、木造の施設に火を放つという過激な行動に出た。(持ち去った物品は約二週間後にアウキ市長を通じて返還された。)これと並行して、アウキ市長はJICAの調査への協力の要請をかたくなに拒否し、経済発展最優先の経済システムではなく先住民も含めた地域住民のための、環境共生型の地域発展を主張している。それを具体化したものが、
  ・持続可能な農業
  ・工芸品など伝統文化に根ざした産業の開発
  ・エコツーリズム
  ・クリーンエネルギー開発
を四本柱とする生態系保全都市宣言なのだ。

 これを聞いて、かなり極端だが、これはある意味まさに理想の社会への第一歩だ、と思った。今の社会では、とにかく人々の幸福を測るのにGNPなどの一面的な指標に頼り過ぎていないか、と常々考えていた。そのために、農林業のような人間の根本に関わる産業が軽視され、より多くの富を生み出す工業が偏重されてはいないか。その結果世の中にはモノが溢れ、公害などの環境問題を引き起こすという、日本が何度も繰り返してきた過ちがなぜ今、遠い南米の地で日本の機関によって再現されなければならないのか。
 悲しいことではあるがしかし不思議と悲観的な気持ちにはならなかった。銅山の開発が進めば雇用の増加などによって金銭的な恩恵を受けるのは確かに地元民である(不当労働行為のような問題は別として)。しかし彼等は自らその道を断った。文明の恩恵によるひたすらに便利で楽な生活ではなく、昔から連綿と続いてきた、地に足をつけて自然と共に生きていく道を地元の生活者である彼等自身が積極的に選んだのだ。そして、多くの先進国が一度失敗しても未だにあきらめ切れないでいる経済一辺倒の発展を飛び越えて、持続可能な社会の芽が着実に顔を出しつつある。そういう風に考えたら自然と気持ちが明るくなった。

 歌を歌い、踊った
 シンポジウムに戻るが、一連の講演が終わると、オーストラリアのミュージシャン、アニャ・ライト氏による弾き語りミニコンサートが行われ、参加者全員が彼女の、自然と共に生きることの素晴しさを歌い上げる(日本語)美しく静かな歌声に聞き入った。彼女はミュージシャンであると同時に、オーストラリアのNGO、雨林情報センター(RIC)のスタッフで、マレーシアのカリマンタン島の熱帯林保護や反核運動にも取り組む活発な環境保護活動家でもある。しかしギター片手に訴えるように、祈るように歌う彼女の顔からはそんな事は想像もできなかった。
 その後、アウキ市長自らのギター演奏によるフォルクローレに似た民族音楽に合わせてみんなが思い思いの体の動かし方で踊るダンスパーティーが自然発生的に始まった。誰も彼もが、聞き慣れないが明らかにアンデス山脈を思い出させるメロディーに酔いしれ、「異文化」というものを肌で感じ取ったのではないだろうか。
 現在、開発の問題などを語る時にはとかく「文化の多様性」や先住民の生活は保護して残して行かなくてはならないものであるという考え方だけが先行しがちである。しかし、美的感覚や価値観は人それぞれであるのだからどうぞご勝手に、というような無責任な価値相対主義だけでは本当の意味での多様な文化の共存には至らないと思う。今後、国際交流などについて考える上でも心に留めておきたいことである。

 以上に述べたように、様々なことに気付くきっかけとなる、内容の濃いシンポジウムであった。
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