3年目の有機農業論

(報告・橘 泰憲)

有機農業論の希望
 有機農業論の1年目・・・失敗。(26号・27号詳述) この10年間、有機農業の研究と教育に全力をそそいでやってきたつもりが見事に空振りにおわり、もはやこれまでかと観念しかかったところに現われたのが、アメリカはアリゾナ州から「宮沢賢治を研究しよう」という志をもって留学してきたグレゴリーで、私の「有機農業論のテキスト」を見るなり「コノ有機農業論ニハ、希望ガアリマス。是非コノ授業ヲ聞キタイデス」と言ったのである。その一言で私はヨミガエルことができ、2年目の有機農業論を完結することができた。そして3年目・・・。

双方向性・創造性・向上性という呪文
 教育に限らず研究でも農業でもあるいはどんな仕事でもたえず気を付けなければいけないのがマンネリ化ということである。昨年度全力を出し尽くして有機農業論をやりぬいた私にとって今年度有機農業論に取り組むに当たってどのようなテーマを自分自身に課するのか、あらたなるモチベーションをどのように組み立てていくのかということが大きな問題であった。そこで有機農業ゼミのゼミ仲間といつも議論していた中で生まれてきたのが、双方向性・創造性・向上性という授業の目標であった。教育というものは教師が話したことを学生がおぼえるというような一方通行であってはならない。教師と学生が相互に交流しあう中で新しい学問を創造するというものでありたい。もし授業が創造的なものになることができたら、自分の中に新しい何かが創造されるということであり、それは自分自身が向上的に変わるということを意味している。そこで今年の授業の目標を双方向性・創造性・向上性とするということにし、私自身のモチベーションを明確にすることができた。

有機農業論の受講資格
 次は学生の番である。受講申請者は90人ほどいたが、過去2年間の実績からほんとうに聞きたい人に聞いてもらうことが、双方向性・創造性・向上性という授業の目標を実現するために必要であると考え、夏休み前に課題レポートを出した。(31号参照)
字数にして9000字以上という課題はいまの大学生にはかなり重いものだが、それをクリアーすることを有機農業論の受講資格としたのである。その課題を掲示板に貼りだしたとたん後悔した。受講者が一人もいなくなるのではないかと思ったのである。翌日ひとりの学生がやってきて「受講申請していなかったが、掲示を見たら受講したくなったので是非追加申請したい」と言ってきた。内心ホッとしたというのが正直なところである。実際に授業が開講されるとレポートを提出したものが20名、レポートは書けなかったので単位はもらえないが、どうしても授業が聞きたいというのが10名で3年目の有機農業論は9月4日にスタートした。

双方向性の現実化
 複数の人間が集まって何かをしようとするとき、それが一方通行のものであったり管理的、支配的、官僚的であるとき、ひとはそこでスポイルされる。
   (*注 スポイル−−−エネルギーを吸い取られて元気がなくなること)
 いまの学校教育の最大の問題はそこにある。もし双方向性ということを教育の場で現実化できたら、それ(学問をすること−−−学生は本来そのために大学にいる)は楽しいものになるに違いない。問題はどのようにして実際に双方向性ということを実現するかということである。そこで1年目からディスカッションの時間をたっぷりと取り、授業の最後に REACTION PAPER を書いてもらって双方向的に授業をやろうとしたのだが、ことはそう簡単には進まないというのもまた現実である。さあ自由に議論しなさい、さあ自由に書きなさいといわれても日本の学生はそういう体験を持っていないのでとまどってしまい、なかなか心を開いて本音で議論するというふうにはならない。それが1年目の失敗の要因のひとつであった。
 今年は受講メンバーが少なかったということもあり、「 REACTION PAPER のリアクション」ということで受講生が REACTION PAPER に書いた質問や疑問、意見または授業に対する要望などをまとめてプリントし翌週配布した。これが予期せぬ効果をもたらした。シェアリングである。ひとつの教室に集まってきたメンバーが有機農業論という新しい学問を一緒になって創造していくんだという意識を共有できるかどうかが授業の成否のカギをにぎっているが、それが回を重ねるごとに現実化していったのである。

内発的モチベーション
 このようにして双方向的な授業をつくることができたのだが、やはり課題レポートの果たした役割は大きかったと思う。双方向的な関係が成立するということはそこに共鳴現象が起きているということで、そのためにはお互いに波長を合わせる努力をしなければならない。教育の場がほんとうに学びたいものが学ぶものになっていれば問題ないが、残念ながら大学の現実はそうではない。そこで90人の受講申請者に「ほんとうに有機農業論を学びたいのか」と9000字の課題レポートという形で問いかけたのである。レポートが大変だからやめたという学生がたくさんいた。モチベーションの高い学生だけがレポートを書いて受講生になるということについては賛否両論あった。むしろ有機農業に無関心な学生にこそ有機農業論を聞かせるべきではないかという意見である。これについては私自身が「つくば有機セミナー」の活動を8年やってきて、いろいろな試行錯誤の結果たどりついた結論は「数よりも質」ということである。そしてその質を決定づけるものは内発的モチベーションということである。「学びたいものが学ぶ」これをこれからも有機農業論の基本姿勢にしていきたいと思う。

有機農業論の国際化とオープン化
 有機農業論の2年目。金髪で青い眼のグレゴリーが教室の一番前で熱心に私の授業を聴いてくれた。これが教室全体の雰囲気によい影響をもたらした。3年目の今年は、やはり金髪で青い眼の美しいアメリカ人女性が第1週目の授業に突然あらわれて、最後の週まで聴いてくれたのだが、その受講態度はとても熱心で真剣なものであった。彼女は日本語はよくわからないが、教室で受け取るエネルギー(波動)から授業の内容はよくわかるのだと言う。ここに国際交流の本質があるのではないだろうか。英会話やインターネットなどの手段にふりまわされるのではなく、それぞれの日本人が伝えたいものの核心をしっかりと持つことが必要なのだと思う。
 また今年は東京から午前7時発の「つくばセンター行」の高速バスに乗って参加する受講生が3人いた。わざわざ大学の事務局に2単位分の受講料2万5千円を払って聴きに来てくれたのである。私のところへは関東地区の大学にかぎらず、北大や岩手大、新潟大など全国各地の農業系の学生が「有機農業を学びたい」といって訪ねてくるが、これからの大学は個別の大学という垣根をこえたオープンなものになっていく。遠隔地の人は物理的になかなか聴きに来れないのが現実だが、授業はすべてビデオテープと録音テープに記録されているので、聴きたい方は申し込んでほしい。

 さらに栃木県の農民の館野さんが「農民のための有機農業論が聴きたい」といって1時間半かけて昨年と今年、2年連続(リピーター)して授業を聴講してくれた。私にとって授業のリピーターほど有り難いものはない。リピーターがいれば昨年よりも深い内容にせざるをえないから私自身がエンパワーされることになる。またディスカッションのなかで農業の現場にいるものの立場から技術や流通、農村の生活問題などたくさん語ってくれたことは他の受講生に大きな刺激になった。今の大学は教員と学生だけにまかせていたのでは自己改革はできないと思う。このように国境の壁や大学の壁をのりこえて大学がオープン化することが大学を生き生きしたものにし、内発的なエネルギーによる自己改革を可能にしていくのではないか。3年目の有機農業論が国際化とオープン化をさらに現実化できたことは学問と大学の未来に新しい希望を与えたと思う。

有機農業論・98・時代
 1998年の有機農業論のテーマは「時代」であった。オープニング・ミュージックとして中島みゆきの「時代」を流し授業は始まったのである。また今年のテキストの表紙から昨年度まであったキャッチコピー「有機農業はいずれ世界を席卷する」をはずした。なぜなら時代はすでに「有機農業の時代」だからである。時代はまさにめぐっているのだ。アインシュタインは「われわれがつくりだしてしまった問題(トラブル)をそれをつくりだしたのと同じ思考の枠組みで解決することはできない」といっているが有機農業を現実化するためにもっとも大事なことがそれである。思考の枠組みの大転換、パラダイムシフト(構造改革)がいま大きなスケールで進行している。この時代状況が有機農業論を真剣に受けとめて理解してもらえた最大の要因であった。
 文部省・大学審議会はいまの大学のレジャーランド化が目に余るということで2000年度から「出にくい大学」にするよう各大学に通達した。今の大学は「出やすい大学」だから成り立っているのであって、「出にくい大学」にしたら一瞬にして崩壊するだろう。学生にとって一番大切なことはモチベーションであって、何を学びたいか、どう学びたいのかがはっきりしていれば、大学に籍があっても、あるいは籍がなくても学べるものである。いま大学にとって必要なことは「出にくい大学」ではなくて、学ぶことに喜びを感ずるような「楽しい大学」であると思う。

1年目の資源植物栄養学
 今年度から資源植物栄養学(3学期開講12月〜2月)という授業科目を担当することになった。私としては有機農業論の各論として位置づけ、有機農業のための植物栄養学にかぎらず、農業技術の問題を幅広く展開していきたいと考えている。受講申請者は70名ほどあったが、セミナー形式でやるために20名に制限することにした。有機農業論の受講者は無条件で受講できることとし、新規参入者は10000字の課題レポートを提出してもらった。そうやって12月4日に1年目の資源植物栄養学はスタートした。有機農業論の方は毎年授業を立ちあげるのに苦労し、それなりの工夫を必要とするのだが、こちらの方は新規参入者が9名もいたのに、非常に高いレベルでスムーズに立ちあげることができた。これがひょっとしたら伝統というものではないだろうか。10年前に始めるときに、筑波大学に有機農業の研究と教育の伝統を根付かせるのだという志を立てたのだが、やっと根付いたという実感をもつことができた。
 1回目の授業が終わった後、一人の学生が研究室に訪ねてきて、いままで受けてきた授業の形とあまりにも違うのでとまどってしまったこと、いままで教わってきたことと正反対のことが議論されていて頭では否定し拒否しようとするのだが、体が反応して受け入れてしまうと話していた。私は授業の目標として「なにかを覚える授業から、なにかを感じ、なにかを創りだす考える授業」というスローガンを掲げているが、体で感じる授業こそがほんとうに身に付いた学問になっていくのだと思う。
 植物の栄養という問題をベースにして農業にかかわる様々な問題を、受講生のひとたちとしっかりと向き合って議論し、新しい学問と楽しい授業を一緒に創造していきたいと願っている。
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