教 育 実 習 な の だ 

農学研究科3年 建元 喜寿


 1998年6月1日から13日までの2週間、母校の岡山県立林野高等学校で教育実習がありました。今回はその様子と、この2週間のあいだに感じたことを書こうと思います。


あれから1年

 教職を取り直そうと決意してから1年あまり。必修単位の山を乗り途えて、やっと教育実習までたどりつきました。去年の今頃、必死で単位を取っていたのを思いだし、いや〜よく頑張ったもんだとひとり感概にふけりながら、久しぶりに母校の門をくぐりました。私の母校である岡山県立林野高等学校は、創立してから90年あまり、歴史の古い普通科高校です。校風はのんびりとしていて、田舎のいい感じの高校といったところです。高校までは自宅から約35h。高校時代はバイクかバスで1時間かけて通っていましたが(僕の愛車ヤマハジョグは、スク一ターのくせして冬季はスパイクタイヤを装着していました)、同じ道を2週間、今度は教育実習生として親父の車を借りて通いました。


本来、生物はおもしろい!

 教育実習にあたり、僕は授業の中でやりたいことが2つありました。まず去年から教育実習の時のためにと撮り貯めていたカナダでのスライドを見せること、そして生徒たちに身の回りの生き物をみせることです。とかく生物は、暗記の科目だと言われますが、生物の授業は本来、生き物の素晴らしさを感じたり、おもしろさとか深求心をかきたててくれるものだと恩います。しかし、今の高校の授業は必ずしもそうではありません。そこで、指導教官の先生に思い切って自分のやりたいことを相談してみました。すると先生が「よっしゃ、明後日の生物の時間をやるけ〜、自分のやってみたいようにやってみんちぇ〜。」と、生物の時間に特別にカナダのスライドを上映することになりました。指導教官の先生の懐の深さに感激しました。


英語はコミュニケーションの手段

 授業ではロッキー山脈の国立公園ジャスパー、バイオダイナミックファームの農場、韓国の友達とであった英語学校でのスライドなどを、自分が感じたことを話しながら、見てもらいました。自分が体験してきたことなので、2年近くたっても溢れるように言葉がでてきたことに、自分でも何か、お〜すごいと思いました。このカナダのスライドで伝えたことは、まず英語はコミュニケーションの手段であり、受験のためにあるわけではないこと、新しい人に出会ったり、知らない世界を知ることはすごくすぱらしいこと、勉強は本来おもしろいもので自己実現のためや、自分を向上させたり、自分の可能性広げるために大切であるという事です。こう書くと、お固いスライド上映だったように聞こえますが、硬軟おりまぜ、お笑いあり感動ありの50分でした。生徒にあとで感想を書いてもらいましたが、「今まで、受験のために勉強してきたけど、そういう考えがあるんだと初めて知った。」と書いてくれた生徒や、「はじめは、次の時間のテストの内職をしようと恩っていたけど、途中でやめてずっと聞いていた。」と書いてくれた生徒もいました。


これみたことある?

 教育実習ではスライドを3回、通常の理科の授業を5回担当しました。通常の授業では体組胞分裂と染色体、発生の単元に当たりました。このなかで身近な生物を見せるためにはどうするか考え、毎回授業のはじめの5分間、1日に1種類、授巣内容とは関係なく、あるいは無理にこじつけつつ、植物を教室に持ち込んでみんなに見てもらうことにしました。僕が紹介したのは、校門にある大木のクスノキ、道ぱたに咲き乱れるヒメジオン、そして元は親賞用だったジャガイモです。クスノキは、葉中に樟脳(防虫剤の成分)を含んでいるので、葉っぱを揉むととても臭います。生徒に1枚1枚葉っばを渡し、触れたり嗅いだりしてもらいました。「先生、私虫じやないで。」とか、「う〜くせ〜。」といいつつ、みんなけっこう楽しそうにやっていました。クスノキは、校門の所にあってみんな必ず毎日見ています。生徒に「この葉っぱ見たことある?」と聞いてみると、誰も分かりませんでした。ただ前を毎日通っているだけでは、クスノキは風景の一部で、校門にある大きな樹ですが、ちょっとだけ目線を変えてみると、身の回りには面白いことが転がっていると話しました。ヒメジオンにしても、今ではそこら中にありますが、実は明治時代に開園とともにアメリカから渡ってきたものです。ジャガイモも地面の中ではイモができ、地上にはイモからは想像できない可愛い花をつけます。そんなことを喋りながら毎回授業を始めました。
 さすがほ田舎の高校、ジャガイモを紹介した授業では、花の部分だけ摘んで花東にして持っていったんですが、ジヤガイモだと分かった子がいて、ご褒美に朝とれたてのジャガイモをプレゼントしました。おもむろに、教壇の下に隠し持っていたイモを出すとみんな嬉しそうな顔をしていました。


本当に嫌いか、自分の勉強不足か?

 教育実習では、最後の締めくくりとして、校長先生をはじめ大部分の先生方が参観される研究授業があります。研究授業のテーマは、授業の進度から卵割を担当することになりました。受精卵が、細胞分裂を操り返して分化していく過程を発生といいます。この発生の始めに、どんどん細胞分裂を繰り返す時期があって、それを卵割と言います。何を隠そう、僕はここが高校生の時に一番嫌いでした。なぜかというと、この卵割のところは覚えることが多く、当時暗記しろ暗記しろと言われて、興味が何も持てなかったからです。指導教官の先生に相談してみると「本当に嫌いと恩う前に、自分の勉強不足ではないか考えてみて。生物の巧みさが分かると、面白くなるから。」とアドバイスを受けました。桂かに、高校の時に、暗記ぱっかりで卵割のすぱらしいところを見つける前に、僕は卵割を嫌いになっていました。勉強してみて分かってくると、これがふぎなもんで、結構面白くなってきます。そうしたらしめたものです。先生の一言が、僕の内面をいい方へ導いてくれました。


理科教材の自給自足

 自分が嫌いになったように、生徒に卵割を嫌いになって欲しくなかったので、授業をどうすれぱいいか一生懸命考えました。それで、卵割ではカエルがよく使われますが、田んぼから卵、オタマジャクシ、そしてカエルを捕ってきて、実物を見せながら、わずか1つの細胞である受精卵から、卵割をへてカエルになることを感じさせようと、授業当日の朝、自分とこの田んぼから、とって学校に持っていきました。朝5時に起きて、田んぼで素手で手掴みでオタマジャクシやカエルを補ってきたことを話すと、生徒たちは「先生、ワイルドじやな〜」といって喜んでいました。撲は、生物を教えるのに高価な教材など必要ないと恩っています。身の回りから学べることはたくさんあります。将来先生になれたら、教材の自給自足をしたいと恩っています。今回の教育実習でも、クスノキ、ヒメジオンは学校のまわりから、ジャガイモはうちの畑から、カエルはたんぼからとってきました。身の回りのものを実際に見て、触って生徒が喜んでくれたので嬉しかったです。


卵割からから環境ホルモン

 さて研究授業では卵割から環境ホルモンの話をしました。ホルモンの影響を卵割とからめ、生物は分化の途中など小さいときに特にうけやすいこと、体の中に化学物質が蓄積していること、プラスティック容器に熱いものを入れるとリスクが高いこと、とにかく体内に入ってくる化学物質の量を減らし、体内を浄化するしかないことなどを伝えました。数名は寝ていましたが、ほとんどの生徒が50分間一生懸命聞いてくれました。おそらく生徒が求めていたことに近いことができたのではと思います。そして、思いがけなく最後に生徒から拍手がおこりました。このときはとてもうれしかった。あとからある生徒に、「先生みたいな授業は初めてだった。」と言ってくれて、僕と生徒との間にいいものが創造されたのだと思いました。


あたりまえのことをあたりまえにやる

 第68回の有機農業セミナーでは、教育についてがテーマでしたが、そのなかで本来の姿ということがキーワードとして何皮も登場しました。生物の授葉の本来の姿を考えると、やはり生物が身近に感じられなけれぱならないと恩います。しかし、現在の教科書中心で生物に触れることも少ない生物の教育は、本来の姿ではないと恩います。本来の姿ではないから、生物が嫌いになったり、生物をつまらないと感じ、ひいては生物の尊厳を感じない子供が増えるのは当然の結果と思います。
 僕は今回の教育実習で、何も特別なことをやったとはこれっぽちもおもっていません。本来こうあるべきだと思う事を、ただあたりまえにやったにすぎないのです。僕は、経験が不足しているので、授業展開や話術に稚拙は所は多々ありました。しかし、僕が自分も面白いし、生徒もきっと喜んでくれると思い準備した教材のなかで、生き物に触れていた生徒はとても生き生きとしていました。


こどもたちは素晴らしい

 教育実習をやる前までは、生徒がそして学校現場がどうなっているのかとても不安でした。しかし、生徒と時間の許す限り接している中で、生徒は素晴らしいと恩いました。また、大人のことをよく覚えているし、大人たちを映す鏡というか、子供はすごい正直で、こっちの行動に敏感だと思いました。僕が授業の準備が不足していたり、つまらないと恩って喋っていたところは、ものの見事に生徒たちも寝始めたり、苦痛そうな顔をしていました。そこに先生を目指すことや親になる事への責任や、ある意味恐しさも感じました。マスコミなどは景近、子供たちがおかしいといっていますが、ただ子供は今の社会や家庭環境、学校、地域など自分が生きている環境を素直に感じ、そしてそれに対してサインを送っているのだと恩いました。


教育の未来、まだまだいけるさ!

 2週間教育実習をやってみて感じたのは、大丈夫、既存の高校でもまだまだやれるさということ、そして教育に充分未来があるということです。もちろん、母校の生徒はよく聞いてくれて、また教育実習生だからやりやすかった部分はあるし、当然問題はたくさんあります。うちの高校では、帰りのホームルームの前に、ほとんど毎日なにかしらテストがあり、生徒たちはうんざりしていました。また、校門では生徒指導が行われ、髪の色、ピアス、制服の着方、鞄を持ってきているかのチェックをしています。衣替えが終わったあとに、寒くなって冬服を着るときは、担任の先生の許可がいるなんてのもあります(これでは、生徒の自主的な判断能カを失わせてしまう〉。後輩が、中学校で先生をしていますが、そこの生徒は授業中にタバコを吸いはじめ、先生の車を壊してあぱれ行方不明になったという、マスコミで聞いていただけのことが、僕のまわりにも実際起きています。
 研究授業の反省では、「君の授業では、大学受験を目指す普通科の高校としてはだめだ」という事も言われました。しかし、僕は受験が全てをおかしくしていると考えているので、受験したいところがきまっている生徒には、そういう対応もしてあげたいし、しなけれぱならないけど、つねに良い授業、本来こうあるべきだということももって頑張っていこうと思いました。
 先生は、とにかくいっばいいろんな事を知っていないといけません。人に教えると言うことは、大変だと思いました。まだまだ勉強不足なので、子供たちの質問に答えてあげられるようにこれからも勉強していこうと思います。
 今回の教育実習が成功したのは指導教官の先生に、「悔いのないように、思う存分やって下さい。君が帰ってから授業の補足は僕がやるから、自分が試してみたいことを、好きなようにやってみて下さい。生徒に生物のおもしろさを伝えて下さい。」と、はじめに言っていただけたことです。この言葉は、実に実にすごい言葉だと思います。先生は5年目ですが、上司の先生が「塾に負けんよーに、なめられんよーに、詰め込んでもっとやらんといけん」といっても、「いや先生、それは違います」と面と向かって言える人です。こんな先生がいる限り、日本の教育にも未来があると思います。



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