フレッシュマン特集



<はじめに> 筑波での生活にも慣れ新一年生もそれぞれが様々なサークル活動をしはじめました。私達つくば有機農業新聞には四人の新しいメンバーが加わりました。そこで今回はこれからの大学生活への夢や希望をテーマに各自の思いについて語ってもらうことになりました。そして今回を基盤とした上でこれから先自分がどのような大学生活を送るか常に振り返る場になれればと考えています。

◆感謝と尊敬で一杯!
池田 理恵 (水戸農業高校出身)

 『生きていく上で必要なものは水と大気と目標だ』この言葉は私の高校時代の友達が進路を決めるときに書いたものである。いつもふざけ合っていた友達であったがこのときばかりは偉大な人に思えたのを覚えている。高校三年生というのは、どこの高校でもそうだとは思うが進路に悩むときである。しかし進学高校と違う所が農業高校にはある。それは就職という大人の仲間入りをする人が多いと言うことである。

 筑波大で生活するようになり色々な友達と話す事が出来た。その中の一駒であるが『進学高校に入ったら上の学校を目指すしかないんだよ』と言うことを聞いたことがある。上の学校とはつまり大学、専門学校を指している。現に進学高校では就職した人がほんの少ししかいないというのだ。そして話しを続けて行くうちにがっかりさせられた言葉を聞くこととなった。その言葉とは『筑波大まできて製造業など偉い人にこき使われるような職業には就きたくない』というのだ。これはあきらかに製造業に対して偏見の目をもっていると感じた。このエピソードがなぜ私の夢や希望につながるのかを次に述べようと思う。

 高校時代私は、食品化学科という科の特色を生かし味噌やそばなど原料から製品になるまでの実習をすることが出来た。私達が日常生活する上では、製品は知っていても作り方や原料を知らないものがたくさんある。そばが小さな三角の実からできていることや、味噌作りにおいて忘れてはならない『こうじ』の作り方など 私にとっては初めて 知るものばかりであった。私自身高校になるまで作り方も知らないものを食べていたと思うと恥ずかしく思えた。しかし普段当り前のように口にしているもの作っている人達に、感謝の気持ちと尊敬する気持ちで一杯になることが出来た。だからこそ『製造業なんて』と偏見の目をもっている人達にも知って欲しいと思うようになった。
 大学生活がはじまった今、私の掲げるテーマは『作る、生み出す』ということである。何かを生み出すというのはあまりに範囲が広すぎるかもしれないがその何かはこれからの大学生活でみつけ出していきたいと思う。文頭でも書いたが目標が一つあるだけで人は輝いて生きることが出来ると私は思う。



◆自然の恵
山口 淳 (埼玉県立所沢高校)

 私が筑波大学の生物資源学類に何を考えて入学したのかということを思い出して見ると、今自分で意識している、学ぶ目的というものとは大きくかけ離れていることに気付く。今もそうだが、入学前、私は環境問題や南北問題というものに強い興味を持っていて、現代の人間社会で起こっている様々な問題の解決のために働きたいと思っていた。そしてそのための具体的で実際的な知識なり技術なりを身に付けたいと考えてここを選んだ。

 そのような、以前の抱負が揺らいだ、というか変わり始めたのは、入学して色々な経験をするようになってからだ。どう変わったのかというと、なぜそのような問題が生まれてしまうのか、という根本的な原因により強い興味を持つようになっていった。その最大のきっかけの一つは環境問題に取り組むサークルに入ったことだ。大学内や地域で環境問題解決を目指す活動の中で、市民一人一人の意識が変わらない限り問題は解決しないのだということを実感し、無力感に打ちのめされたりもした。また、ひえの会という畑のサークルにも入り、畑を耕さなくても、おびただしい数のみみずや虫や、目には見えないがおそらくいるであろう微生物のおかげで驚くほど土が肥えている様子を目のあたりにして、やはり人間も自然の恵によって生かされているのだと実感したりもした。

 こうした生活のなかでつくづく考えさせられるのは、人間の本当の幸せとは何なのか、ということだ。今起こっているほとんどの環境問題は、豊かさというものを取り違え、物質的な豊かさのみを追い求めてきた結果だと思う。労働の手間を惜しみ、自然との接点を断ち切ってきた結果が、農薬を多投する近代農業であり、燃やすとダイオキシンを発生する大量の使い捨て製品であった。こうして得たおそろしく便利な生活よりも、自然の循環の中に身を置いてそこから生きるための必要最小限のものだけを感謝しながら受け取るという生活の方が本当に豊かなのではないか、ということを誰でも実感できる一つの切り口が有機農業なのだろう。この学生生活の中で私は、そうした自分の考えを決して机上の空論では終わらせず、自分自身のライフスタイルと照らし合わせて検証していきたい。


◆人の役に立つ仕事とは?
栗田 暁子 (東京都立富士高校)

 フレッシュマン特集ということで、皆で自分の興味について、話しあった。「どういうことを学びたいの」という問いに私ははっきり答えられず、あらためて自分の興味の統一性のなさに気がついた。だからこの文章を書くに当たって、まとまりが無くなってしまいそうなことが気になるが、とりあえず今私の興味ある分野とそれにまつわるエピソードを書いて見ようと思う。

 まず、小さい頃から憧れていたのが、青年海外協力隊である。小学生の社会の教科書に、東南アジアやアフリカで、食糧食物の栽培や、森林保護のために植林を行っている日本人の写真があって、つよい憧れを抱いた。真っ黒に日焼けした肌に、充実感にあふれた笑顔が印象的で、「人生を世界の人々のために捧げるなんて、すばらしいなあ」と小さいなりに感動したことを覚えている。

 中学校、高校時代は英語が好きで、一時期は外国語学部に入って外国語を利用した職に就こうかと考えていた。短期の留学でオーストラリアに行ったとき、地方の大農場や牧場で生活して人々の素朴さと実直さと、自分達の生活に満足しているという雰囲気に触れ、とても楽しい時を過ごした。そのときつくづく自分は都会よりも田舎があっていることを感じた。オフィスの中で通訳をするより、草に触れ、土に触れ、自然に関わる仕事をするほうが、私には向いていると思ったからだ。でもやはり英語が好きで、外国に出て仕事がしたくて、その二つの希望をあわせて考えた結果、農業派遣員になり、海外に行くことが一番合っているという答えが浮かんできた。大学で農学全般を学び、知識をつけ、そのうえで英語を頑張っておいて、卒業した後、発展途上国に出向く。という事が一つの夢である。

 また、もう一つの別の興味は、新しい食品の開発である。それも菌類による発酵などを用いた健康増進に役立つ食品に特にひかれている。興味を持ったきっかけは、ラジオで ”くさや” の話しを聞いたことである。くさやとは、伊豆大島原産の干物の一種で、開いたアジなどをくさや菌の入った塩水につけて、天日に干すとできる。その塩水というのは、毎回同じ物を使うので、家ごとに何十年も受け継がれている古液があるというのだ。驚いたのは、くさやが単に体の健康に良いというのだけではなく、例えば擦り傷などの外傷にも効くという。古い塩水の中で、くさや菌は非常に強く、圃かな悪玉菌を殺してしまう。だからその液には善玉菌であるくさや菌しかいないらしい。非常におもしろいなあとひかれた。その時から次第に、微生物の関わっている食品に目がいくようになり、チーズ、ヨーグルト、納豆、醸造酒などがとてもおもしろく思えてきた。 外から栄養を加えて健康食品にするのではなく、素材の持っている本来の成分を菌の働きでより有効にしてゆく、こういったメカニズムを学んで、もっと素晴しい物を開発したいと思った。以上の二つが現在の興味ある分野である。

 何だか全く共通性が無いように思っていたが、実は大きいところでつながっていることに気がついた。それは、”人の役に立つ事がしたい”ということである。まだはっきり将来が見えている訳ではない。いや今はまだ全く見えていない。でも今回この文章を書いたことで少し自分の方向が整理出来た気がする。次回また同じ題材で文章を書く時、私はどういう専門を志すようになっているのか、楽しみである。


◆視点をたくさん持つ
高橋 恵 (基督教独立学園)

 私は林業について学びたく生物資源学類を選択した。動機は、簡単に言うと高校時代にブナ林に入って感動し、また、里山の利用などに関心が深まったからである。日本はこれだけ木が多い国なのに、木材供給の8割を、外国からの輸入でまかなっているということも不思議に思っている。自然保護と木材生産との関係も学びたい。これらのことが、私を生物資源学類に導いた。しかし、最近は、専門的な学びを始める前に様々な準備が必要になってくることを感じている。

 『生物資源学類の位置づけは?』『大学の位置付けは?』これらの問いが、入学してからしばしば私の耳に入って来る言葉である。それまでは考えもしなかったことなので、考えこんでいる毎日である。どうやらこれらの問いは、これから大学生活を更に深めていく私にとって重要であるようだ。今までの大学のイメージというのは、職に就くための通り道というものだった。しかしながら、大学という一つの組織は、単に職業訓練だけではない。最近ホームルームで『知の技法』というのを読んでいる。これは1994年に初版で、続編の『知の論理』『知のモラル』と合わせて70万部売れた。この売れ行きの背景には総合的判断力や批判的思考力、偏りのない知識などをもつ学生を育むための教養教育が薄れてきてしまっていることが影響しているらしい。薄くなってしまったために、それを埋めようと何かが求められていた。そこに『知の技法』があたったようだ。こんな話を聞いたことがある。一人の科学者がいた。彼はDNAに大変詳しく、あるDNAを見せたところ『これはツバメですね』と答えてしまうほどである。ある日彼は博物館に招待されて鳥類の場所にいった。ところが、ツバメは置いてあったのにさっぱり分からなかったという。この科学者は、ツバメのDNAは知っていても、ツバメという鳥は知らなかったという話。笑い話のようだが、私は知らず知らずのうちにこの科学者の様になってしまうのではないか、という思いが頭の中をよぎった。4年間の大学生活をどの様に送ればいいのだろう。

 戦前の教育制度(6ー5ー3ー3制:現在の大学に当たるところは専門的な分野を学ぶのではなく、人文、社会科学、自然科学などの総合的な力を着けていた。)を実体験として知らない私にとって、これらのことはなかなか理解しにくい問題である。実社会でも働いたこともないのでなおさらだ。戦後の教育制度改革で教養教育が薄れてきているとはいえ、大学への進学率は上昇傾向であるし、就職率も大卒のほうが高いのが現状である。現代というのは本当に勉強がしたくて大学に来るという時代ではないのかもしれない。大学というブラックボックスの中に入れば、まあ普通には社会に通用する人間になれるだろうという考えが無意識のうちにあるのかもしれない。大学に入って一安心という人も多いだろう。  

 私はこれから、自分の位置というものを確認し直さねばならない。この問題は冒頭に挙げた問題と同じく、今、私の前に突き出されている問題である。これを解決していくには、まずは大学の枠にとらわれない自由な考え方を身に着けていくことから始まる。教養教育が足りないといわれる現在。問題意識、私でいうならば林業について、様々な角度からの知識をこつこつと積み上げていくしか道はないであろう。そのうえでこの筑波大学を、多いに活用していきたい。


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