「土の団粒構造」

〜第67回つくば有機セミナ−報告〜



 前回のセミナー参加者が80名をこえ、会場の混乱をさけるために、今回から申し込み制とした。今回のテーマは専門的でもあり最大60名ほどの参加を見込んでいたのだが、意外なことに前日までに100名をこえる申し込みがあった。なぜこのテーマがこれほど受けたのか。ここに今の日本農業の混迷と農業研究の根本的な欠陥があると言わざるをえない。「土の団粒構造」ということは誰でもいうが、ではどうしたら団粒構造の土になるのか。堆肥を投入していればいいのか。農水省は「有機農産物表示ガイドライン」という一遍の通達を出し、無農薬、無化学肥料でつくりなさいというが、どうしたらできるかは教えてくれない。これまで量さえとれればいい、外見さえ良ければいいということでやってきて、今度は質が問題だ、安全性だといわれても、農業生産者としてはとまどってしまうのが正直なところではないか。それで「土の団粒構造」ということなのだが、その実体は腐植コロイドミセルだということである。しかもそれは生物的作用によって形成されるものだから従来のケミカルな土壌観では十分に理解することはできない。ここでも「新しい思考の枠組み」が求められているわけで、それは残念ながら「官」にはなく、民間農法のなかにある。今回の報告者の小林寶治さんの話は、すでに20年前に無農薬のブドウ栽培を確立したという実践に裏づけられた「団粒構造理論」というところに眼目がある。今回のセミナーの吸引力の源泉はそこにあったのではないかと思う。

小林寶治さんの団粒構造理論
 戦後の官制農学は「リービッヒの無機栄養説」で組み立てられていてN・P・Kを元肥としてどんどんやればよいということでやってきたのである。しかも肥効はもっとも少ない養分によって決まるという最少養分率なので、どうしてもやり過ぎになる。不思議なことにやり過ぎの害ということをいいはじめたのは最近のことで、農水省と肥料会社が結託して日本の土をメチャクチャにしたといっても過言ではない。さらに日本の土は酸性土壌なのでそれを中和するために石灰を施用する。私が耕しているとなりの畑で石灰を撒いているので、「どうして撒くんですか」ときいたら、「撒くことになっている」という返事がかえってきた。撒くことがクセになってしまっているわけでである。もちろん中和するために撒くということは知っているのだが、小林さんはよかれと思って石灰を撒いているのにブドウの樹がだんだん弱ってくるのに気づいたことが、今日の独自の小林理論を確立するきっかけだったという。このことは指導機関のいうことをうのみにするのではなく、一つひとつの技術を自分の目で確かめながら体得していくという姿勢がなによりも大切であるということを示している。

小林理論のオリジナリティ
 土壌は腐植コロイドミセルであると見ぬいたところに小林理論の出発点がある。小林理論にもとづく土つくりとは腐植コロイドをつくることであり、しかもそれは両性イオンコロイドでなければならない。そのことにより陽イオンと陰イオンをしっかりとつかみ、保肥力の大きな土となる。そのためにはケイバン比(Si/Al)の大きい粘土であるモンモリロナイトを投入すればよいということになる。くわしいことは小林さんの書いた粘土農法(農文協)を読んでいただきたい。

学問の産直
 私の研究室の扉の内側に「学問の産直」と書いた紙が貼ってあって、それを見た訪問者は様々な反応を示し興味深い。まさに私がめざしているのはそのことなのであって、わたくしが畑にこだわって、毎日土をいじっているのも私自身が直接、農業の現場からでてくる学問の生産者でありたいと思うからである。できたてのホヤホヤの農業の学問を直接お渡しする、それが「つくば有機セミナー」であるといいたいのだが、なかなか生産がおっつかないので、いろいろとみんなの力を借りながらセミナーを続けているというのが実情である。セミナーのうわさをきいてテープを送ってほしいと言ってくる人がいる。それが友人なら喜んで送るのだが、見も知らぬ人(不特定多数)からだと逡巡してしまう。電話口でモゴモゴしていると「金ならいくらでも出す」という話しになったりして、「ああ、これだな」と。つまり今の世の中は金で何でも買えるというシステムになっている。しかし「金では買えないものがある」というのが「つくば有機セミナー」の主張であり、有機農業運動の主張だったのではないかと思うのである。

消費されるセミナーから創造するセミナーへ
 67回も有機セミナーを続けていると、いろいろな事がおこる。何といっても1996年度に開講された有機農業論は「つくば有機セミナー」が生んだ傑作であろう。もしこのセミナーがなかったら有機農業論はこの世に存在していなかっただろう。
 67回分のセミナーテーマ一覧表と有機農業論のテーマを見比べたら、一目瞭然である。まさに「創造するセミナー」であった。ところがここ2、3年セミナー参加者が増加するにつれてギクシャクするものを感ずるようになった。それは有機農業論の授業で私が感ずるものと同質(相似)のものである。それは参加者の意識が受け身のものであり、消費的姿勢であることからくるのではないだろうか。3時間以上にわたるセミナーを集中して聞けるのは参加者の中で何かが創造されているからで、そこにこそ学ぶことの意味と本質がある。そのためには継続して学んでいくことが必要で、次回からセミナーを完全会員制にする意図はそこにあり、セミナー会員の一人ひとりが創造的なライフスタイルを確立していくことを願っている。       




第67回セミナー「土の団粒構造」Q&A


 先日のセミナー(67回)での小林先生の話は大変ショックな内容でした。さっそく「粘土農法」(農文協)の本を買って読み、200袋ほどサンラテールを購入しました。
 いくつか質問したいことがでてきましたので、よろしくお願いします。
(千代田町・竹村慎一)

質問(1)コロイドから離れたH を戻すために硫安を使うということですが、有機的なものでこれに変わるものはほかにないでしょうか。

 まずサンラテールは万能資材ではありませんから、いま畑の土がどういう状況にあるかを自分なりに把握し、それをどのように改善したいのか、使う目的をはっきりさせることです。硫安を使うのは、いまの畑が塩基(アルカリ・K・Na・Ca・Mgなど)過剰となっていて、それは電気的な強い結合のため大量の水を流したくらいではクリーニングできないので、硫安で塩基置換しながら、とくに一価のK、Naを土から外していくのが目的なのです。
 硫安に変わる有機資材はないかという質問は、有機農産物のガイドラインでは硫安の使用が禁止されていることから来ているのだと思いますが、われわれが有機農業という意味は、単に化学肥料や農薬を使わないということに矮小化されるものではなく、健康な作物、健康な環境をつくることにあります。そのために硫安が少量必要であるということになれば使うこともありうるのではないでしょうか。有機資材ということでいえば木酢液(主成分は酢酸)を硫安の代わりに使うのも面白いと思います。


質問(2)石灰をやるとケイ酸が流亡するということですが、生石灰や消石灰を20〜40キロ/10aでもそうなるでしょうか。

 まず健康な土とはどういうものかというと団粒構造をもった土であるということにつきます。構造をもってますから目に見えます。もしわかりにくければその土をひとつかみとってコップの水に入れてかきまわしてやればよい。団粒構造の土は上澄みがすんできます。そうでないものはにごります。なぜにごるかというと粘土が分散しているからです。団粒構造の土は、粘土と有機物が生物作用によって重合して、腐植コロイドミセル(有機活性ケイ素)を形成します。これが団粒構造のもとなのです。これに石灰を入れるとその構造がこわれます。土はコロイドですから PH が高く(アルカリ)なるとケイ酸が溶けて、腐植コロイドミセルの構造がバラバラになるので作物の生育がよくなるのです。しかし土はだんだん消耗していき、いずれ死んだ状態になってしまいます。


質問(3)石灰をやると一時的にケイ酸の働きが良くなるということですが、それは私が実践している栄養週期説でいう「Ca の単独的効果」というものなのでしょうか。

 石灰の効果は上で述べたような理由でおこります。大井上康の栄養週期説は肥料の効果を土の側から分析的に見るのではなく、作物の発育過程からみていくということです。石灰を施用するということは土壌中の石灰の割合を高めることでそのことによりCa をきかせようというねらいがあり、それで単独的効果というわけです。しかも作物の側から見れば栄養生長期と生殖生長期では栄養要求も異なるのだから、それに対応して施肥すべきだということです。


質問(4)Ca は栄養週期説では第4の必須元素といわれているが、小林理論ではKと同様、考えにいれなくてもよいということのようですが、この点はどうなのでしょうか。

 リービッヒの無機栄養説ではN、P、Kということになりますが、それ以外にもCa 、Mg 、Sが大量必須元素として知られています。それらが過不足なく必要なときに必要な量供給されることが作物の正常(健康)な発育にとって必要です。そのために栽培の技術があるわけですが、ヨーロッパ有機農業の父といわれているハワードは「農業聖典」のなかで「作物は自分で自分の世話をする」といっています。つまり堆肥(有機物)を
いれて団粒構造の土になれば、そこは自給的循環的世界であり作物は健康に育つというわけです。しかし実際にはそのように絵に書いたようにはいきませんから、そこで栄養週期説が役に立つというわけです。堆肥のなかにはそれぞれの必須元素が含まれていますからよいということですが、安定した団粒構造が形成されるまでは栽培者が世話をすることが必要でしょう。


質問(5)ケイ酸とアルミナの土壌コロイドが骨で有機物(腐植)が筋肉ではないかと私は思います。粘土(サンラテール)が手に入らない人は、ケイ酸分の多い有機質をいれて保肥力をあげるしかないと思いますが、ほかにも方法があるでしょうか。
 化学肥料や農薬で疲弊している土をどうよみがえらせるかという問題ですが10年ほど時間をかけて不耕起栽培を続ければ、団粒構造の土は回復します。いままで化学農法をやってきて、それっ今度は有機農法だとばかり大量に質の悪い堆肥をいれたらとんでもないことになるということです。ものごとには道理というものがあるわけでそれを小林さんは説いているのです。土壌を骨と筋肉にたとえていますが、私は土壌はコミュニティだと思います。ミクロ団粒は家でマクロ団粒が地域社会です。戦後50年間でマクロ団粒(地域社会)が破壊され、そこからものすごいエネルギー(生産力)が引き出されましたが、それもすっかり消耗されつくしました。いま必要なことは自立的、自給的、循環的な団粒構造の土の再生と新しいコミュニティ(地域社会)の再生であると私は思います。



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