口に出すは易し、行うは難し。有機農業にもまた同じことが言えます。頭ではやりたいと思っていることを、どう実行に移すのか。そのヒントとやる気を、実践の紹介から皆さんが得てくれれば、と思います。

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 つくばで4度目の冬を迎え、早いものでもう卒業まで4ヵ月を残すのみとなりました。そして私がこの新聞づくりに参加するようになって、年が明ければ2年になります。その間、いろいろなところへ行き、たくさんの人々と会って様々な考えや実践を見聞きして、幾枚ものうろこを目から落としてきました。それらの出来事を、私は取材報告として記事にしてきたつもりでした。が、よくよく見直してみると、今までに触れたこともなく、教科書で教えられるよりもずっと現実的で自分に役立ついろいろの考えについて、その時の自分の感動に任せて書き連ねてきただけのようです。理想を語ることは誰にでも、今日にでもできる。けれど実践に踏み出せる人は多くはなく、また日々の積み重ねの末にそれこそやっとの思いでしか人は理想に到達しえない・・・。取材先の方々の貴重な実践を訪ねたからこそ生まれた記事のはずなのに、遂に思想の語りや感動した自分の心境の述懐に終始したのは、振り返ってみれば私自身の思想の転換・成長がその取材の進行と重なっていたからだったように思います。何とも一人よがりの読み手の方に不親切な文でした。
 そこで今回は、実践に取り組んでいる方の、その行動についてご紹介します。読者の皆さんには他の人の具体的なやり方をそのまま紹介するほうが、むしろより多くを感じ取ってもらえるのではないか、と思っています。
 今回ご紹介するのは恵田三郎さん。農村と都市とを結ぶ実践として、民間運営の市民農園を開かれていらっしゃいます。


−−(山本)恵田さんが紹介されるとき、よく「市役所を定年の2年前に辞めて」という ことを聞くのですが。
 (恵田)そうだね。つくば市になる前の豊里町だった頃から、自治体には38年間務めました。農業関係の仕事が長くて、その中で、高度成長における便利さの追究の流れと共に農業でも農薬や化学肥料が多用されていき、作った本人がおっかなくて食べられない見てくれのいいモノが市場出荷されること、その裏には市場性を達成しないと農家が食っていけないような農業に工業の原理を当てはめたしくみがあることを見てきました。農業の現場に近いところにいることで特にこの10〜15年は、農家は高齢化や後継者不足に苦しみ、一方都市では危険な食物でなく安全な食べものが求められてきていることを実感して、「このままでいいのか」と・・・農家の土地を活かして、都市と農村をつなぐ必要性を感じてました。

−−市役所にいらっしゃるころから、周りの人に呼びかけてらしたんですか?
 農村と都市とをつなぐことを「誰かがやらなくっちゃ」とは10年前くらいから言っていたかな。1990年に市の総合計画の中で「生態系循環型市民参加型農業の展開」をうたったけれど、具体的には進まなかった・・・。念仏を唱えているだけではコトは一歩も進まないし、子供が結婚して家庭的にも区切りがついたので、もうはしっちゃおう、と。定年2年前の1995年3月で市役所を辞めました。定年までいれば天下りできて(笑)もう少し資金が増えてたんだけどね。

−−なんでも3月31日に辞められて、4月3日にはつくば遊農を始める宣言をしたとか。
 そう。95年4月3日。つくばにある化学技術庁の、研究交流センター内の記者クラブで、「市民農園的なものを始めます」とね。いくつかの新聞や情報紙に取り上げてもらって、その記事を見ただけで30〜40人が集まってくれて。最初は、貸し出す土地は私の所有地の12aのみ、畑を借りる人は36人で「遊農園」がスタートしました。翌96年には、取り組みを理解してくれる農家の方から土地を借りることができて「ゆかりの森」周辺に畑は10倍の120a、人数は170名に成長しました。特にこちらから宣伝をしたわけでもないんですが、くちコミや、ここを紹介した新聞記事を見たということでどんどん人が集まってきてくれて。集まる場があることの重要さを実感しました。
*ゆかりの森・・・つくば市の豊里にあり、森の中にキャンプ場、アスレチック、宿泊施設、 ハーブ園、昆虫館、木工作業所、集会場、展示場などが配置された、総合文化広場。

−−すごい成長ぶりですね。それを支えている組織の関連とか、メンバー構成はどうなっているんですか。
 まず「遊農くらぶ」、これは畑を借りている人たちの集まり。畑は借りていないけど、農に興味があって交流だけは持ちたい、という人も何人かいます。くらぶの会員からは会費をとっていなくて、運営資金は次に説明する会社から出ています。会員の3分の1は市外の人。土浦市、阿見町、牛久や龍ヶ崎、取手に守谷、それに東京から通ってる人もいます。くらぶの中に会員有志でやっている、きのこ・ハーブ・わさびの各研究会があります。さて、その畑・遊農園の貸し借りを事業として行なっているのが「農業生産法人・有限会社つくば遊農」。土地を貸す農家の方には1000m3=1反に年間2万円お支払いするということで会社と契約してもらい、土地を借りる方には、1区画30m3に年間で水代含めて4000円払ってもらっています。有限会社では出資者が社員ということになって、私達夫婦をいれて19人の出資でスタートしました。
 会社の事業として、今年4月に始めた「田舎料理けんちん亭」と、6月に始めた「直販ゆうのう」があります。けんちん亭は、農に興味を持つ以前の人でも「新鮮なものは美味しい」ということを知ってもらえたら、と思って女性の店長さんを中心にスタートしました。この店では「素人だから面白い」というところを大事にしたくて。作る人が素人だと客が味に注文つけられるでしょう。「こんなおふくろの味がある」「こんな郷里の料理がある」なんて話しあいながら、お客さんと一緒に味を、店をつくっていきたいと思ってます。直販ゆうのうは、つくったものが売れる場所、売れることでお客さんに評価してもらうところとして設けました。畑は趣味も実益も充たしてくれるところで、そこからプロの農家になりたい人がいれば、それを支えていける、そんな組織でありたいと思ってるんです。直販ゆうのうには生産者協議会があって、その会員は50人。直販ゆうのうで売ろうという目的を共有している人たちの集まりですね。協議会の入会金は1万円、年会費が3000円で、それを自主財源として運営してもらっています。

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−−なるほど、こういう関係になっていたんですね。さっき「プロの農家が出てくることを目指す」ということだったんですが・・・。
 うん、家庭菜園で終わらない。農業が好きになり、自信がついたら、面積も増やしていってもらう、と。今農地は、都市住民も一緒に耕し保っていかないと農地として活かしきれない現実があります。ドイツのクラインガルテン(日本語訳は市民農園)はある意味でそのモデルでしょうね。そのシステムは国や自治体が支えたりまるっきり個人でやっていたりばらばらだけど、ドイツの人は週末その農地のあるところに寝泊りして、野菜や果物をつくったり、あるいはのんびり過ごしたりする交流の場になっています。第二次大戦後はクラインガルテンがドイツ人の胃袋を救ったと言われ、今もたいへんな人気です。現在は食糧確保だけが主な目的ではなく、レクリエーションの場としても重要になっています。ところが日本でそれに習おうとすると、農地法や都市計画法の関係で現実には無理なんですね。土地はあるけど耕せないという農村と、都市砂漠の中で土に触れたいという都市住民とが、手を結ぶのは必然のことだろうし、農地の自然や生態系をそのまま活かしつつ娯楽性を伴うような農地利用の方法も考えるべきだと思うんだけどね。まあ、そんなことも探究してみたいと、つくば遊農をつくったんです。

−−「遊農」にこめた意味とは何なのでしょうか。
 遊農、遊び心で楽しい農業を。楽しくなくちゃ、という思いがある。消費者の顔を見られて楽しい、そして生活生計も成り立つ農業。ほんとうにいいものは手間ひまがかかる。その手間分は消費者に出してもらう、という新しい市場のあり方が必要だと思いますね。

−−そういう思いの中から、つくば遊農の新しい実践が生まれてきているんですね。でも何か困ることはないのでしょうか。
 やはり草を取らない人が迷惑をかけることはあるなあ。自分の畑はきれいでも、皆の通る道の草は取らないとか、草を取らない農法でやろうとしている人もいるし。借りてる遊農園の隣は普通の畑だからね。草の種を土にこぼすときれいに戻すのに10年はかかること、そういうところに農家がとても気を使っていることをわかっていない。農園に来た人が農道に自家用車を停めておいて、トラクターが通れないと苦情があったこともあるよ。でもそういうことよりも、農家さんの「意外と一生懸命やってるな」「いい野菜つくってるね」という声のほうが多いね。年をとって農業を引退していた人が、遊農園で指導してくれることで、生きがいを取り戻したり。困難にぶつかっても話せばわかるし、まずいところは直していけばいい。ただ信頼関係は大事にね。だから草についてもっと気をつけるように「ゆうのうだより」で呼びかけたりしていますよ。そうすると周りの農家さんも「応援しなきゃ」と直販ゆうのうに参加してくれたり、けんちん亭に呑みに来てくれたりして(笑)。そこからまた人とのつながりが広がっていくんですよ。

−−あれやこれやと心配して足踏みしているより、走りだすと何とかなるし、また走りださないと見えてこないことが沢山あるようですね。さて走り続けるつくば遊農、今後はどうなっていくのでしょうか。
 会社の役員の中には、借りるメンバーを1000人位に、と言う者もいます。確かに1000人位になると、腐葉土販売の事業を始めても、遊農園を借りている人たちが買ってくれる分でほとんど売れてしまって、採算がとり易いでしょう。でも遊農園を広くすればまた、新しい井戸や駐車場をつくらなきゃならないし、事務も忙しくなります。規模については、負担にならない範囲で大きくする、というのが今のところの方向かな。一方、いろいろな人と手をつなぐのは積極的にやっていきたい。今後、茎崎のボランティアの方々の、乗馬療法の勉強会が中心になって、心身障害者が裸馬に乗るセラピーを行うポニー牧場が、ゆかりの森の周辺につくりたいという話が持ち上がっています。また花農家の方が、ゆかりの森の周りにラベンダー畑を今年からつくり始めてくれています。「場」の重要性ですね。誰かがどこかにきっかけをつくると、何かやろうとしている人がそこへ集まってくる。そうやって様々な人々や団体とのつながりをつくっていくことが、私の主な仕事ですね。

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−−「場」があれば、どんどん変わっていく可能性が、まだまだ秘められていそうですね。
 変わっていくのに弊害になる古い体質が、まだ農村に残っているのも確か。農村に住んでいる人自身がその矛盾を感じ取って、自ら変えていかなければ。その変えていくために必要なエネルギーを、「遊農」の試みから得てもらえれば、と思います。
−−今日はありがとうございました。



 農村と都市とを結ぶべきだ、と言われてもう何年経つでしょうか。15年程前に書かれた何冊かの本に、今でも十分感動できる、農村と都市とがつながりを持つことでの農の可能性・人の可能性が論じられていて驚きました。その論の素晴しさに、そして15年経っているのに状況があまり変化していないことに驚いたのです。現在でも「地方と都市とがつながる」主張は、人口論の観点から、またエネルギー問題や環境問題の論議から、あるいは税制面・都市計画の方便として、それこそありとあらゆる課題の中から強く叫ばれています。それは、地方と都市、生産と消費、そして人と人とを分断して稼働させることで効率的な生産を追い求めてきた、現代社会のシステムそのものが、あちこちでほころび始めていることの端的なあらわれだと思います。むろん、農業もその例にもれません。現代社会システムの荒涼とした波にもまれ、変質を続けてきた農業にも、破綻の影は訪れ、今改めて農業の立場から「農村と都市とが手をつなごう」と発言されています。
 広大なアカマツ林を切り開いて突如現われた研究学園「都市」とそこにどっと住みついた新住民。物理的には農村と都市とがこんなに近くにあるのに、人と人とはなかなか手を取り合えないまま、5町村合併で市として再出発したつくば市。その中での恵田さんの、つくば遊農の試みは、人と人とが今までにない形でつながりあう、人の有機的なネットワークを、一歩一歩つくりあげていっているように感じました。

文責 山本 亜希子


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