| 国家的な開発の流れの中で、その渦に巻き込まれる者がいれば、自分達の足元にある生活の見直しから社会を変えようとする者もいる。そういうタイの状況と、市場経済至上主義の中、葛藤しつつ有機農業を目指す者もいる日本とは、どこか似ていないか。海外を通して日本が見える。 |
村の生活は、日本と比べるとはるかに貧しかったが、私にとってはそれほど苦にならずむしろ過ごしやすかった。タイの農村部にある家は基本的に木造の高床式である。屋根はトタンで何枚かの板を床と周りに張り合わせたような簡単な造りになっている。窓はない。タイには雨期と乾期があるのだが、雨期にはこのトタン屋根を伝った雨が桶に溜まるような仕組みになっていて、これが飲み水となる。電気はあって、テレピや冷蔵庫といった電化製品はだいたい何処の村に行ろても一家に一台はあり、交通手段としてはバイクが使われる。食料は、自分で作った米や庭で飼っている鶏や川で釣った魚を食べ、畑や森からは野菜や呆物を採ってきていた。ほぽ、自給自足で見事に自然と共生し溶け込んでいる椎に見えた。
現在、上記でも少し触れたように、これまでの政府主導における「上から」の農村開発による様々な弊害が生じているため、村落レベルにおける民衆の自助的な運動としての「下から」の農村開発が生起しつつある。その一つとして、請願運動的性格の強い“貧者会議”という農民組織がある。私がタイに滞在している間も、今年の1月25日からバンコクの総理府の周りを約2万人の農民が取り囲んで座り込みを行った。最初の頃、何度か顔を出したが、彼らは、まさに長期戦を見越したかのごとく生活道具を一式持ってきていた。到着と同時に簡易テントが建てられ、仮の宿となる。移動式便所や給水施設や簡易医療所が市から提供されていたし、何処からともなく物売りの屋台がやってきているから生活には困らなそうだったが、やはりこの環境の悪いバンコクの路上で、ほとんど寝るスペースぐらいしかないような寿司詰めの状態にお年寄りは耐えられるだろうかと心配になった。というのもここに来ているのは、半数以上が爺さん婆さんによって占められていたからである。