有機農業は「良い農業」なのだろうか?ならば現代農業は「悪い農業」なのだろうか?現場を見れば、そこには良いも悪いもなく、ただ現実があることを知る。現場ほど雄弁な教科書はない。


180日、稲作農家訪問記
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◆米研究への誘い、そして出会い

 3月31日、農業指導員の佐藤さんの車でつくば市北西の協和町に向かった。卒業研究でこれから約半年間通いつめることになる農家の所へあいさつをしに行くためだった。雄大な筑波山を仰ぎ見つつ、その西側の縁に沿った県道を北へ進む。車窓から見る景色、見渡す限り地肌がむき出しのたんぼだ。春の薄曇りのなかを広漠として何もないたんぼの群れが関東平野の大地を敷き詰め、どこからともなく飛んでくる真っ黒いからすの一群の鳴き声が物悲しく響いている光景は、さながら人工の荒野と表現すべきか、見ている者をうつろな気分にもさせ、感傷にも浸らせてしまう魅力がある。しかしこの荒野にあるとき満々と水がたたえられ、夏には緑一色に、秋には黄金一色に大変化していくことを想像すると、最近自分の中に生まれてきた米への探求心がふつふつと湧き出し、いてもたってもいられなくなってしまうのだ。それにしても車で既に1時間、えらく遠い農家を紹介されたものだと少し後悔していた。思えば農家での実際の米作りを研究題材にしようと決めたとき、すでに3月も下旬で大方の稲作農家はたんぼの耕起や籾の選定を済ませ、種蒔き、育苗を始めようとしていた。農家の選定を急ぐ必要があった。自動車もバイクもないので自転車で1時間以内であればどこでもいいと思い、橘先生に相談した。その橘先生が佐藤さんを紹介してくれた。この方は後の調査で世話になったベテラン指導員である。そしてこの佐藤さんが、水稲の不耕起移植栽培に取り組んでいる日向さんご一家を薦めてくれた。迷う暇もなかったし何よりも不耕起移植栽培という言葉に新鮮味を感じたのでその農家の世話になろうと心に決めたのだが……。まさかこれほど遠いところとは。自転車だと悠に2時間はかかる。次第に憂鬱さが増す。目的の農家に着いて車から降りた時唖然とした。遠くに見える筑波山がいつもと違う。2つの頂上、男体山と女体山の位置が全く逆ではないか。筑波山の全く反対側まで来てしまったのだ。自転車ではとても無理と判断してその後バイクを借りて通ったのだが、10年使用していなかったというバイクでいきなり週3回長距離を走ったためにすぐがたがきて、不幸にも修理費はかさむ一方、1往復でガソリンは無くなってしまうわでとても維持できなくなり、やむを得ず田植え後の4ヶ月間、2時間かけて必死で自転車で通った。おかげで、ももの筋肉は滅法つき、夏の太陽光にさらされ皮膚も真っ黒になった。我ながら自分の持っていた気合に驚きもし、あきれもしてしまうのである。


◆ 種蒔き、育苗

 種蒔きは一家総出の仕事だ。一家の中心、農業者の中では若い部類の40代の義巳さんが別の農家から軽トラックで種蒔き機を運んできた。機械が組み立てられた様子はまるで工場の流れ作業を思わせる。育苗箱がベルトコンベアの端から端へ移動する間に、土が詰められ、籾が蒔かれ、水がかけられ、さらに土がかぶせられるという行程がなされる。日向家のおじいちゃんが育苗箱をベルトコンベアにのせる。義巳さんとおばあちゃんが土や籾の補充をする。義巳さんの奥さんのみどりさんがゴール地点に来た育苗箱を軽トラックの荷台に重ねてのせる。大面積の水田を保有する農家は、一度に大量に種蒔きできるこのような機械を重宝している。この後の農作業でもさまざまな機械を使う。耕起、代かき、田植え、稲刈り、籾摺り、乾燥、精米に至るまで今の農家、特に大規模専業農家にとって機械への依存は欠かせないようだ。機械化農業の発展は、厳しい労働に耐えてきた農民の長年の悲願であったに違いない。一方で機械代がばかにならないという悩みがある。収入から所有機械の減価償却費、燃料費、さらに肥料、農薬などその年に使った農業資材の費用を引けば、手元に残るのはわずかだ。またそれぞれの機械は1年の特定時期にしか使われない。高い値段で買った機械は1年の大半は納屋で眠っているのだから、農家にとってはやり切れない思いになるのも無理はない。農家の苦悩の一面を覗かせる実状だ。
 種蒔きが終われば育苗だ。日本の農家にハウス育苗が普及したのはここ30年くらいで、それまでは苗代という小さな水田のような所に籾を蒔き外育苗するのが常識だった。ところが東北や北陸地方は5月上旬まで寒いのでどうしても西南地方より育苗開始が遅く、そのため稲刈りが晩秋の寒い時期まで持ち越されてもろに冷害を被ることが度々だった。そこで松田順次さんという方が養蚕からヒントを得て屋内、すなわちハウスでの箱育苗を考案したのだそうだ。また箱育種を普及させるために田植機がセットで開発されてきたことも興味深い。義巳さんは、普通育苗箱に180gの籾を蒔くところを、80gと少なく蒔いている。それは葉が5−6枚の成苗を育てるためだ。普通の農家が植える苗は葉が3−4枚の稚苗と呼ばれる苗だ。なぜ成苗を植えるか。そこには義巳さんの確固たる確信がある。苗の段階で太く丈夫で健全な姿にしておけば、過酷な外の水田条件に移された後でも苗が本来持っている生命力を発揮してたくましく育つという理論だ。苗代で育苗が行われていた時代は成苗植えがあたりまえだったのだが、育苗箱でスペースをとらずに大量育苗できるようになると稚苗植えがまたたくまに主流となったのだ。しかしこの事は、苗のもつ生命力を軽視し、人の手がかかりすぎて弱小な苗ができあがるという難問を結果的につきつけることとなったのだが、義巳さんのようにそれに気づいて成苗植えを見直すような人はまだそれほどいない。百姓は百姓であると同時に研究者である。義巳さんも実際、常に問題意識を持った研究者なのであった。

日向家の水田から筑波山を臨む
日向家の水田から筑波山を臨む


◆田植え、水田管理

 5月16日、いよいよ不耕起田に田植えをする日だ。不耕起移植専用の田植機がここで登場する。普通の田植機と違うのは、植える前に地面に溝を掘るカッターナイフのようなものが取り付けられていることだ。不耕起移植栽培の技術は岩澤信夫さんという方が提唱したのだが、土が固いという厳しい条件にさらすことで稲が本未持っている生命力を引き出させ、根張りがよく丈夫な稲に生長して寒さや病害虫にも耐えられるというのがねらいだ。また耕さないことで微生物の住かとしての土の団粒構造を破壊せず、多様な水田生態系を呼び込んで毎年それらの死骸としての腐植を集積させていくという効果も持つ。しかしこれほどのメリットを持つ栽培法の普及を最後までさまたげたのが、移植方法だった。ようやく最近専用の田植機の開発があちこちの農機具屋で進みつつあるという。農機具屋の若社長さんが機械に乗って田植えを進める。草が平気でぽうぽう生えている所にも苗が植わっていく様子は、代かきされたたんぼでは考えられない。実際不耕起栽培では雑草対策が最大の悩みとなる。日向家でも除草作業には大変苦慮した。手取り除草では野菜栽培など他の仕事か追いつかないので何度も除草剤をかけていたのだが、かけている人にとってもかけられている水田にとってもなんとも痛々しく見えて仕方がなかった。
 田植えから刈り取りまでは、水田の水管理や病害虫防除などの作業がある。日向家では約7町〈7ha)の水田を経営しているのだが、日本の稲作農家の平均耕作面積が7反(70a=0.7ha)というからかなり大規模な部類だ。義巳さんに、忙しくしてまでなぜそんなに広い面積を経営しているのか聞いてみたところ、「家族を養うために広い面積を耕作してたくさん作物を収穫しなければならない。」という苦悩に満ちた返答が来た。実際、日向家のような専業農家は手広く耕作しないと生計が苦しい。農産物の価格が下落すると、兼業農家よりも農業一本で生計を立てている専業農家の方が受ける影響が大きい。食糧管理法の時代、生産者米価は他の作物と違い保障されていたため、全国の農家がこぞって米を作った。その時米一本で生計を立てていた専業農家などは、市場原理が米にも導入されてきている今ものすごく苦しんでいる。米消費の減少、米余り、米価の下落。早急な市場原理の導入によって今、日向家も含め稲作農家は危機的状況だ。いつの時代も農家は翻弄される一方なのであろうか。
 8月2日の早朝、空中散布の日、義巳さんと軽トラックに乗って周辺を見て回る。上空を3台のへリコプターが飛び回って薬剤散布をしている光景はまるで戦場を思い起こさせる騒然さだ。意を決してへリコプターに近づいてカメラのシャッターをきる。「早くトラックの中に入れー。」義己さんが叫んで慌ててトラックの中に入る。ドアを閉めた瞬間、窓ガラスに薬剤の雨が降りかかってきた。これはたまったものではないと心から思った。ある授業を聴講に来ていた別の農家の方から聞いたのだが、空散のために農家は自分の農地1ha当たり1万8千円も負担しているという。薬剤散布を拒否することもできるが、隣の農家で空散がされれば僅かながら自分の所にもかかってしまうので意昧をなさない。東日本のほとんどの自治体では、病害虫出現の動向にかかわらず毎年恒例の行事のように空散をしている。前年のl2月にはもう次の年の薬剤を農協は発注しているというのだから確かに納得がいく。農家はお金を負担しなければならないし、薬剤を浴びるという危険も隣り合せだ。健全な土壌の維持にも悪影響がある。空散をめぐる論議は後を絶たない。


◆実りの秋、収穫

 7月の末に日向家の水田の多くで稲が開花した。緑色の湖に白い星屑がちりばめられているような緑と白が織り成す鮮やかな情景は、ただただ美しいの一言で、黄金の実りを予感させるものだった。開花した後の稲は一気に登熟に向かって黄金色に変化していく。今年の不耕起栽培稲は林のように繁茂してしまった雑草の影響で慣行耕起栽培稲よりも生育がよくないようだった。執拗な除草剤の散布にもひるまない雑草の持つ生命力には驚嘆してしまう。9月の上・下旬、雨降りの日々が続き日向家ではなかなか刈り取りをできないでいた。雨の重みで多くの稲が倒れているのを見て心配していた自分に日向家のおじいちゃんがこう説明してくれた。「地面から2つ目の節までで折れていたら、導管がふさがれて土からの養分が上にいきわたらない。今倒れている稲はそれより上から折れているので心配はない。」節というのは1枚1枚の葉の付け根にあたるところでふくらんでいる部分だ。それにしても農家の方は実に豊富な知識を持っている。60代半ばのこのおじいちゃんは長い農作業の中で日々汗と土にまみれながら多くの知識を集積してきたにちがいない。そう思うと敬意を表したい気持ちが自然にわいてくる。倒伏にはもう一つ穂発芽という問題がある。地面に着いた籾が雨水を吸収し、収穫前に発芽してしまうことがあるのだ。米作りに難問は尽きない。9月も末になり、ようやく日向家のすべての水田で刈り取りが終了した。息つく暇もなく今度は冬野菜の準備をはじめる。農家の人は年がら年中本当によく働くのだ。


◆研究を通して思ったこと

 米について何も知らなかった自分が、約半年間の農家訪間を通じて学び、感じたことは計り知れない。そして、移り行く社会の情勢に翻弄され、苦悩している農家の姿が徐々に見えてきた。農業、特にも稲作をめぐる情勢はあらゆる面で厳しい。例えば農業が環境に与える負荷の間題。化学肥料の多量投入による土壌の酸性化や地下水の窒素汚染、CO2の20倍以上の温室効果を持つメタンガスの水田からの放出、農薬の環境への蓄積と健康への被害、機械化農業にともなう化石燃料の使用の増大。このような肥大化した解決すべき間題に対し、多くの農家が冷めているのは事実のようだ。しかし非農家の人がそのことで一方的に農家を批判したり怒りを感じることは筋違いと思う。農家も自分たちの暮らしがある。未来の地球環境のことを考えるよりも、今現在の自分たちの生活を生きるのに必死だ。そしてそれは、汗水垂らして労働することの喜びや大地の恩恵に対ずる喜びや畏怖の念、そういった農本来の姿を忘れて自分たちが生きていくための手段としてだけに農業をしなければならないほど農民に余裕を失わせた、国をあげての食糧供給手段としての一方的な農業政策、農家支配の歴史的経緯に起因すると思う。農家の気持ちは農家の人でないと真に分からないものかもしれない。しかしこれからは自分も含め非農家の人々と農家の人々がお互いに気持ちを理解しようと近づく努力をし、農業をする主体の農家を巻き込んだ議論がもっと展開されなければいけないのだろう。農業を巡る環境が厳しいものとは言え、日向家では前向きな姿勢と希望を失ってはいない。夏の夜、義巳さんと酒を飲み交わしていたとき、義巳さんは終始ご機嫌だった。サラリーマンをしている22歳の長男が、仕事をやめて農業を継ぐことになったという。「来年は息子と一緒に堆肥作りに挑戦してみようと思うんだ。」とうれしそうに話す義巳さんの顔が、何か日本の農業の救いのような気がした。なによりも農家の方々、農業をする人々が希望を失っていなければ、どんなに社会が変化しても農業が衰退して行くということは無縁であろう。日向家の方々に幸あれと願わずにはいられなかった。
 そして自分はこれからどうするか。自分がこれまで進んできた農業関係の道を生かす仕事をしたいと思うあまり、身動きが取れないでいた。思い切って進路を変えてしまおうかとも考えた。しかし、夏休みに実家に帰ったとき、決意が固まった。母と2人で家の近くの浄水場の中にある芝生で昼ごはんを食べていたときだ。自分が大学で研究していることを話していると、母がこう言った。「お前から農業の話を間くなんて夢にも思わなかった。考えてみればお前の祖父は農民だったのに、その子供たちも孫たちも誰ひとり農業をしたり農業の勉強をしたりしていないんだもんね。」確かに、祖父の子供は母も含めて8人いて、孫は14人いるのだが、農業に関わっているのは自分だけなのだ。それを聞いた時、もう少し農業関係の道で頑張ってみようという気になった。前へ進んでいれば、自分のやっていることに誇りをもてる日がいつか来るかもしれない。為さねば成らぬ何事も。とにかく最善を尽くして人生を歩みたい。

筑波大学4年 村木 希友




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