こころのありか

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(文責:松田 智)



追悼 五十嵐 一 先生

『神秘主義のエクリチュール』を読む

五十嵐 一
 1947年新潟市に生まれる。70年東京大学理学部数学科卒業。76年同大学院美学芸術学博士課程修了。同年秋よりイラン王立哲学アカデミー研究員として渡イ。現在、イラン哲学アカデミー客員、筑波大学助教授(比較文化学類)。専攻、イスラーム学、比較文化。
 著書に『知の連鎖』『イスラーム・ルネサンス』(共に勁草書房)『音楽の風土』『摩擦に立つ文明』(共に中公新書)など、訳書に『医学典範』(イブン・スィーナー、朝日出版社)がある。
(『神秘主義のエクリチュール』(法蔵館1989)巻末より原文のまま)


 6年前の1991年7月11日夜、筑波大学現代語・現代文化学系助教授、五十嵐一(ひとし)先生が、筑波大学人文・社会学系棟7階のエレベーターホールで何者かに襲われ、44歳の命をおとされた。五十嵐先生は、「イスラム教を冒涜する」としてイランのホメイニ氏から死刑宣告を受けていたサルマン・ラシュディ氏の『悪魔の詩』を翻訳・出版(1990年2月に上巻、1990年9月に下巻)された。
 当時、世界中で、本書に対するイスラム教徒の反発・暴動などが起こっており、日本でも、出版・販売をめぐって騒然とした空気が漂っていた。

 今年もまた7月11日が近づいてくる。犯人は未だ逮捕されておらず、マスコミはじめ世の人々はもうあの事件を忘れてしまったかのようだ。
 事件の衝撃のみが一人歩きし、問題の本質が見えてこないまま月日がたってゆく。
 一学徒として、わずかでも教えを受けることができた私としては、皆様に少しでも五十嵐一といういう方について知って頂き、そのたぐい希な思想について共に考えて頂きたいと願うものである。
(以下、思い出も交えて書かせて頂きます。)




■十年前の春、私は大学を卒業する意思を失って、ヨーロッパへ1ヶ月程度の放浪の旅へと出発した。「私は何をしているのだろう」「これから何をすればよいのだろう」といった問いが、毎日胸をえぐるのに、事態は一向に進展せず、私は悪あがきを続けていた。
 ギリシア、イタリア、スペイン、フランス、その土地土地での人々の暮らしを、実際に見聞きし体験することで、私自身ひいては日本を客観的に見るきっかけを得ることができた。あまりにも中途半端な自分自身の存在に対する、うしろめたさ、はがゆさ、くやしさをも。そして、旅はひょんなことから思わぬ展開をみた。ジブラルタル海峡を越えてモロッコへと渡ることになったからだ。初めて体験するイスラームの国。すべてが驚くことばかりで、まさにカルチャーショックだった。
 夜明けとともに、街にはスピーカーからコーランがたかだかと流れ、モスクには人々が集う。また、メヂナと呼ばれる旧市街の市場は迷路のように狭い通路が入り組んで、土の、埃の、肉の、野菜の、さまざまな匂いが混沌としており、その生のエネルギーに圧倒される。日本からの旅行者とみると、子供たちは群れてきて小銭をせびり、自称ガイドにはつきまとわれ、騙されそうになる。しかし、人々はまさに全存在を賭けて生きているといったさまで、私のちっぽけな理性や価値観などたいして役には立たないことをいやというほど味わった

■このモロッコでの体験がなければ、五十嵐先生とはおそらくお会いすることはなかっただろう。「イスラーム神秘主義から、老荘、マラルメまで」という副題に引き付けられてしまって「言語哲学」という授業に顔を出すことにしたのだが、これこそ4月から筑波大学に来られた先生が担当する講義であったからだ。
 後にインドに行った折にも同じような感慨を抱いたことがある。40度近い猛暑の中、過酷な条件の下で、しかし、人々は懸命に生きている。カルカッタの路上で、手足がなくただ転がって物乞いする肉の塊にしか見えない人々、路地裏で裸で生活している人々、そして、ベナレスのガンジス河のほとりで、息をひきとったあと火葬してもらいその灰や炭を河へと還してもらう人々。 ここでも、生は、死は、私を圧倒し、恐ろしいまでの絶対的な存在として迫ってくるのだった

師常に手まりをもて遊び給ふるとききて奉るとて

これぞこのほとけのみちにあそびつつ

つくやつきせぬみのりなるらむ   

(貞心尼)

御かえし

つきてみよひふみよいむなやここのとを

とをとおさめてまたはじまるを   

(良寛)

 『神秘主義のエクリチュール』冒頭にとりあげられている、良寛と貞心尼の出会い。
 授業でも最初に話してくださった大変重要なお話しだった。

 目の前に一人の人間が出現すれば、それだけでも世界は変化する。その変わりようを全人格的に受け止めて、自分も変化の渦の中に巻き込まれることを厭わない
「ここに、今」 hic et nunc こそすべてという態度こそ、そして良寛と貞心尼の相聞に溢れ出る明るさと暖かさこそ、われわれが考える神秘主義の presence 感覚であるが、その姿勢がそのまま歌となって発露したところにひとつの神秘主義のエクリチュールが完成する。

 presence感覚が「ここに、今」を大切にして、現在の充実にかけるものとはいえ、しかしそれは何かしら物を身につけて、もしくは特殊能力や技能を身につけて(両者とも身につけてと表現できるところが示唆的である!)豊かになるのとは訳が違う。すでに見てきたように、神秘道とは「なりふり構わず」が本命であり、個性とか特徴とかにこだわって執着する感覚とは無縁だからである。
 およそ神秘主義に限らず宗教の基本は、個々の人間が与えられた生命を全うすべく、そのかけがえのない自己の生命を自覚し、これを磨き上げること、言うなれば個性尊重にあり、真の個性発現に他ならなかった。しかしながら、神秘主義の修行道に入れば、そこでは個性が抹殺されるに似て、名前を尋ねもせず名乗る暇さえ与えられずに、問答が始まり真剣勝負が始まる。むろんそこでは全幅の信頼と愛情が支えとなるが、かといって愛情は決して対象の特徴や個性差に向けられていたわけではない。

 言い換えるならば、知識を身に着ければ着けるだけ、そのように身に着けられるものの限界を了解し、いつでも脱ぎ捨てられるような状況へと心境の変化が認められる。否、さもなければそれは単なる慢心に他ならない。そのような真理が心に染みて分かることこそ、ほんとうの知識ではなかったか。身につけられるものは捨て去られるもの、否、捨て去るべきものであると放下する変心の軌跡こそ知識の本来であり、absence感覚のふるさとなのである。
(『神秘主義のエクリチュール』より)



■まさに「生きる」ことの意味を、五十嵐先生はおっしゃっていたに違いない。しかし、時いまだ熟せず、私には深く理解することができなかった。ただ、良寛、老子、荘子、ルーミー、スフラワルディー、イブン・スイーナーなど、それまであまり馴染みのないテキストではあったが、「身につける知識」ではなく「こころに染みる知識」を伝えようとされる、敬虔な先生の語り口にしだいに惹き付けられていった。
■さて、その年の秋に、音楽詩劇『マラー・ベ・ブース』を上演することになった。音楽と舞踊と演劇をミックスさせて劇を組み立てるという壮大な試みで、私も玉川大学まで足繁く通ったものだ。『音楽の風土』に詳しくお書きになっている、革命前後のイランでの体験がこの劇を生み出したのだろうが、学術的な領域だけでは伝えられない、人間の存在の条件を、あたたかい姿勢でみつめようとなさる姿勢に、私たちは捉えられていた。私自身、しばらくかかわっていない演劇活動への餓えを満たそうという気持ちもあったのだろうか。
■そして、その2年後、聖喜劇『エマーム』の上演。
 つくばの家具のまったくない公務員住宅の部屋を、みかん箱を机がわりにしていたというイラン時代を思い出すと、先生はかえって喜んでいらっしゃった様子だったが、なにもないがゆえに新たな着想がどんどん湧いてくると、嬉々として『エマーム』のストーリーを話していらっしゃったのを、懐かしく思い出す。
 どうしてそこまでして演劇を上演したいのだろう、御専門のお仕事だけでも十二分にすばらしいのに、という素朴な疑問を抱いたこともあるが、身体表現をもとりこんだ総合的な芸術創造にとりくんでみたいという先生のお気持は、痛いほどわかった。
 人間の、生きてゆくさま染んでゆくさまというものを、たましいの、霊性のありようというものを、その美的なありようというものを、目に見えるかたちとして、提示してみようとなさったのだろうか。


悟りの裡に舞いがあり、舞いの裡には悟りなし。

(スフラワルディー)


■さて、公演後に記録のビデオ映像を見て、先生がよく引用していらっしゃった言葉がよみがえってきた。
私は、自分の演技のあまりのつたなさにがっくりしていたのだ。
 当時の私にはエマームの心境などとうてい解るはずがなく、先生が要求していらっしゃったレベルには程遠かったはずで、今考えても冷汗が出てくる。全力でエマームに対していたのか。消化不良のまま歳月はたっていった。
 そして、まさに、スフラワルディー『幼児性の状態について』のように、先生はわれわれの前から忽然と姿をお隠しになった……。



 どっちに歩いていったらよいのかわからず、手当たり次第これと思ったものに飛びついてきた私だが、橘先生はじめ皆様との出会い、「賢治の学校」にかかわる人々との出会いなどさまざまな方々との出会いをとおして、最近やっと、五十嵐先生のおっしゃっていることの意味が、確かな実感を伴って分かるようになってきた。

 人間の本質とは何か、そう問わずにいられないこの存在とは……。
『神秘主義のエクリチュール』は、偉大な先達たちの残した、人間の存在への論考にたちかえって考えよ、という貴重なメッセージであることは言うまでもない。
 私たちは、知識偏重の学校教育のなかでどんどん生きにくくなっていくのを感じているので、ただの「身に着ける知識」がいかに嘘であるかはよく分かっているはずだ。
 いま、「こころに染みる知識」こそが求められているはずなのだ。

 また。ことあるごとに、先生が、日本の現在の政治の状況にたいして筆を強めて批判なさっていたことも忘れることができない。戦後の日本において、失われないがしろにされてきたものども。芸術、文化、教育、そして、精神の、こころの、かてのなるべきものども。
 文明の爛熟・退廃期とも見える現状に対して、私たちはどのようにすべきなのか。

 つまり、みずからのこころのもちよう、みずからの生きざまがすべてだと言えよう。
ほんとうのこころのありかを訪ね続けること……。この存在とはそれ以上でも以下でもない。
そしてまた、あらゆる人びとの生きざまが、わたしたちに生きるちからをあたえてくれるはずだ。

 何事にも囚われずに「舞うがごとく生きる」といった境地に早くたどり着きたいものだが、そう願いつつも七転八倒し続けるのが、人生というものなのかもしれない!?

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