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 3月22日の朝、私は飛行機で北海道・旭川空港へ向かいました。早咲きの桜が咲き始めたつくばから1時間半、雪に覆われた北の大地が眼下に現われます。今回の旅は、農を志す学生が大学を超えて交流し学び合う、日本農学生ゼミナール連合全国大会への参加の後、せっかく来たなら日本最北の地で農を愉しむ人々に会って来よう!と計画したものです。



本田弘さん〜里山で森づくりの文化が育まれる


nouhana1.GIF  本田弘さんとお会いしたのは、3月1・2日の「森林と市民をつなぐ全国の集い」にて。1日の夜、個人上映会に集まっていたところ、ある県のお役人が話しました。「これからうちの県はロックウール農法でメロンなどを集約的に、クリーンに栽培していくことで特産化していこうと思う。」エネルギー多消費型農業に、これはもうとことん反論しなければ!と私が口を開こうとしたところ・・「それはちょっとおかしのではないですか。農業がどんどん土から離れた技術に行ってしまうのには危機感を感じます。」と本田さん。私、その瞬間農に生きる本田さんの魂に惚れました!

nouhana2.GIF  そうして訪ねて行ったのは、苫小牧市の東にある厚真町。勇払平野に位置します。近くの駅まで迎えに来ていただき、着いたお宅で薪ストーブに当たりながらまずお茶を一杯。・・・本田さんは約20haの田畑を水田中心に作っていて、鶏も400羽ほど。畑の麦・大豆・小麦・馬鈴薯・かぼちゃ・大根などのくずものや、鶏のために作るコーンでほとんど餌は自給しているそうです。冬季は家のすぐ裏に、家の表に広がる水田とも地続きになっている、30haほどの山林の手入れをしています。植生はカラマツ植林地と広葉樹自然林が半々くらいで、地形は大小の沢・湿地・沼が点在して変化に富んでいます。山といっても沼との高低差は15m以内にとどまるような、緩やかな丘、の感じです。

 勇払原野と釧路湿原にのみ自生するハスカップのゼリーをいただいていると、電話に続いてファクシミリが・・


 何かお仕事ですか。

 今度、今までイモ植え、イモ掘りを手伝ってくれていて、さらに山の仕事もやりたいと言ってくれている苫小牧のお医者さんのグループが来るのですが、その関係で。あなたみたいな学生さんや、お米を届けている消費者の方、その知り合いの方、地元小学校の生徒や先生など、いろいろな人が山に遊びに来てくれるようになってから、あちこちから声をかけていただくことが多くなって。つい3日前も千歳で消費者グループの方達と、農業の現状について理解を深めるための勉強会をやりました。今度は恵庭の方でも勉強会をすることになっています。そうして付き合いが広がると、宣伝をしなくてもいいと言うか、私のお米をおいしいと食べてくれる人が「あなたにもおいしいお米を食べて欲しい」と友達に勧めてくれるんですね。今またファクシミリに・・ああ、たった今お客さんが2人増えましたよ。こんな具合に人間関係がどんどん広がっていくんですね。今の農業も食べものもどこかおかしい、という危機感がある。そういう自由な心からの発想を、受信するだけでなく、一人ひとりが発信するようになると、その発信された情報をもとに、人と人とがどんどんつながっていくことができます。 

 強制されるのではなく、その人が心から求めることによって広がっていく、そんなネットワークづくりが目に見えるようです。

 普通の農家とちょっと違ったことをしていると、「孤独じゃありませんか」と言われます。けれど、私は決して孤独ではありません。ただ特別ではあります。しかし特別であることで、特別に面白い人たちと新しく知り合うことができました。さて、それじゃ、実際に森に入ってみましょうか。

 

 このところ暖かい日が続いたそうで、森には10〜20センチメートルの雪が残っていました。
 これはコナラ、隣はイタヤカエデ、こっちはヤマハンノキ・・

 枝ぶりと幹肌だけでよく見分けがつきますねえ。

 毎日、この木を切って、あの木は残して、どこに道をつけよう、と考えながら歩いていると、だんだん何の木か覚えて、今は自分の森の木ならどんな幼い木でも見分けられるよ。道をつけるのはとても大事なこと。作業するにも歩くときにも楽しい道にしなくては。楽しくするためにひとつ、この印をつけた木、ハクウンボクと言いますが、これを道からもう少し離れたところに移植して大きくしていこうと思っていてね。ハクウンボクは大きな白い花を咲かすと、とてもいい香りがします。歩いていて、不意にそんな香りがしたら楽しそうでしょう。

 どの木を切って、どの木を残すか、ですか。どんな木は切るんですか。

 まず、枯れかけた木、倒れそうな木。人間の手で早く倒すことで、次世代の木の成長にスムーズに移ることができる。それから妙にくっついて生えている木。変に曲がって伸びてしまうからね。あとこの山には珍しい樹種の若木の、邪魔になる木。なるべく木の種類を増やす。すると、森からとれるものが増えて暮らしに活かせる。集まってくる昆虫や動物も増える。多種多様のものものが、この森で調和していくのを目指しているからね。・・しかしどんな場合にも例外があって、朽ちた木でも、鳥の巣があるものや、キノコが出るものはそのまま。イタヤカエデの立ち枯れたのからは、おいしいユキノシタがわんさか採れるよ。くっついて生えている木も、例えばこの2本の木、これを柱にして空中秘密基地を作ろうと残したんですが、ついついしなくてはならない山仕事に追われてできませんでした。つる性の木も、他の木に巻きついて悪くすると枯らしてしまうので切りますが、このコクワの木、サルナシとも呼びますが、この実が本当においしいので残しておきます。そのまま食べてもおいしいけれど、実を漬けたお酒がまた絶品でね。  

 森自体も楽しいですが、そこからとれるいろいろなものがまた楽しいですね。いいなあ。残していく木は、珍しい木のほかにどんなものがあるんですか。

 そうだね、森というのは切らないと勢いが出なくてね。山仕事を始めた当初は、切ってしまったら取り返しがつかないような気がして大木を切るのが怖かったけれども、切ると森が若返り、あとから若木の命が吹き出すように生えてくることを知って、どんどん手入れしてきました。その中でどの木を守り育てていくのかは難しい選択だけれども、若木を見守り育てていくのと同時に、百年木というような太い木を子供たちに伝えていきたい。大きな木があるとなんでだか心が落ち着くし、まだいない孫の、家の柱になるかもしれない。

 こちら側はカラマツですが?

 父が植えたものでね。切り出した良い材で、今建設会社に勤めている息子が鶏小屋を建ててくれました。しかしカラマツばかりだと林床がやせるのでしょう、大風・大雨でカラマツは倒れてしまいます。この跡に再びカラマツを植える気はなくて、よく見るとほら、林床に落葉広葉樹の若木が沢山あるでしょう。これを育てて混交林に育てていこうと。針葉樹林に再び植林する労力なしに豊かな混交林を育てていければ、日本中で行き詰まって、素人目にも死んで見える針葉樹林の、解決の糸口が見えてくるのではないか、と思っています。・・この下に沼がありますよ。

 ボートもありますね。このブルーシートは?

 今は雪が積もるので外してあるけれど、春から秋はシートを屋根にして休憩所にします。森に遊びに来た人や、炊事遠足に来る小学生のためのね。子供たちは雪についた狐や鹿の足跡、幹に空いたキツツキの巣や枝にかかったオオタカの巣など、いろいろなものを発見するのがとても上手だね。

nouhana3.GIF  あれ?この木についているビンは何ですか?

 これはイタヤカエデの樹液を集めているもの。カナダのメイプルシロップはサトウカエデから採っているけれど、イタヤカエデもおいしいよ。札幌から家族連れで遊びに来てくれる友人の発案でね、いや〜こんなにおいしいものが採れるなんてと驚いたよ。

 わあ、本当に甘い。材木・薪から木の実・キノコ・シロップまで、人が森に関わることで、こんなに豊かなものがもらえるんですね。


 森を一巡りした後、もう一杯お茶をいただき、千歳駅まで送ってくださる車中で、昼食にジンギスカンをおごっていただいたときも、たくさんお話を伺うことができました。お話と本田さんの著作から、本田さんの思いを紹介します。

 本田さんはお父さんと一緒に、畑も湿地もつぶして、大規模機会化稲作一貫体系に切り替えました。農業基本法農政の選択的拡大・農村生活の合理化が押し進められた1960年代後半のことです。しかし農薬と化学肥料で田がやせていくのに気付いたころ、国は減反を強制し、農業機会の借金が重くのしかかってきました。周りの森は、都会から押し寄せたリゾートブームのために高騰した地価でどんどん売られていきます。そんな中で、山での仕事は、労働の楽しさを思い出させてくれました。今は「ただ、自分が農業を営む機会を与えられたこの土地で、この地方と気候と水土に合った自分なりの農業をする」ことを目指し行動すること。そして本田さんの米を食べてくれる「その人たちのために、できるだけよい米を作りたい。とにかく、自分の米を地力のある田で作ろうと。おいしさとか安全性というのはその結果にすぎない」と考え、切れた都市と農村とのつながりを取り戻すこと。その2点が、本田さんが農を営む上での基本になっています。今私たちの生活は、森の恵みとは全く縁遠いものになってしまいました。けれどだからこそ、今までの歴史にはなかった森と人との関係がこれから創れるのではないか、誰かの森ではなくみんなの森をつくる「楽しみと共にある森づくりの文化が里山から生まれる」のではないか、と本田さんは話されました。本田さんの山の手入れの仕方は、学校で習う林業・育林法などでは理解できません。「雑木林育成論」としてマニュアル化はできないのです。実際に森のなかに人が入らないと、森はつくれません。行き詰まった国有林経営を、外国資本に切らせるかなどと、都会のコンクリートの建物の中で論じ合っていても無意味なことです。森に入れば、森が人を必要としていること、人は森の恵みを等しく受けられることが、すぐ分かるというのに。だから人の暮らしに寄り添ってある「里山が、都市と農村、消費者と生産者の交流の舞台になる」のだと本田さんは夢を語られます。互いに農の価値を知り、森づくりをする消費者・生産者の協働体〜私の言葉で言えばアグリエイター(農を楽しみライフスタイルを創造する人)のネットワーク〜が里山で生まれてくる。もうその協働体が動き始めている本田さんの山に、確かに農の可能性の華が咲いていました。このつくばから遠く離れた北の地からのわくわくする気持ち、あなたに届きましたか。


 本田さんは『自然と人間を結ぶ』1988年7月号(農山漁村文化協会発行)に「雑木林のある暮らし」をまとめられました。これは手に入りにくいそうですが、同誌1996年7・8月合併号にも、「自然と食と教育を考える研究会」の記録として報告が掲載されています。



今回のキーワード〜自発

 自発とは自己から発信すること。また「自」は自然の「自」でもあり、つまり自ずと発することです。からだや心がいやということに、ごまかさず耳を傾けて、「拒否する自分」を受け入れる。そして「いやだ」と言ってみる=発信してみる。慣れきった状態を打破するのには勇気が要りますが、住民の健康を考えない動燃に本当の怒りを感じたり、原発で作られた電気を消費している自分の矛盾に悲しいほど苦しんだり、草取りをしながらホトトギスの歌を聞けた幸運に驚いたり、体の芯からおいしいと思う野菜を食べたりすると、その勇気が湧いてくると思うのです。発信すると、それに共鳴する人がいることに気がつけます。現在の農業のあり方、食のあり方を「いやだ」と発信した本田さんたちの存在と「特別だけれど孤独ではない」という本田さんの言葉に勇気づけられました。共鳴する仲間がいて、それから、目指す方向が見えてきます。そうして見つけた方向を進んでいると、他人から「変わった」といわれます。しかしそれは、心や体に無理を強いる社会から、自分のライフスタイル・人の本来の暮らし方に「戻った」だけなのです。本当にその道が正しいのか、いつも振り返る必要はありますが、もっと心からの声を大事にしたいと思うのです。


 最後に本田さんからの宿題を皆さんにも。私もまだ答えを調べていないのですが……。

 風が流れて風流となり、風と土が風土をつくる。

 「風」という字にはなぜ「虫」が入っているのか。 

 農業agriculuture、自然nature、文化culture、〜tureの語源・意味とは何か。

 きっと素晴しい答えだと思います。

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