無題阿呆リズム
アフォリズム
;(英aphorism)簡潔な形式の中に深い思考による真理を含ませた文。
ヒポクラテスの「芸術は長く、人生は短し」の類。格言。箴言(しんげん)
ルールは簡単。
レス
不要/
具体的話題
不要/
責任感
不要/
無理な明るさ
不要/
。
書き逃げOKで、閲覧者の限界判断結果を書き連ねて貰えれば満足。
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ゲームの終わり
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10
(91〜97)
危惧の階段
引用
2001/4/10 (火) 09:11:31 - es+ - No.986861491
マジで……? あああ(恐慌)
(以下勝手にリンク↓)
http://www.prf.or.jp/~ikeuchi/21c.htm
返信-2
2001/6/21 (木) 21:00:36 - es+ - No.986861491.2
よく考えた上で、逆リンク辿られた方だけはお返事することにしました。
やっぱりこの場合は、礼儀に適っていないと思うので<レス禁止BBSの仕様
そういうわけで、文章楽しく読ませて頂きました。
ありがとうございました。
返信-1
2001/4/28 (土) 03:20:50 - てんてば(池内) - <
JAC01617@nifty.ne.jp
> - No.986861491.1
お読みいただきましてありがとうございます。
今後ともごひいきに(^^)/
呪い(引用掲載)
引用
2001/4/6 (金) 18:43:39 - es+ - No.986550219
「時間を節約することが幸福につながらないとわかっていな
がらも、やはりそうしてしまうのが居酒屋のニノでした。彼は昔からの常連のお客さん(彼等は
安いワイン一杯で何時間もねばる人たち)を店から追い出してしまいます。店の借り賃や物価が
上がったので、彼等の相手をしていたら商売の効率が上がらないと考えたからです。そうした結
果彼は、店の中が何となく寂しくなったと感じるのですが、他の居酒屋は同じように能率を上げ
てくるので、ますます時間を節約して立派な居酒屋造りに専念します。しかし、家族のためにと
思って時間を節約してきたニノに、妻のリリアーナは愛想をつかせて出ていってしまいます。思
いやりのない商売についていけなかったのです。競争が競争生む悲惨な状態であり、まさにもが
けばもがくほど抜けにくくなっていく鈎針のようです。
居酒屋のニノはモモと話しているうちに心が解かれていきます。「どうして俺だけが他の居酒
屋と違うやり方をしなくちゃならねえんだ? それともモモ、お前もそうしたほうがいいと思う
か?」モモはにっこり笑い、それにつられてニノも笑いを取り戻します。やがてはニノは<モモ
の所へいってごらん!>という言葉を思いだし、お店にはあのお客さん達が帰ってきました。」
判ってる。本来は当たり前なのだ、こんなことは。
しかし既に始まっており、誰も「いっせーのーせ」で抜けようとしない競争の中で生き抜く為
には、我々は是が非でも、他者に勝たねばならない。これを拒否することは死を受け入れるのと
同義なのだ。死を以ってのみ解決可能な人生哲学。愛する人を既に抱えた身でこんな芸当が出来
るのか。出来て良いのか。自らの死は耐えられても、恋人の死は耐え難い。
ミヒャエル・エンデは卑怯だ。彼は晩年の死の直前にこのような命題を出して、自分自身は消
えてしまった。残された我々は、この先見の明を持つ慧眼のジジィの優れた呪いに、生き永らえ
つつ絶対に打ち勝たなければならない。
強烈な共感力を備えた人間が死ななければいけない世界など、断じて願い下げだ。
引用
2001/4/1 (日) 23:53:24 - es+ - No.986136804
・定義の取り返しの意味不明さ
阿呆りずむ3(長め)
引用
2001/3/21 (水) 23:32:34 - es+ - No.985185157
・「父性」なる無駄な努力を払う人間を観察するクセが抜けようとしない。
混乱した全文化体系を全て見抜き、錯綜した政治環境を読み抜き、
様々な難問を知り尽くしているから,常に正当な判断ができるという傲慢が出来るのだろう?
なら、その答えを見せて貰おう、というわけだ。
そして多くの場合、私の目の前でその自信家達の牙は瓦解してきた。予想通りの猿山の大将。
――本音を言えば。
現代は社会自体が「無慈悲な父性」なのであって、人が無理に「父性」を着る必然などない。
理念形としての「父性」が有効なのは、「規範文化がしっかりした世界」が存在するから。
文化の爛熟した全ての複雑化社会で例外なく男性が力を失ったのは、
ひどく合理的なことだったのだ。
各人がその胸のうちにだけ、ひそかに父性を育み、この「無慈悲な父性」と戦い、
勝たねばならない。もう誰も、代わりに闘ってくれる人間などいない。
それは本当は、とても平等な在り方である筈だ。
aphorism #2
引用
2001/3/13 (火) 19:18:07 - es+ - No.984478687
・物事の正邪に拘るのは、結局のところ何者かを攻撃したいからではないのか?
それがどれほど論拠が正しく力がこもっていても、どんなに常識的に見えてもだ。
「自らの価値基準」を「他者の価値基準」より無条件優位に見る暴挙がなければ、
そもそも正邪などというものの判断はつかないから。
愛する人に対して、「正しい」とか「間違い」だとかが有効だと本気で思えるか?
過去の産物(投稿例)
引用
2001/3/8 (木) 02:18:57 - es+ - No.983985537
平凡なルーティンワークを抜けるには皮肉さが必要
皮肉による生産性低下には残酷さが必要
残酷さによる渇きを癒すには平凡さが必要(戻る)
test
引用
2001/3/5 (月) 01:41:49 - es+ - No.983724110
テスト。
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