19才後半、ドラマーになることを夢見て、大阪のミナミにあったキャバレーのバンドに、バンドボーイとして入る。
その頃その隣の店のバンドにはパーカッショニストの横山達治さんが在籍されており、パーカッションの奏法の手ほどきを受ける。
バンドボーイ兼パーカッションとしてステージに立たせてもらう。給料、一月2万円。
バンドボーイを初めて何ヶ月か経ったころ、ギタリストが急に辞めることになり、バンマスから「おまえ明日からギター弾け」。
譜面は読めない、プロのステージで使用できる様なギターは持っていない。
馴染みの楽器屋さんの好意に甘え、Gibson335とFender amp.を無期限月賦で購入、1日8時間以上、指から血を出すほどの練習が始まる。
1年足らずで初見の譜面を読めるようになる。
21才になる頃、初めてのCMレコーディングの仕事を貰う。
それ以降CMやカラオケ、ドラマや劇のBGM、歌伴奏などのレコーディングに参加。
当時、関西に数件しか無かったころの「ローソン」のCMを唄う。「開いてま〜す、あなたのローソン」
某国営放送のドラマのレコーディングで、作曲者の指定通りディストーションをかけたソロを弾いたところ
上のブースから「ギターさん、すみませ〜ん、音が歪んでるんですが.....」と注意される。まだまだこの音色はココでは認知されていなかった。
明石家さんまのデビューシングル「ミスター・アンダースロー」でギターを弾く。
その他、この頃ブームだった漫才師や落語家が歌ったレコードのほとんどに参加。笑福亭鶴瓶のライブアルバムにも参加。
大阪のザ・シンフォニーホールで行われた、朝日放送30周年記念番組で関フィルと共演
おそらくこのホールの歴史の中で始めて、アンプを持ち込みディストーションのソロを弾く。
- 70年後半から80年代にかけて専属バンドとして仕事をさせていただいた歌手の皆さん.....(敬称略、順不同)
坂本スミ子(至現在)、宮本典子、田中星児、森みゆき、早見優、高田みづえ、岩崎良美、
小坂明子、前野曜子、伊勢功一、風かおる、研ナオコ、尾崎紀世彦、紙ふうせん.....。(その他、記憶回路検索中)
アグネス・ラムが初来日した時、バックバンドとして同行.....デパートの屋上や商店街で演奏。
来日していた「S.O.S.BAND」のメンバーの誘いで、L.A.でレコーディングに参加、その後音沙汰無し、曲名も分からず、ギャラ無料。 |