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明石 昌夫さんから

コメントを頂きました

「制度疲労を起こした音楽業界の最前線で仕事をしてきて、以前から、

何か今までとはまったく違った切り口、コンセプト、手法で音楽を

創らなければならないと思っていました。そこにたまたま、以前一緒

にバンドをやってた仲間から連絡があり、金子みすずの「みんな

ちがって、みんな いい」というコンセ プトでCDを作りたいという

アイデアを聞いたのです。

その方向性こそ、今私がやりたいと思っていたものだったので、久し

ぶりに会 ったその日1時間ほどで、歌詞や曲のイメージを含めた、

このCDの基礎ができてしまいました。そして、誰が歌うかという話に

なったとき、いろいろな候補者が上がったのですが、私としては、既

成のポップス、流行歌にしたくなかったのです。

そこで名前が上がったのが、「さとうちえ」です。以前私は彼女の歌

を聴いたことがあったので、まさに今回のコンセプトにぴったりだ、

彼女しかいない、 と思いました。

その後、作詞や作曲に関して、紆余曲折はあったのですが、最新の

技術と豊かな経験に裏打ちされた、素晴らしいCDが出来上がりました。

癒しが必要な人、 肩の力を抜きたい人、自信が少しなくなりかけてる人、

何だかこの先ちょっと不安な人、そんな人に聴いてもらいたい曲です。」

明石昌夫 AKASHI MASAO  音楽プロデューサー

1957年3月25日、兵庫県に生まれる。音楽好きの一家に生まれ、4歳からバイオリンを習い始める。中学時代か

ら60一70年代のブリティッシュ・ロックに影響を受け、特にレッド・ツェッペリン、クリーム、ジミ・ヘンドリック

スといったハ一ド・ロック黎明期のロックバンドやアーティスト達に強く魅了され、中学3年の時にバンドを結成。そ

の後、大阪大学工学部を卒業するまで大阪のライブハウスシーンで活躍する。大学卒業後はプロベーシストとして活動

しながら、多くの楽曲を作曲。その才能をビーイングの長戸大幸氏に見い出され、上京。アレンジゃーとしてB’zの

1stシングルに始まり、WANDS、ZARD、大黒摩季、T-BOLANといったビーイングの中心アーティストのほとんどのア

レンジメントを手掛けるようになる。93年にはオリコン編曲者部門で2位、松本孝弘(B’z)との連名で位、T-BOLAN

との連名で5位となっている。その売上総数は、B’zだけでも3000万枚を誇り、他のアーティストを含めると数千

万枚に至る。

1980~1987  大阪にてベーシストとして活躍。

        長戸大幸氏にアレンジゃーとしての才能を見い出され、上京。

          B’zの1stシングルに始まり、WANDS、ZARD、大黒摩季、T-BOLAN等を手掛ける。

1988~1994  アレンジゃー活動のかたわら、B’zのアレンジャー・マニュピレーターとして        

        レコーディングに参加。97年までベーシストとしてツアーサポートも努める。

1996      ビーイングを離れ、プロデューサーとして独立。

  

以降、SIAM SHADE、華原朋美、MOON CHILD 、Janne DaArc、V6、 椎名へきる、2丁拳銃 、安西ひろこ、キタキマ

ユ、島谷ひとみ、西城秀樹、La’cryma Christi、FAIRY FORE, 中澤裕子、Kinki Kids、タッキー&翼、ザ・ベイビース

ターズ、晴晴”等を手掛け、現在もヒットを出し続けている。2003年3月20日にはリット−ミュージックより

『音楽を”作る””売る”という仕事〜そこが知りたかった!ギョーカイの掟83〜』を出版した。