本多菊次朗出演作品(3)


デリヘル嬢 絹肌のうるおい

2002年、製作:セメントマッチ、配給:オーピー映画
監督:池島ゆたか、脚本:五代暁子、音楽:大場一魅、助監督:森山茂雄
出演:真咲紀子、北条湖都、橋本杏子、本多菊次朗、兵藤未来洋、樹かず、石動三六、河村栞

映画の冒頭、デリヘル嬢であるヒロイン(真咲紀子)は、汚れた川岸に浮かんでいる自分の死体の幻を見る。彼女は自分のいる場所の危うさに薄々気が付いているものの、かといって劇的に環境を変えようという意志がない。不景気でストレスの固まりになったサラリーマン(本多菊次朗)とか、AV嬢を見つけだして一発稼ごうと思ってるプロダクション社長(佐々木共輔)とかを相手にしながら、楽しくもなく苦しくもない毎日を過ごしている。この世界にいると誰かが死んだという噂をよく聞くなあ、とぼんやり思い、実際一度はSMマニアに殺されそうな経験をしながらも、貯金通帳を開いてそこに並んだゼロの数を数えれば、まあいいか、という気分になる。今日もまた川岸に自分の死体が浮いている。いずれにしてもいつかは死ぬんだし、何も驚くことはない。

男に騙されて貢がされるばかりの女の子(北条湖都)とか、子供を養うために風俗に入った30代の新人(橋本杏子。自分の子供とご出演だったそうだが、カワイイ赤ちゃんだった〜)とか、ドラマチックな生き方をしている主人公たちなのかもしれないが、彼女らは皆いたってあっさり・・・というか適当、怠惰な雰囲気すら醸し出している。特に真咲紀子の演じる主人公はマジメに仕事をこなすデリヘル嬢だし仲間ともちゃんと付き合っているものの、実は誰に対しても無関心で、何を考えているのか全くわからない。
この女性たちをバイタリティ溢れる有様で描くこともできただろうけども、この映画では、ズルズルと流されて行く彼女らの毎日を、面白そうにでも批判的にでもなくただ淡々と追っている。「知り合いが死んだことにも驚かなくなった」と言うセリフが途中で登場し、実際彼女らの一人が映画の終盤で姿を消しても、その事実はかすかな笑いと共に忘れ去られる。装っているのか実際そうなのか、その世界にいるからどうしようもなく身につけてしまったのか、流れ流れる日常の中で培われている周囲に対する「無関心さ」。この映画を観ていて漠とした不安を感じるのは、そのせいかもしれない。私が今まで見た池島&五代コンビの映画とはずいぶん違った雰囲気の作品だった。

橋本杏子のセックスシーンで母乳を出してみせるところ、なんか見てはいけないものを見てしまったという気が。だってなんかアレなんだもん…(謎)
主人公たちが時々のみに行く焼鳥屋の主人が松木良方(ご本人のお店?)、その客にノークレジットの佐野和宏。デリヘルの社長がフリーライターの石動三六氏で、この人がとっても宜しかったです。
本多氏はオープニングで真咲紀子の絡みの相手として登場。これが池島組初登板だったようです。不景気でやんなるよーやってられないよー、と濡れ場の間中ぼやいているサラリーマンを哀感たっぷりに演じてます。でも出番はそれだけ。もう少し見たかった〜!←心の叫び (2003.7.3.)


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牝猫 くびれ腰

2003年、製作:セメントマッチ、配給:オーピー映画
監督:池島ゆたか、脚本:五代暁子
出演:本多菊次郎、望月梨央、美奈、紅屋トミ子、樹かず、色華昇子、吹雪桜子、神戸顕一

主人公(本多菊次郎)は大会社で部長職に就くエリートサラリーマン。部下(神戸顕一)からは慕われ、家に帰れば美しい妻(望月梨央)が三つ指突いて出迎え、出来の良い息子(樹かず)にはお似合いのフィアンセ(美奈)がおり、満ち足りて何不自由なく暮らしていた。或る夜、彼は窓から差し込む白い光に誘われて家の外に出てみる。そこには謎めいた少女(紅屋トミ子)が立ち、微笑みながら彼を手招きしていた。その翌日、仕事中の彼は再びその少女に出会い、自分は宇宙人だと囁く彼女に誘われるまま夢か現かのうちに関係を持った。その時以降、彼の日常が少しずつ静かに壊れ始める。

この映画、寺山修司だった。と、いっても、白状すると私は寺山修司をあまり詳しく知らないので、寺山修司っぽい映画だったというニセモノな感想(恥)が正直なところ。レトロなナース姿で眼帯&松葉杖で微笑むおかっぱの女の子とか、白塗りの女バーテンダーとか、超絶的に煌びやかな宇宙船…というか妄想の中の妄想の世界なんだけど…ドラァグ・クイーン的メイドとか、風に散らばる白い紙とか。決して嫌いではない。むしろ好きかも。(ただし「宇宙人」という言葉はいかがなものか。あまりに安っぽくないだろうか。)

完全にネタバレになるけども、この映画は、一人の男が逃避していた妄想の世界が、彼自身の描いた(かもしれないし偶然生まれてしまっただけかもしれない)もう一つの妄想によって壊れてゆくという語である。映画の中盤以降、物語がひっくり返されて、ゴミに埋もれ、点けっぱなしのテレビから流れる映像と壁に貼ったグラビアの女たちに囲まれて生きる男の有様が描かれたとき、或る程度途中で筋が読めていたとはいえ、私はちょっと身震いしてしまったのだった。(そもそも私はこの手の話が大好きだったりする)
物語の終盤、妄想の世界で生きたいと願いつつ叶わない男は、同時に、もう一つの妄想で生みだした少女に誘われて彼岸の海へと踏み出してゆく。しかしこの物語で一番残酷な一瞬はその後に訪れる。映画の最後のシーンは、その海の前に子供のように裸で膝を抱きうずくまる男の姿。彼は妄想の中で生きることも許されなければ死へと旅立つこともできない。のたうちながら現実の中で生きること、それが彼に与えられた結末である。

物語が急展開してからのテンポが悪い気はしたけども、総じて私の好きな世界。文句をつけたくなるところは女優陣の演技でしょうか。まあ仕方ないと思うんだけど〜。妄想世界の人物という設定でうまいこと演技の稚拙さを言い訳できているような気はするのだけど、やはり、それにしてもどーにかならんかのう?と思ってしまったのだった。望月梨央嬢はこの作品でデビューだったそうですが、「不倫妻の淫らな午後」ですごく良かったので違いにビックリ。きっと急成長したのでしょう(←えらそう)。それに電波な少女を演じた紅屋トミ子は演技ではなく寺山ワールド的ビジュアルで選ばれたのでは…と思わずにいられなかった。この役は重要だったと思うんだけど、そこんとこどうでしょうアレは。
そんなわけで周りの女優陣が今ひとつ心許ないこともあって、この映画は主演の本多菊次郎(朗ではない。微妙に違うのはナゼ?笑)氏ひとりに背負われてるような気がしたのだった(いつもの曇り目かもしれませんが)。池島作品だから濡れ場は濃厚なのが揃っており(笑)、それにもちろん本多氏も絡んでいるのですが、それよりも、ラスト10分で狂騒のうちに現実へと辿り着く主人公の哀しさと滑稽さ。ファンとしては、新たな引き出しの中身を幾つも見せてもらえたのが心より楽しかった!

(2003.7.6.上野オークラにて鑑賞。この内容は上野に集う方々にはイタかったのでは…)


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母娘監禁 牝(めす)

1987年、製作:メリエス、配給:にっかつ
監督:斉藤水丸 、助監督:北浦嗣巳 、脚本:荒井晴彦
出演:前川麻子、加藤善博、吉川遊土、河原さぶ、本多菊次朗

主人公(前川麻子)は17歳の女子高校生である。仲良しの友だちと三人でいつも過ごしていたが、ある日、彼女が「三人で死んじゃおうか」と戯れに言ったことが引き金なのか(そうでないのか)、そのうちの一人が、三人が遊ぶために待ち合わせていたビルの屋上から飛び降りて死ぬ。ちょうど待ち合わせに遅れてきた主人公の目の前に落ちてきた彼女は、笑っているように見えた。
ショックを受けた主人公は自分も後を追おうと思うが果たせず、電話相談に電話をかけ、そこで対応した男(加藤義博)と親しくなり関係を持つ。そのまま男の部屋にいついた彼女は、そのうち男の強いるままに、しかしながら同時に自分でもさして実感のないままに売春するようになる。

DVDのパッケージには「日活ロマンポルノ末期の傑作」と書いてあった。テーマ曲はユーミンの「ひこうき雲」。岡田有紀子の自殺とか、「プッツン」とか、そういう言葉が劇中に出てくる。
ただ、私は日活ロマンポルノ作品をつまみ食い程度にしか見ていないので、どのくらいの作品があってその中でこの作品がどのような位置づけかはわからない。ちなみにこの作品の脚本は荒井晴彦なのだが、私は彼の手による作品をほとんど見てないので、その点からどうこう語ることもできない。なのであくまでひとつの作品として見ての感想。というか覚書。
ヒロインは「自分は(友だちが自殺した時点で)すでに死んでいるから、あまりの人生を生きている」とうそぶきながら自堕落な男の言うなりになり、昔の親友を自分と同じような世界に引きずり落としたりしながら、 しかしどうしようもなく子供なのだった。女のからだになって、ダメな男に愛想を尽かすでもなく付き合う風情はいっちょまえに「女」だけども、今ひとつこう、フラフラしている。ダメな女としてのフラフラではなく、さしたる意思もなく、人の人生を生きるかのごとくフラフラしているのだ。「あまりの人生」それ以前に、彼女はポッと飛び降りて死んだ友だちと同じく、実感を持って生きていない(なんて表現はどうかと思うのだが)、責任感のないいかにも10代な、要するに幼稚な女の子なのだった。ダメな男にくっついているのも、好きになってしまったから…てなことになるかもしれないけども、やっぱり悲しいまでにしたたかさに欠けた子供の感覚に思えて仕方なかった。
タイトルの「母娘監禁 牝(めす)」というのは、そんな彼女が(自力で本当はどうにかできるのに)にっちもさっちもいかなくなって最後には母親(吉川遊土)に電話してしまう、という終盤近くの場面から始まる一連のシーンを表している。娘を助けたいなら体を差し出せと言われ、その目の前で複数の男に犯された母親は、ことが終わって娘と帰る雨模様の道すがら、陽気に夕食のことを話していたと思えば、いきなり喉が乾いたと呟いて水に飢えた獣のように自販機のジュースを飲みはじめる。たぶんそれが(主人公に決定的に欠けていた)生きる上でのしたたかさであり醜さであり、強さなのだ。ちょうどサトウトシキの「今宵かぎりは・・・」のラストで黙々と食事をする葉月螢と同じく。それを見て主人公は嫌悪とも哀しみとも拒絶ともつかぬ表情で、雨の中を走り出す。
ラストシーンで主人公は最初と同じ浜辺を、今度は一人で歩く。まるで最初から全然変わっていないような、かわいらしい少女の顔で。しかしそれもなかなかしたたかではないかと私は思ったのだった。彼女もまた、確実に芽生えてきた図太さをもって自分の人生に戻ってきたということではないか。何事もなかったような素知らぬ顔で、ただ雨に濡れた風邪の名残だけを残して。

主人公の前川麻子(今は作家でもあるそうな)、加藤善博のダメなカップルがとてもいいです。特に前川麻子の透明感のあるかわいらしさにビックリ。同時に、ダメでボケでカスな男だが(笑)決して主人公が可愛くないわけでもなく扱いあぐねているような困った男・加藤善博の屈折具合にも大変味があります。
加藤善博が女を紹介して小遣いをもらってる金持ちの中年男が河原さぶ。若い。そして、この河原さぶと加藤善博のパシリ的存在が本多菊次朗なのだ!イエイ!最後、主人公の母親と絡むシーンで、最初はおずおずと、いつの間にか積極的に…という、まあレイプものでありがちな腹の立つキャラクターではありますが(苦笑)、しかし、2秒ほどアップになった時の様子は大変かわいらしかった…。(2003.7.11.)


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恋する男たち

2002年、製作:セメンチマッチ、配給:オーピー映画
監督:池島ゆたか、脚本:五代暁子、音楽:大場一魅
出演:桜井雅也、竹本洋、河村栞、兵藤未来洋、石川雄也、横須賀正一、本多菊次朗、山ノ手ぐり子、神戸顕一、真咲紀子

「弟の恋人」「あいつの恋人」の二話からなるオムニバス映画(といって良いのか)。
第一話は、田舎の厳格な実家から出てきて東京で二人暮しをしている姉弟(河村栞、桜井雅也)と、弟の恋人(竹本洋)との関係。弟がゲイとは知らずにその恋人を好きになった姉はその後弟のセクシャリティを知り、二人して「家」「親」からの自立を目指し始める。
第二話は、片思いのノンケの男(石川雄也)が女に産ませた赤ちゃんを、その女から預けられて育てるゲイの青年(兵藤未来洋)と、彼を心配する恋人(横須賀正一)との関係。片思いとは別に、子供を恋人と共に育てることに喜びを感じるようになるまで。

この映画、第12回東京レズビアン&ゲイ映画祭(青山スパイラルホール)にて鑑賞。
ホモセクシュアルに付きまとうに違いないカミングアウトの問題、子供の問題を織り込みながら、池島作品なのでしっかりと濃厚な絡みも見せていつものように盛りだくさん。1話30分の二本立てみたいなものなので、物語も簡潔でダレないし、コメディ仕立てになっていて飽きないし、なによりとても後味が爽やか。キレイすぎるかもしれないけど、「前向きな気分になれる」(五代暁子氏談)ウェルメイドな佳作で、映画祭にふさわしい作品だったという気がする。
俳優陣も皆ピッタリ役に合っている。特に、1話目の河村栞、二話目の兵頭未来洋がとても良かった。兵頭未来洋って「デリヘル嬢」ではピンとこなかったけど、この映画では誠実でちょっと押しの弱そうな青年の役にピッタリ。赤ちゃんを背負ってノートパソコンを叩く姿など大変好ましいです。
映画館ではなく映画祭ということで客の反応が面白かった。最初のカラミの時でイくシーンだとか、河村栞が弟がゲイであることを知るシーンとかにどっと笑いが起きたりして。 池島組の俳優陣(本多菊次朗、神戸顕一、真咲紀子)が、第2話の主人公が嘱託社員として働く会社の同僚として登場(役名もそれぞれの名前と一緒)。本多&神戸の二人がごく一瞬の出演時間ながら笑いを誘います。本多氏は髪に白いものを混じらせて、イヤミな課長をコミカルに演じてます。ちなみにこの池島組、物語のエンドロールで再度登場。本多氏、画面に登場しない神戸顕一を「カンベ!!」と怒鳴りつけ、画面に滑り込んできた彼の頭を思い切りはたく(笑)。ここでも大いに笑いが・・・。

上映後は、監督・脚本家・出演者のティーチ・インが行われ、池島監督はここでやはりエンターティナーぶりを発揮。射精するシーンをいかに「SFX」を使って撮影したかとか(笑)、主演俳優を見出したときのエピソードとか、観客が聞いていて本当に楽しい話題満載。また五代暁子が、2話目でシングルマザーを少々悪いように描いたことについて、「自分もシングルマザーなので大変苦しかったが、これはゲイムービーということが前提なので、あえてこのように描いた」と、語っていたところが、私には大変印象的でした。 インタビューが押してしまったので(ピンク大賞の時と一緒だ・・・笑)観客からの質問は1つだけだったのだけど、この質問が成人映画というものを知らない人からなされたもので、「大人向きの映画ならば、なんで絡みばかりで心情の部分をもっと突き詰めて描かないのか」というような内容。私はアララ・・・と思ってしまったのだけど(進行の人もちょっと焦ったんじゃないかなぁ)、池島監督は丁寧に、成人映画がどういうものであるかを説明、そのうえで、「むろん絡みのみではなく、それ以外も描くことは常に意識している」というようなこと(聞き惚れていてうろ覚え・・)を述べてらっしゃった。会場内拍手。私ももちろん拍手したのでした。

その後、ロビーにいた池島監督を捕まえてパンフレットにサインを頂いてしまった私。「牝猫 くびれ腰」が良かったです、と申し上げるとすごく嬉しそうに応じてくださいました。ビバ池島ゆたか!←ミーハー (2003.7.19.)


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