1984年、原題「お嫁さん日和」
製作=国映 配給=国映・新東宝
監督:周防正行
出演:風かおる、山地美貴、大杉漣、下元史朗
「シコふんじゃった」「Shall We ダンス?」の周防正行監督が手がけたピンク映画。いきなり松竹映画でお馴染みの富士山の絵から始まるノリの良さ。(実際は、映画で登場する家庭の茶の間にかかっている絵という設定)
初老の主人公(大杉漣)は長男(銀行員)、次男(高校生)、長女(OL)と共に、古ぼけた家で静かに暮らしている。最近長男が嫁をとったために、若く美しい(かどうかわからんけど)嫁がその家にやってくる。毎晩のように二階でセックスする二人の気配に、他の三人の家族は一階でお茶を飲みながら少々困惑気味。主人公は気まずさを紛らわせるために近所のスナックで「かあさんによく似た」ママ相手に一杯飲む。
時が経つに連れて、静かだった5人の間にはゆっくりと変化が訪れる。平凡に終わって行く生活に嫌気が差した長女はソープランドで働き出して、最後にはそこの支配人と結婚する。長男は、自分の母親に似ているといわれたママのいるスナックに通ううち、そのママとねんごろになって自宅に帰らなくなる(二人のSMちっくな絡みのシーンがみもの)。次男は思春期独特の不安定な部分を気だてのいい嫁の体で慰められ、ふっきれたのか自立を決意する。主人公は嫁を気遣い、実家に戻るように促すが、彼女は「自分の父親から、最初から幸せな結婚などない、幸せは自分たちで作るものだと言われた。私は夫を待つ」と毅然と返事をする。そして、老い行く主人公と嫁だけが、家に静かに残される・・・。
DVDには監督のインタビューがかなりの時間収録されてました。自分で感想をまとめる前に、監督自身の解説を聞いてしまったようなものなので、自分なりの感想がちょっと書きにくい。しかしこの作品、評判以上に小津安二郎なのだけど(笑)監督曰く、「『晩春』で原節子が父を残して嫁いだ先が変態家族だった、という話」と仰っていた。ああ、原節子様が、かわいそう・・・(笑)。それにしても、台詞のしゃべり方から間合い、カメラの位置、登場人物の目線、立ち位置、空間の使い方、よくもまー小津を「真似した」(BY周防監督)もんだわー。当時30代だったという大杉漣を笠智衆として使っているのだけど、顔や体はどう見ても若いのに、立ち居振る舞いは完全に笠智衆・・・なのだが感心するというよりは笑えてしまう。
こうして見ると、あらためて小津安二郎って変な監督だよなぁと思う。私は「東京物語」や「晩春」「麦秋」はいい映画だと思うんだけど、いろいろな評論家がどう言っていても、私自身に関して言えば、なぜいい映画だと思うのか今ひとつよくわからない。あれほど作為的で不自然な映画はないと思うのだがそれが何故か美しいと思える、そういう不思議な世界が小津映画なのだろうと思ったことはある。しかし私にとっては、あの美しさは、表面では描かれない何か不穏なものを内包した美しさであり、時には何となく怖いような気もする。「変態家族 兄貴の嫁さん」では忠実にそういう不穏さも秘めた美しき小津ワールドを再現してるんだけど、その中にピンクならではのセックスが入り込んだことで、いかに小津映画が(悪い意味でなく)不自然で不穏なものだったかを逆にあぶり出したようにも私には思えたのだった。セックス(気配を匂わせるだけでなく、体のぶつかりあいそのもの)描写は、ピンク的に猥褻であっても、小津世界よりよっぽど自然だ。
「変態家族 兄貴の嫁さん」が私にとっていびつに美しく思えたのは、不穏なものを内包したまま静かに流れてゆく小津的時間と、ピンクならではの猥雑な体のぶつかり合いが同時に一つの映画で調和しているように見えるから。ラストシーン、嫁は二階で掃除をしている最中に夫とのセックスを思い出して自慰に耽り、一階では一人、縁側に座る主人公が一人呟く。「母さん、いい嫁じゃないか」。このシーンがこの映画の魅力の全てだと思ったり、思わなかったり。
(大杉漣の絡みはありません。念のため。笑)(2002.12.3.)