飛 梅


 3月に入ったというのに、未だ春の気配は感じられない。太陽が西に沈むとすぐに、冷たい夜気が澱のようにそここに留まり、どうにかすると身も心も凍てついてしまうような気分になる。

 ジーンズのポケットに両手を突っ込み、ジャンパーの襟に口許を埋めるような格好で歩く飛葉と、藍染めの絣の着流しに橡(つるばみ)色の襟の、くすんだ風合いの蘇芳の羽織をひっかけているオヤブンの二人連れは、傍目から見ると少々風変わりな二人連れに見えなくもない。少々不安定さが残る少年期特有の声で笑う飛葉のやや幼い風貌と、多少乱暴ではあるが粋な下町言葉を使う強面のオヤブンの、いかにも任侠の男といった様子に共通点のようなものは見当たらない。けれど楽しげに歩く姿から、二人の親しげな関係は容易に推測できた。

 一陣の風が路地を通りすぎる。

「うえ〜、寒い寒い。3月だってぇのに、ちっとも暖かくならねぇな」

当然、返るはずの親分の声がしないことに気付いた飛葉が横を見ると、先刻まで並んで歩いていたオヤブンの姿がない。振り返るとオヤブンは立ち止まり、あちこちに頭を巡らせて何かを探しているようだった。

「おい、何してんだよ」

「ああ、梅がな、近くにあるみてぇでな」

「梅?」

飛葉がオヤブンに駆け寄る。

「さっき風が吹いた時、臭いがしたんだ」

「俺にはわかんなかったぜ」

「わからねぇんじゃなくて、花の臭いなんか一つも知らねぇんだろ」

「んなこたぁ、ねえ……と思うけどな」

「あ、まただ」

オヤブンが口を閉じ、まるで何かの面影を追うような表情で花の気配を追う。

 しばらくの間、黙り込んでいたオヤブンが飛葉に歩みを促し、先に歩き始めた。

「おい、オヤブン。梅、見に行かなくていいのかよ」

「ああ、今年も咲いたんなら、それでいいんだよ」

振り返った親分が微笑みを浮かべる。飛葉が小走りでその隣に立つと

「東風吹かば、思い起こせよ梅の花。主なしとて、春な忘れそ……てな」

と言う。

「こっち?」

飛葉が合点がいかぬといった表情で聞き返すと、オヤブンが呆れた表情を浮かべる。

「東から吹く風のことを、『こち』ってんだよ。で、そいつが吹いたら春が来るって案配だ。おめぇ、ホントに何も知らねぇんだな。こりゃ、中学校でも習う短歌だぜ」

「どうせ俺は、学校より少年院にいる方が長かったからな」

飛葉の悪態に気付かぬ振りで、オヤブンは言葉を続ける。

「平安時代に菅原道真って野郎がよ、誰かの陰謀で濡れ衣を着せられたかなんだかで、京都から太宰府に左遷されたんだな」

「太宰府って、九州の太宰府かよ」

「ああ、そうだ。で、菅原道真って男は庭の梅の花が大の気に入りだったらしくてな、太宰府に行く前に短歌を詠んだわけだ。『主人の俺が家からいなくなっても、東から風が吹いたら春を思い出せ』ってな。ところがだな、主人に気に入られてたことを知ってた梅の花は、一晩で太宰府まで飛んでいって毎年花を咲かせたとかっていう話があんだよ」

「京都から太宰府まで……バイクでだって一晩で行けるぜ」

「全くお前って野郎は情緒のねぇ男だね。大昔の話なんだから、すごいことだったんだよ」

「時速100キロで走る梅の花ね。確かにそりゃ、バケモンだ」

飛葉の茶化した口調に、オヤブンはお手上げだと言わんばかりに溜息をつく。

「てめぇの親分筋の男について地の果てまでも行くって心意気がよ、俺は随分気に入ってんだ」

その言葉に飛葉は、感心したように相づちを打つ。

「それにしても、よく知ってたな。オヤブンに学があるとは知らなかった」

「俺が昔世話になった親分さんの受け売りだ。男なら、渡世で生きるつもりなら、どこに流れようと誰かがついてくるような男になれってな、義兄弟の杯を交わしたヤツがどこに流されても離れねぇって心意気を持てってな、いっつも言ってたよ。いつだったか、親分さんのお供で九州に行って、そン時に太宰府の天神さんに連れてってもらったんだ。あの日も梅が咲いてて、いい匂いだったよ。それからつい、この時期になると梅の花を探しちまうんだ」

 そう言ったきり、飛葉もオヤブンも無言で春まだ遠い夜の道を歩いていく。時折、夜風に紛れて春を告げる花の香が通り過ぎていったが、二人は言葉なく、訪れる春を忘れることなく報せる律儀者の花の気配をただ追うばかりだった。


春の気配が漂い始める頃、『飛梅』を思い出します。
ワイルド7のメンバーでは、梅はオヤブンに一番似合うように思います。
そんなワケで、オヤブンが主役のお話を書いてみました。
ところで梅の花の精は女性らしいので、
主人ではなく、恋人を追っていったとも考えられますが、
学校ではそんことまでは教えてもらえませんでした(笑)。

飛葉を花にたとえると、ひまわりかチューリップ。
踏まれてもすぐに復活するオオバコとかね(笑)。


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