ありきたりな結末
部屋の中央に据えられた卓袱台の上には二つの湯飲み。部屋の主は何杯目の茶を啜っているのかを数えるのにも、既に嫌気がさしていた。そして卓袱台の向こうで背中を丸め、俯いたきり黙っている男は湯飲みに手を伸ばそうともしない。すっかり冷めてしまった茶を何度か煎れ直してやっても、とっておきの茶菓子を勧めてやっても黙したきり動こうともしない男に目を遣り、飛葉は溜息を落とす。
「ヘボよ、人ン家に来た早々、不景気なツラしてんじゃねぇよ」
辛気くさくて適わないと、飛葉が若干の非難を込めた調子で呟くと、
「お前まで俺を見捨てんのかよ」
と、巨体を更に小さく丸めて男が答える。
常ならば見上げなければ話もできない男であっても、完全に意気消沈してしまうとこうも小さく感じられるのかと素直に感心すると同時に、せっかくの休暇を台無しにされたことに対して飛葉は、ちょっとした憤りを感じていた。
◇◇◇ 秋が始まった頃、ある事件に関する索敵と内偵を進めていたワイルド7のメンバーは、人々が紅葉狩りに興じていることどころか、町中にクリスマスソングが流れ始めたことにさえ気づけないほど、警察組織の手に余る敵の殲滅に追われていた。ようやく任務から解放された飛葉が空気の澱んだアパートに戻り、冷え切った煎餅布団に潜り込み、久々に手足を思う存分に伸ばして眠ってから目覚めた時、世間は仕事納めや大掃除や餅つきなどの迎春準備を始めていたのだ。
飛葉は季節を一つ取りこぼしたこと自体を特に気に病んではいなかった。秋の恵みは来年だって楽しめる。それよりも目前に迫った新年を満喫できるよう動いたほうが建設的だとも言える。よって飛葉は大掃除を始める前に商店街で腹ごしらえを終え、ささやかな迎春準備をすることにしたのだ。しかし、彼の予定はつい先日まで共に死地で戦っていた大男の訪問により水泡と化した。
大晦日の昼過ぎにやって来たヘボピーは、任務に就いている間に夏に出会った恋人に振られたと、逞しい体躯に相応しからぬか細い声で告げた。
任務の間に何度か連絡をとってはいたが、晩秋を迎える頃に女が消息を絶ったのだという。任務を終えたヘボピーは、以前教えられていた住所に出向いてみたが、そこにあるはずのアパートは取り壊されて新地(さらち)になっていた。近所で怪しまれない程度の聞き込みをして得た答は、アパートは所有者の死亡により遺産を巡っての骨肉の争いが起こり、遺族は築20年の賃貸物件を撤去した後、土地のみを売却することに決められたのだという。警視正のバッジをちらつかせて入居者の消息を辿ってはみたものの収穫はなく、ヘボピーは傷心を絵に描いたような様子で飛葉の部屋のドアを叩き、以来飛葉はワイルド7のメンバー随一の巨体を誇る男と差し向かいで茶を啜ることを余儀なくされているという塩梅だ。
「しょーがねぇだろ。縁がなかったと思って諦めろ」
「それができりゃぁよぉ……」
「男らしくねーぞ。だいたい、なんで俺ンとこに来んだよ。他にもいるじゃねーか、暇人どもが」
飛葉の言葉にヘボピーが弱々しい声で答えた。しかしその声は飛葉の耳には届かない。
「なんだって?」
「……雑煮を……秋になったらバイクでどっか行く約束だった。正月は一緒に雑煮を食おうって言ってたんだ……」
飛葉の胸裡を嫌な予感が走る。
「お前……まさか……」
「雑煮、食わせてくれよ」
「なんで俺がお前に雑煮を作らなきゃなんねぇんだよ! ふざけんのも、いい加減にしろ」
「ダチじゃねぇか」
「それとこれは別ってもんだ。だいたい、色恋沙汰にうつつを抜かしてられる身分じゃねぇんだぜ、俺達は。あちこちの悪党に恨みを買ってる以上、いつ、誰に襲われたって不思議じゃない。そんな状態で女なんかいたりしたら、あっという間に足下を掬われちまわぁ」
「お前……冷てぇな」
「ヘボよ、リーダーとして言っておく。ワイルド7を名乗るなら、女なんて弱みを作るな」
「守る人間もいねぇヤツに何ができるってんだ」
「てめぇでてめぇを守れる女なら文句はねぇさ、俺だって。せめてカタギの女にゃ手を出さねぇこった。相手を大事にしてぇっつーんなら尚更だ」
飛葉はそう言い捨てると、壁に引っかけてあるジャンパーに袖を通した。
「ま、今度だけは武士の情けで雑煮を食わせてやる。お前、その代わりに部屋の掃除しといてくれ。布団もよ、干しといてもらおうか」
飛葉の言葉を聞いた途端に顔を上げたヘボピーの、捨てられた子犬のような目と視線を合わせないようにしながら、飛葉は買い物籠の代わりに使っているボストンバッグを手に部屋を出た。
◇◇◇ 正月用品の買い物を終えた飛葉は、ふと思いついて世界のアパートに立ち寄ってみた。世間様が平和な時には必ずと言っていいほど暇を持て余している己を振り返り、ご近所のよしみで年越しそばと雑煮を振る舞ってもいいかと考えたのだ。そして飛葉の予想通り、暇に飽かして愛用のモーゼルとナイフの手入れをしていた世界に声をかけると、世界はどういう風の吹き回しだと苦笑いを浮かべながらも、雑煮の相伴に与ろうと答える。
アパートに向かう道すがら、飛葉はヘボピーのていたらくをやや誇張を交えて話した。
「そう言うな。見た目はアレだが、気のいいヤツだ」
「わかってるさ、そんなこたぁ。だから女に深入りしないように釘刺しといてやったんだ」
「言い方ってもんがある」
「どう言ったって同じさ。そば食って、雑煮食って、初詣にでも出てよ、パーッと騒げば気も晴れるってもんだ」
「そんな単純なもんか」
世界のやや非難めいた言葉に飛葉は、不服そうに鼻を鳴らす。
「振られちまったのはしょーがねぇ。あれこれ考えたところでどうにもならねぇんだ。さっさと忘れるのが一番だろ?」
世界は飛葉の言葉を否定しはしななかったが、多少言い足りないことがあるように見える。しかし飛葉は敢えてそれを見なかったことにして家路を急いだ。
◇◇◇ 部屋に戻ると、ヘボピーに言い渡した大掃除は手もつけられていない状態だった。それどころかヘボピーの他に見覚えのある人間が集まり酒盛りをしており、まさに宴たけなわといった案配である。
「対応としては悪くない……か」
世界が室内の惨状を見て呟く。
「女に振られて酒に飲まれる。陳腐ではあるが効果はある」
「人の部屋でかよ」
「ま、運が悪かったと思って諦めるんだな」
世界は薄く笑いながら飛葉の肩を叩くと、ヘボピーを中心とした喧噪に向かう。そして飛葉は天を仰ぎ、
「また俺が飯係かよ」
と、運に見放された己を一人憐れんだ。
無駄に体格の良い人とか、
いかにも頼りになりそうで実は気が弱い人とか、
口は悪いけどお人好しだったりとか、
ええ歳をしてるのに大人げない人とかが好きです。