ある男の生涯―3―
見るからに善人といったような教頭は、薄くなった頭に続く、決して広くはない額に浮かんだ汗をしきりにハンカチで拭い、生活指導主任だと自ら名乗った神経質そうなベテラン教師は憤懣を露わにしたまま教頭の隣に座っている。その隣には先輩教師の心中などどこ吹く風といった態度の八百。テーブルを挟んで対峙するのは草波の命令でこの場に居合わせることになった世界と、この騒動の発端でもある飛葉大陸だった。
「えー、飛葉君は転入したばかりで戸惑うことも多いと思いますし、生徒の自主性を尊重し、個性を育むことを身上としている私共としては生活全般について細かな注意をするのを、基本的にはよしとはしていないわけです。悪しき行いもまた生徒の自主的に生徒自身が自覚し、改めることこそ真の教育であり、生活指導であるという基本方針に変わりはないのですが……」
「要点だけで話を進めてもらいたい。こちとら暇を持て余して来てるわけじゃないんだ」
「あなた……教頭先生に向かって失礼じゃありませんか。だいたい……だいたい、そのサングラス。人と話をする時には、取るべきでしょう」
教頭の言葉を世界が低い声で遮ると、生活指導主任が頭の先から声を出した。世界はサングラスをかけたままだった自分の非礼を軽く詫びてから、愛用しているレイバンを胸ポケットにしまい込んだ。世界の視線が真っ直ぐに教頭の目を捉えると、彼は小柄な身体を益々小さく萎縮させ、新しく額に浮かんだ汗を拭う。その様子を見た飛葉は不敵な笑みを浮かべ、それを見咎めた生活指導主任はヒステリックに叫ぶ。
「飛葉君! 君、そういう失敬な態度は改めたまえ!! 教頭先生はもちろんだが、我々教師は皆、君が新しい環境に早くなじめるようにといろいろと気を配ってきたつもりだ。校則に明らかに反したその服装についても穏便に、再三注意してきたというのに、君は右から左へと聞き流すばかりで、改めようともしないじゃないか!
学生の本分は勉強だというのに君は……君は教科書はおろか、鞄さえ持たずに登校し、授業中はよそ見をしてるか居眠りをしてるかのどちらかだ!! いったい、どういうつもりですか!!!!」「飛葉。立ってそのなりを見せてみろ」
肩で息をしている生活指導主任に一別もくれずに世界が言うと、飛葉は面倒だと言わんばかりの態度で立ち上がった。
飛葉の学生服は色やボタンこそ学校指定のものであったが、その着丈は膝が隠れるほどに長く、よく見ればカラーは標準のものよりも高く、飛葉の頬の辺りにまで達している。世界は通りすがりに見た学生達とは明らかに異なる制服の形状を認めると、
「お前……応援団にでも入ったのか」
と、問う。
「んなもん、やるかよ。これが粋ってもんだ。覚えとけ」
「何が粋ですか!! その服装は重大な校則違反にして、誉れ高い我が蛍雪学園の品位を損なうものに他ならないに決まっているだろう!!! クラスメイトの川田君に頼んで進言してもらったものの、君は彼の言葉に耳を貸さないどころか、彼をあからさまに避けているというじゃないか!!!!」
「川田ってのは?」
「川田公平君は我が校の生徒会副会長を務める、飛葉君のクラスメイトです。成績優秀で品行方正を絵に描いたような学生で、同級生だけではなく三年生や一年生からの人望も厚い、将来が楽しみな生徒ですよ」
「季節外れの転校生は何かと不安だろうからって、川田と同じクラスにしたってわけだ」
自慢の生徒を語る時だけは多少の落ち着きを取り戻す教頭に続いた八百は、教師の親切心も飛葉には全く通じてはいないと付け加え、世界は飛葉が蛍雪学園に編入したら起こしかねないだろうと、ワイルド7のメンバー全員が予想したトラブルのほぼ全てが、最悪の形で現実のものとなった現実に嘆息した。そんな大人の思惑などお構いなしに、生活指導主任はヒステリックに飛葉を責め続け、飛葉はわざと生真面目な教師の神経を逆なでするような受け答えをし、事態を混乱させて楽しんでいる。そんな飛葉のかわいげのない態度に学校側もほとほと困り果てていると見え、教頭は助けを請うように世界を見た。
「万事が万事、かような訳でして……面目ないことですが、我々としても飛葉君の姿勢については親御さんの方から一言いただけないかと……服装の乱れは非行の始まりと言いますし、大事に至らないうちに何らかの手立てを……」
教頭の力のない言葉を聞いた世界は隣でふんぞり返っている飛葉の頭に拳を落とした。
「てめ……!! いきなり、何しやがる!!!」
突然のことに驚いた飛葉が世界のジャンパーの襟を掴んだが、世界は事も無げに飛葉の手を振り払い、間髪を入れずに学生服に包まれた鳩尾に拳を入れた。本気ではないとは言え、自分よりも遙かに恵まれた体躯の世界に打ち込まれた拳は飛葉に確実にダメージを与えたようで、飛葉はこれまでの勢いを完全に失い、身体を二つに折って咳き込んでいる。
飛葉がおとなしくなったのを見届けた世界は、予想もしなかった事態に目を丸くしている教頭と生活指導主任に視線を戻し、
「言ってわからないようなら、身体に教えてやればいい。少なくとも無駄口は叩かなくなる」
と、言った。
「し……しかし、我が校では体罰は原則として……」
「なら、あんたらの好きにすればいい。俺は俺のやり方を見せただけだ」
そう言うと世界は、未だダメージの抜けきらない飛葉に余計な手間をかけさせるなと言い捨て、飛葉の襟首を掴んで立ち上がる。
「今日はこれを連れて帰るが、明日からはあんた方で適当にしてくれ。俺はこいつの素行にかまけているほど暇じゃない。死なない程度なら、蹴ろうが殴ろうが好きにしていい」
「あなた……あなたは飛葉君の親としての責任を、どう思ってるんですか!!!」
飛葉を引きずるようにドアに向かった世界に、生活指導主任がヒステリックに叫んだ。いささかの動揺も見せずに振り向いた世界の視線に負けじと、生活指導主任は言葉を続ける。
「私共は教育者として、できる限りの努力をしました。己の無力さを思い知ったからこそ、ご家族の協力を仰いだんですよ。それなのにあなたは……あなたは非協力的にも程があります!!」
「言っておくが……」
世界はそう言うと、ゆっくりと息を吸った。
「俺はコイツの親でもなけりゃ、兄弟でも、血のつながった親戚でもない。ただの保護者代理だ、間違えるな。それから細かいことは直接、草波に言ってくれ。ここにコイツを放り込んだのは、ヤツだ」
そう言い捨てると世界は何事もなかったかのようにドアを開けた。
「八田君。君、こちらを玄関までお送りしてくれ」
自分達の努力や配慮が完全に潰えたのを思い知った教頭は、濡れて役に立たなくなったハンカチで額を拭いながら、力無く言った。
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