星よりも確かな明日-2
先頭に立って室内に入った飛葉が灯を点けた。
「ガキじゃあるめぇし、なんで中に入んなきゃなんねぇんだよ」
「お前の身体はまだ出来上がっちゃいない。肩を冷やさないほうがいい。山を降りて仕事が始まれば、無茶な使い方をするんだ。今くらいは大事をとっておけ。銃やバイクと同じだ。人間も手入れを怠らなければ長く使える」
「あんたはまるで、口うるさい母親みてぇだ」
飛葉はそう言って、苦笑いを浮かべる。
「お前のオフクロは心配性だったのか?」
世界の言葉に飛葉の表情が一瞬翳った。
「身体の弱い兄貴の世話を、あれこれ焼いてた」
抑揚のない飛葉の口調に、母親の愛情の大部分が兄に注がれたために、飛葉がこんな所に来る羽目に陥ったことを世界は悟った。世間ではありがちな話だったが、兄に注ぐ愛情の幾ばくかが飛葉に向けられていさえすれば、終わりのない地獄で生きることはなかっただろうと、世界は飛葉の母親を少しばかり恨みたいような気分になる。彼は不意に生じた不可解な感情を振り切るように口を開いた。
「飛葉。お前、髪を伸ばすのか?」
「いいや。そういや、少年院で散髪したっきりだったな。だいぶ伸びちまった」
「なら、風呂場に来い」
と言いうやいなや、世界は飛葉に答える暇も与えず、その腕を引っ張るようにして歩き始めた。
風呂場に持ち込んだ踏み台に飛葉を座らせた世界の手には、剃刀が握られている。
「何をする気だ?」
「散髪だ」
「あんたが? 包丁もロクに使えないクセに?」
「包丁は使えなくても、ナイフと剃刀は扱える」
そう言うと世界は、飛葉の髪を櫛削り始めた。
「襟に髪がかかってるような頭は嫌いでな。観念しろ」
落ち着かない様子の飛葉の肩を押さえ、世界が剃刀を動かし始めると、軽快な微かな音と共に飛葉の髪がタイルの上に散らばる。それを見た飛葉は、観念したように大人しくなった。鏡に映る、櫛ですくい上げた髪に器用に剃刀を当てる世界を眺めていた飛葉が
「器用だな」
と、感心したように言う。
「サーカスにいた頃、仲間に教えてもらった」
「オフクロさんに料理、習わなかったのか?」
「母親はいない」
世界が手を休めることなく答えると、飛葉は驚いたような顔で鏡に映る男の顔を見た。
「サーカス団の中でも人気のある踊り子だったらしいが、俺を産んですぐに死んだらしい。俺の世話はサーカスにいた女たちが順番に焼いてくれた」
「親父さんは?」
「さぁな。サーカスにいた連中も知らないって話だった」
どんぐり眼を見開いたまま言葉を失っていた飛葉が、詫びの言葉を口にする。
「悪かった」
「何が?」
世界は忙しく動いていた手を止め、鏡の中の飛葉と視線を合わせた。
「嫌なこと、聞いちまったろ?」
すっかり意気消沈してしまっている飛葉に、世界は笑みを浮かべて気にすることはないのだと伝える。
「親がなくても取り柄がなくても、サーカスにいた大人たちは皆、子供には優しかったんだ。だからあの頃のことで、嫌な思い出はない。気にするな」
そして世界は再び、手を動かし始めた。
「どうだ?」
と、世界が飛葉に問う。
「上手いもんだな」
飛葉が髪に手をやりながら答えた。
「どこか、直すか?」
「いや、これで充分」
飛葉の言葉に頷くと、世界は掌で泡立てた石鹸を飛葉のうなじに塗りつける。
「何すんだよ!?」
不意に感じた冷たい感触に、飛葉が声を上げた。
「首と、それから顔も剃ってやろう。大サービスだ」
世界は剃刀を握り直して、飛葉の首筋に当てる。首の角度を変える時に触れた飛葉の肩が、随分としっかりしてきたことに気付いた世界が
「飛葉、明日の予定は?」
と尋ねる。
「特にねぇよ」
飛葉の答えに世界が
「俺も明日はすることがない。なんなら明日、射撃訓練をしないか?」
と言う。その言葉に飛葉の表情は喜色の色を帯びた。
「そろそろ重い銃を扱ってもいい頃合だろう」
その言葉を聞いた途端、飛葉は満面に笑みを浮かべる。
「じゃぁ、あんたのモーゼル、撃たせてくれよ」
「ああ、試してみるといい。銃は他にもある。後で見せてやろう」
これまでは触れることさえ許されなかった、世界の愛用している銃が撃てると聞いた途端にひどく喜び、世界のほうを振り返ろうとする飛葉を笑いながら押し止め、
「馬鹿野郎。急に動いたらケガをするぞ」
と、世界が言う。
「ああ、悪りぃ、悪りぃ。おい、世界。さっさと終わらせてくれよ。で、銃。銃、見せてくれ」
飛葉はそう言って座りなおし、楽しげに鼻歌を口ずさみ始めた。
◇◇◇ 世界の私室に保管してあるジェラルミンのケースを開けると、飛葉が感嘆の声を出した。
「すっげぇ」
新しい玩具を見せられた子供のような表情の飛葉を眺めながら、世界が無造作に放り込まれている銃の中の一つを選び出し、飛葉の手に乗せる。
「コルト・ウッズマン・ショートバレル・カスタム。手に馴染むか?」
「ああ、いい感じだ」
飛葉の答えに、世界は満足げな笑みを浮かべると、更に数丁の大振りの拳銃を取り出した。
「あと、いくつか出しておく。実際に撃ってみて、好きな銃を選べ。どんな銃も扱えるようになったほうがいい。だが自分の銃を決めて、使いやすいように手を加えて相棒にするのも悪くない」
「あんたのモーゼルみたいに?」
「そうだ」
言葉短かに答えると、世界は煙草に火を点けた。
銀色に光るケースの向こうでは、飛葉が拳銃を弄んでいる。無邪気とも言えるその姿を眺めながら、世界はとりとめのない思考を巡らせ始めた。
既に後戻りはできない。飛葉に初めて会った瞬間に、運命は決まっていたのだと世界は思った。バイクの操縦や、任務を全うするための手段を飛葉に教え、それを飛葉が身につけてしまった以上、最後までその姿を見届けるべきだ。飛葉が一人の男として足下を固めるまで、その日まで命を落とすことがないよう見守る他に、年端もいかぬ少年でしかなかった飛葉を、生き地獄に引き込んだ罪を償う術はない。そして飛葉をはじめとするメンバーにふりかかる火の粉を振り払う。それが己の役割なのだと、世界は自らの役割を定めた。
「おい、聞いてんのか? 世界」
飛葉の声に我に返った世界が、銃を手にしたまま座り込んでいる少年のほうへ視線を向ける。
「ああ、すまん。なんだ?」
「あんた、見かけによらずいいヤツだよな」
世界から視線を外しながら飛葉が言った。そして世界から最初に手渡された拳銃を手にしたまま立ち上がり、
「明日、忘れるなよ」
と言い残し、世界の私室を後にした。
一人残った世界はゆったりと2本目の煙草を吸いながら、先刻は答えることができなかった飛葉の問を脳裏に浮かべた。諦めなくてもいい、決して手放してはならない自分自身の役割に思いを馳せる。飛葉の成長を見守ること。そして全てを賭して仲間を守ること。課せられたのではない、自ら選択し、自身の中に新たに加えたルールに満足した世界は、穏やかな微笑を浮かべながら
「それも、悪くない」
と、呟いた。
ワイルド7が活動を始める前に行われたと思われる、訓練期間のエピソード。
師弟関係とも友情とも言えない世界と飛葉の関係なぞ、
書いてみたくなりました。