羊の夜(初詣の後)


 初詣から戻った飛葉が点けた部屋の灯がまぶしくて、世界は少し目を細めた。飛葉は既に部屋に上がり、初詣の帰り道に立ち寄った射的の露店でせしめた人形を畳の上に置いて上機嫌である。

「飛葉。これはどうするんだ」

世界は神社の参道から抱えさせられていた、薄いピンク色のクマのぬいぐるみを足下に置きながら言った。

「水屋の前でいいぜ」

◇◇◇

 飛葉を連れての初詣は大変だった。神社・本殿に向かう参道の両側には、参詣客を見込んだ露店が並び、飛葉は前など見ないで露店をひやかすか、買い食いをするかのどちらかだった。世界がその旺盛すぎる食欲にあきれ果てた態度をとると、一時的におとなしく参道への道を歩き始めるのだが、ほんの数分も経たないうちに目新しい露店に興味を示す。そしてとうとう射的をしたいと言い出したのだ。

 走行中のオートバイに乗ったまま、確実にターゲットの急所に銃弾を撃ち込むことのできるワイルド7のメンバーが、至近距離から発射する射的の弾を、動かない的に当てることは雑作もないことだと分かり切っている。だから世界は営業妨害を理由に飛葉を止めたのだ。しかし飛葉は、金を払うのだからかまいはしないと言い張るばかりで、結局世界が『初詣を済ましてからなら』と、譲歩するしかなかった。

 飛葉が弾を撃ち始めてすぐに、彼は射的の店の前に群がる子どもたちのスターとなった。百発百中の技量で、子どもたちがほしがる景品を確実に落としてやったり、請われれば銃の構え方を教えたりするのもだから、店主から追い払われるようにして射的場から離れなければならなくなった。それでも飛葉の手には横に寝かせると目を閉じる抱き人形が、世界の手には大人が抱えねばならないほど大きい薄いピンク色のクマのぬいぐるみが残された。飛葉が最初から数ある景品の中でも最も難易度の高い、この二つを狙っていたのは知っていたが、まさか持ち帰るつもりだとは考えていなかった。景品を手に入れたとしても、その辺りの子どもにでも与えるのかと思っていたし、実際にこの二つをねだる子どもも少なくはなかった。しかし飛葉はこの二つを決して離さず、残念そうな顔をした子どものために、替わりとなる違う景品を打ち落としてやったのだ。しかしその理由が世界には思い当たらない。だいたい人形などというものは、飛葉の部屋にはとても似合うとは言えない代物である。

「飛葉」

「ん? おい、世界。そんなとこに突っ立てないで、上がれよ」

飛葉の言葉に従い、世界は部屋に決して広いとは言えない四畳半の和室に入り、人形を横にしたり座らせたりして遊んでいる飛葉の隣に腰を下ろした。

「お前、人形遊びが趣味なのか」

「よせやい。気持ちの悪いこと、言うなよ。こっちの抱き人形は志乃ベエに、そっちのぬいぐるみはイコにやろうと思ってよ。いっつも世話、かけてるからな」

「……」

「きっと喜ぶぜ、アイツら」

「そうだな」

 参道から飛葉の下宿までの道のりは、決して短いものではない。大人の足で歩いて20分程の距離を、ピンク色のぬいぐるみを抱えて歩かされた理由がこれか。通りすがりの通行人の冷たい視線を浴びながら、三十路も半ばを超え、口髭をたくわえた男には到底似つかわしくないものを抱えて歩く己の姿を思い浮かべ、世界は心底情けなくなってしまった。そんな気分を切り替えるため、世界は煙草に火を点ける。それを見た飛葉は熱い緑茶を煎れるために台所へと向かう。

「ガキの時に、これっくらい景品が取れりゃ、よかったよな」

飛葉が言う。

「ったく、いい年をした男が大人気のない。迷惑もいいとこだ。あの男も新年早々、とんだ災難に遭ったもんだ」

世界の呆れ果てたような言葉に

「でもよ。ガキの頃はチャチな景品がもらえなかったから、今日の分でも足りねぇかもしれねーんだぜ」

「お前みたいなヤツばかりじゃ、テキヤの連中が食い詰めちまうだろう。今夜ので充分だ」

「まぁな……。ナァ、世界。一人、筋のいいガキがいたよな」

「ああ。青いセーターを着た、背の低い……」

「結構度胸もあったし、将来が楽しみだぜ」

「馬鹿言うな。俺たちみたいになっても、いいことなぞ、ありゃぁしねぇだろう」

世界の幾分苦みを含んだ声音に、飛葉の浮かれた気分は少々損なわれてしまったらしく、神妙な顔をして湯飲みを口元に運んだ。それを見た世界の胸は少々痛む。それから何となく気まずい空気が流れたような気がしたので、世界は立ち上がり

「さて、俺は帰るとするか」

と言った。すると飛葉が

「もう遅いから、泊まっていけよ」

と、世界を引き止め、立ち上がる。

「俺も眠たくなってきたし、待ってろよ、世界。すぐに布団を敷くからよ」

「いや、遠慮する」

「なんでだよ。布団、すぐに敷けるぜ」

飛葉が押入を開け、敷き布団を出すのを眺めながら世界が飛葉に言った。

「ここには布団が二組あるのか」

「いんや、俺の使ってるの、一組だけしかねーけど。それと、あんたが帰るのと何の関係があるんだ? 布団がこれしかなくたって、気にすることはねーだろ。男同士なんだからよ。それにお互い、枕が変わったからって言って、眠れなくなる質じゃねーだろう」

飛葉の言うことはもっともである。しかし、飛葉に対して仲間以上の感情を持つ世界にとって一つ布団で『ただ眠る』ということは、拷問以外の何でもない。世界は何としても飛葉の添い寝だけは免れようと抵抗を試みる。

「狭苦しいのは好きじゃねぇんだ」

「……世界。あんた、何慌ててんだよ?」

世界の心境を言い当てるかのような飛葉の言葉に動揺を覚えた世界は、それを隠すためにいつものポーカーフェイスを必死で守ろうとした。しかしコートのポケットに入れたままの掌は汗で濡れている。

「どうして俺が狼狽えなきゃならないんだ」

ことさら静かな世界の口調に飛葉は、少々腑に落ちないというような表情を見せたが、それ以上何も追及することはなかった。

「そうなんだけどよ……。布団敷くの、手伝えよ、世界」

そう言うと飛葉は、枕を世界に投げ渡した。

「今日はあんたに貸してやる」

そう言うと飛葉は屈託のない笑顔を世界に向けた。そして世界は、飛葉の子どものような笑顔に降参するほかなかった。

◇◇◇

 隣では飛葉が安らかな寝息を立てている。寝付きがかなり良いらしい飛葉は、布団を被って数分も経たないうちに深い眠りに入ってしまった。一方世界は現世(うつしよ)に取り残されたまま、冴え渡る意識を持て余しながら、天井からぶら下がっている電灯の笠の中に暗く光る、豆電球のだいだい色の光を眺め、飛葉がいる身体の左側を意識すまいとするのだが、そう思うほどに身体が緊張していくのが分かる。一人用の布団に大の男が二人くるまっているために生じる、肌と肌が触れそうで触れない微妙な距離が、精神衛生上好ましくないこと、このうえない。

「悪党退治の方が、まだ気楽だな」

世界が独り言と共に深い溜息をついた。

 飛葉が目覚める気配はなく、規則正しい呼吸音だけが耳元に届けられる。世界は飛葉を起こさぬようそっと身を起こし、身体を肘で支えるようにして飛葉の方に身体を向けた。

 ワイルド7のリーダーとして任務を遂行している時の飛葉は、野生の獣と呼ぶにふさわしい灼熱の炎を秘めた瞳を持ち、冷静かつ的確に現状を把握し、確実に悪党を地獄送りにする。任務が解かれ、仲間と共にいる時には子ども扱いされるのを嫌う、ことさら大人ぶろうとしている少年のようになり、また初詣の時、射的の露店の周囲に集まってきた子どもたちに見せた世話好きでお人好しな面は、メンバーと共にいる時にも頻繁に発揮される。

 飛葉の寝顔を見つめていた世界は、まるで無垢な赤子のようだと思った。飛葉は自分と同じように数え切れないほどの悪党を断罪し、処刑してきた。だがワイルド7のメンバーではなく『飛葉大陸』という一人の、十代の少年に戻ることのできる短い眠りの中でのみ、その魂が本来持っているはずの姿に戻るのかもしれないとも考える。飛葉の寝顔を眺めながら、そんな、とりとめのない考えをめぐらせていた世界は、先刻身体を起こした時よりも注意深く、静かに右の手の甲で飛葉の頬に触れようと試みた。その瞬間、飛葉が寝返りを打ち、世界の身体を支えていた左の肘に頭を乗せた。飛葉を起こしてしまったのかと慌てる世界の気持ちも知らず、飛葉は相変わらず深い眠りの中にいる。その様子を見た世界は安堵の溜息をついた後、飛葉の頭の下にある手を動かさぬよう、そっと身を横たえた。そして首筋にかかる飛葉の息づかいに理性を吹き飛ばされぬよう、眼を固く閉じて柵を飛び越える羊を数えるのに集中することにした。

◇◇◇

 翌朝、鳥の鳴き声と胸元にあたたかいものを感じ、世界はゆっくりと目を覚ました。目覚めたばかりの意識は、そこが見慣れた自分の部屋でないことを確認することはできても、誰の部屋にいるのかを認識するまでには少々の時間が必要となる。特に休暇中は普段よりも緊張感が薄れているため、意識が覚醒するまでにかかる時間が長くなってしまう。段々とはっきりとしてくる視覚は、子猫が母猫の懐で眠るように、飛葉が世界の左腕を枕にしながら眠っている様子を世界に伝えてくる。おまけに飛葉は、左手で世界のアンダーシャツをしっかりと握り締めているため、世界は不用意に身動きがとれない。世界はその体勢のままで数分間、飛葉が目覚めるのを待ってみたのだが、飛葉は一向に目を覚まそうとはしない。

「仕方ない。もう一眠りするか」

世界は苦笑まじりにそう言うと、身体を飛葉の方へ向けて布団を被り尚した。そして右手を飛葉の身体の上にそっと置き、再び幸福な微睡みの中へと戻っていった。


飛葉が世界にしがみついて寝ているのは寒かったから。それだけ(笑)。
なまじ分別があるだけに、手も足も出せない世界(可哀想)。
頑張れ世界!負けるな世界!お年玉は飛葉の寝顔や!よかったな、世界!
飛葉の布団はシングル6点セット、12,980円くらいの安物。
(敷・懸布団+枕+敷き布団用シーツ+懸布団用カバー+枕カバー)
この作品は、ももきちが送ってきた煩悩メールを基にして
作成されています(笑)。


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