初 詣


  大晦日の午後、ふいに飛葉がやってきた。手にいくつかの紙袋を抱えている飛葉は、心持ち浮かれているように見えた。

「なんだ、お前か」

世界の言葉に飛葉は、上機嫌で答える。

「『なんだ』はねぇだろ。世界、あんた、正月はどっか行くのか?」

「いや、特に予定はないが……」

「そうだろ、そうだろ。一人で侘びしい正月やってんだろうと思ったからよ、今から俺ンちに来いよ」

「お前の部屋に?」

「そ。年越しそばを食わせてやっから。な、来いよ」

「男二人でそばをすするのも、充分侘びしいんじゃないか?」

「一人で食うより、マシだろ? ほら、行くぜ」

そう言うと、飛葉は世界の返事も聞かずに、立ち話をしていた玄関先から外に出た。世界は仕方がないとでも言うように溜息をつき、上着に手を通した。そして、何か思いついたように三段ボックスの 中からバーボンなどを取り出し、手近にあった紙袋に放り込んだ。

◇◇◇

 飛葉の部屋は、世界のそれに比べて遥かに生活感がある。2畳ほどの狭い台所には小さいながらも水屋があり、作れる料理のレパートリーは少ないながらも自炊生活を送っている飛葉は、普段の調理に不自由しない程度の鍋やまな板、食器などを持っている。世界は飛葉の部屋を訪れるたびに、荒れた生活を送っているとは思えない、自分の部屋よりも遥かにまっとうな室内に、安心感にも似た、妙な感覚を覚えるのだった。

 飛葉は袋の中身を台所の 床に広げ、正月用の食品を冷蔵庫や戸棚にしまい込み、世界に言った。

「 さて、大掃除だ。手伝えよ、世界」

満面に笑みを浮かべ、雑巾を押しつける飛葉に世界が言う。

「待て。俺は年越しそばを食いに来ただけで、大掃除を手伝うなんて一言も言ってないぞ」

「働かざる者、食うべからずって、知らねぇのか?」

「自分の部屋の大掃除もしてねぇんだぞ?」

「知るかよ、そんなこと。年越しそば食うんだろ? だったら、手伝っても罰は当たらねぇよ」

世界に無理矢理雑巾を押しつけると、飛葉は台所の掃除にとりかかった。ブツブツと、小声で文句を言いながらも、世界は雑巾掛けを始める。時折台所に目をやると、飛葉が一心不乱にガス台を磨いている姿が見える。

 妙にまめな男だと、飛葉の後ろ姿を見ながら世界は思う。未成年だという理由だけで死刑になることを免れたらしい飛葉は、世間一般で言えば立派な悪党であるには違いない。そして世界の知る悪党というのは、少なくとも大掃除などといったものとは無縁の生活を送っているのが常である。しかし飛葉は、ワイルド7のメンバーの中で最も所帯じみた男だと世界は思う。料理はする。ボタンつけくらいであれば、裁縫もこなす。いつだったか、ヘボピーのシャツのボタンを付けなおしてやった時には、メンバー全員が飛葉の妙なまめさと器用さに驚いたものだった。誰かが飛葉に、誰に針仕事を習ったのかと尋ねたが、飛葉は覚えていないと言い、子どもの頃から自分のことは、自分でするしかなかったのだと、事も無げにつけ加えたことを、不意に世界は思い出した。そして飛葉の口から家族について語られることが、これまで一度もなかったことも……。

◇◇◇

 「おい、終わったぞ」

世界が飛葉に声をかけた時、飛葉は床に広げた新聞紙のそばに座り込んでいた。

「何をやってるんだ?」

世界の言葉に飛葉が、

「火口の掃除」

と、答えた。

世界の差し出した雑巾を受け取った飛葉は

「時々、こうやって分解して掃除してやらねぇと、調子が悪くなるんだ。あんたも、やってみるかい?」

と言う。

「バイクならともかく、そういうのは管轄外だ」

顔を上げることなく、金属製のブラシで丁寧に細部の汚れを取り除く飛葉の手元を眺めがら、世界は煙草に火を点けた。

「そこ、灰皿」

飛葉の指し示す方向に目をやると、白い箱があった。箱の表面にはビール会社の名前が印刷されており、中には商品名が書かれたガラス製の灰皿が入っている。

「これ、どうしたんだ?」

「みりんを買った酒屋でもらった」

「お前、煙草は吸わないだろう」

「あんた吸うだろ? それに、俺ンとこには灰皿がねぇし、ちょうどいいと思って」

世界は短くなった煙草を真新しい灰皿でもみ消すと、水屋からグラスを取り出し、持参したバーボンをちびりちびりとやり始めた。適当に引っぱり出した雑誌に目を通していた世界の前に、蒲鉾の乗せられた皿が差し出される。

「悪いな」

世界が礼を言うと、飛葉は照れくさそうな表情を浮かべて台所に戻り、鰹節を削り始めた。

 やがて部屋の中に鰹の出汁の匂いが漂い始め、世界は年越しそばの準備が始まったことを知った。さっき飛葉が寄越した蒲鉾は、恐らく年越しそば用に買ったものの残りだろう。世界は台所に移動し、鍋をのぞき込みながら差し水を入れるタイミングを計っている飛葉のそばに立った。

「腹、減ったのか?」

「まぁな」

「待ってな。今、と っときのそばを食わしてやるよ」

そう言うと、飛葉は煮えたぎる鍋に水を差し入れた。

「チョイと水を足して、時間をかけて出汁を煮詰めるのがコツだ。そばはうどんより、ちょびっとだけ味を濃くしてやるんだ」

「よく知ってるな」

「狸庵のオヤジの受け売り。けど、あのオヤジより、俺のが旨い」

「ああ、知ってる」

「……わかってんなら、あっち行って飲んでろよ。気が散るじゃねーか」

飛葉は世界に邪険に言うと、そばを茹でるためにもう一つの鍋に火を点ける。

「……お前、何個、鍋を持ってるんだ?」

「あっち、行けって言ってんだろ?」

飛葉は世界を追い払うように手のひらを振り、薬味のネギを刻み始めた。

◇◇ ◇

「な、旨かっただろ?」

「ああ」

  後片づけを終え、右手に急須を、左手に湯飲みを持つ飛葉に、世界が短い言葉で答えた。飛葉が湯飲みに緑茶を注ぎ終えると、世界は出がけに持ち出してきた袋を飛葉に渡した。飛葉は中をのぞき込むと、子どものような表情で小さな歓声を上げる。

「羊羹に……これ、最中?食っていい?」

などと世界に了解を取る言葉を口にしてはいるが、既に飛葉の手で和菓子の包みは破られている。それを眺めていた世界はうんざりとした調子で、飛葉に言った。

「そばを食った後だっていうのに、よくそんなものが食えるな」

「あんただって酒、飲んでんじゃねーか」

「それとこれは違うだろう」

「違わねーよ」

 二人はそれぞれの好物を口にしながら、たわいもない言葉を交わす。任務の話は一切ない。それは他のメンバーと一緒の時も同じだ。仕事を離れている時には任務の全てを忘れることになっている。誰かが言い出したのではなく、自然の流れで暗黙の了解のようなものができていた。

 「始まったな……」

世界の言葉に、飛葉は少々立て付けの悪い窓を開ける。

「さすがに冷えるな」

室内に吹き込んできた冬の夜風に、飛葉が肩を竦めた。窓の桟に腰掛けている飛葉の隣に世界が立つ。二人は黙って凛と澄み渡った夜の空気を振るわせている鐘の音に耳を傾けている。時折、窓の下を初詣に向かう人間が通りかかるが、それ以外の時は深閑とした冬の空気が夜の町を押し包んでいる。

「なぁ……鐘の音が聞こえるだけで、いつもとは全然違う夜になっちまうもんだな」

「いつになく、神妙な台詞だな」

世界のからかうような言葉に、飛葉が言葉を継ぐ。

「うるせぇな。いいじゃねぇか、たまにはよ」

「初詣にでも、連れていってやろうか?」

「何か、願い事でもあんの?」

「……あるような……ないような……」

どっちつかずの世界の言葉 に勢いをつけるように、威勢の良い返事を返した。

「よし、世界。あんたの願い事が叶うように、俺も神さんとやらに頼んでやるよ」

そして呆気にとられている世界に上着を投げ渡すと、身支度と戸締まりを始めた。そして玄関の扉を閉めると、

「たこ焼きで勘弁してやるよ。あんたにやる、俺の分の願い事」

と世界に言ってニヤリと笑い、すぐさま階段を駆け降りて路地で世界が階段を降りてくるのを待っている。

 どんぐり眼を見開き、自分を降りるのを待っている飛葉の姿に、自分の望みが叶う時は永遠に訪れはしないのではないかと、世界は絶望的な気分になる。しかし同時に、全く知らぬこととは言え、たこ焼きと自分自身を等価値に置いた飛葉が愛しくも思えてしまう。世界は苦笑の混ざった溜息をつくと、目線で早く来いと言っている飛葉のもとに急いだ。


108回、鐘をついたところで、煩悩なんぞきえはしませんね。
ええ、絶対に。
色気より食い気の飛葉。世界はまだまだ苦労しそうです。


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