七夜目の真実―Side of Conclusion 1st―
人の気配に、飛葉は目を覚ました。横になったまま、ドアの向こうに精神を集中させると、誰かの存在が確かに感じられる。佐倉川のものとは微妙に異なる気配に、飛葉は速やかに臨戦態勢をとった。柄の先を割って鋭くした箒を右手に、ドアの横に静かに移動した飛葉は、息を潜めて鍵穴の音に耳をそばだてる。複数の人間の足音に混ざる不明瞭な話し声からは、そこに佐倉川がいるかどうかの判別はつかなかった。
武器と呼べるものを何一つ持たない飛葉が優勢に立つ方法はただ一つ。訪問者が室内に入った瞬間に攻撃を加えて気勢を殺ぎ、反撃できない程度のダメージを加える。僅かでもタイミングがずれれば勝機を逸してしまう。それ故飛葉は、外の気配に意識の全てを集中した。
微かな金属の摩擦音が聞こえ、その後にゆっくりとドアが開いた。人の動きが部屋の空気を動かした瞬間、飛葉は渾身の力を込めて箒を振り下ろす。その直後に聞こえた耳慣れた金属音に視線を巡らせた飛葉は、侵入者の手から離れたマグナムが床を滑るのを目の端で認めると素早く拳銃を取り、ドアに銃口を向けた。
「動くな! 外にいるヤツもだ。両手を頭の上に置いて、後ろ向きになってゆっくり入ってこい」
飛葉が静かに言った。
「飛葉ちゃん……? そこにいんのは、飛葉ちゃんかい?」
「その声……両国……?」
外から聞こえてきた仲間の声に、飛葉が怪訝な声で問いかける。
「そうだよ。俺だよ、飛葉ちゃん」
笑顔の両国が、ひょいと顔をのぞかせた。
「ってーことは、今殴っちまったのは誰だ?」
「あ〜痛てぇ……ひでぇなぁ……」
「オヤブン!! 悪かった。非常事態だったんだ。お前だってわかってりゃ、殴りゃしなかったんだが……」
恨みがましそうな声を出し、頭を抑えて床に転がっているオヤブンに飛葉が駆け寄る。
「ああ、わかってるよ」
オヤブンは苦笑しながら身を起こし、周囲を見渡した。
「なんだ、ここはよ」
「そうそう、飛葉ちゃん、なんでこんなとこにいんのよ」
「知るかよ。気がついたら、素っ裸であすこにロープで繋がれてて……」
飛葉が壁際のベッドを指したが返事はない。見ると、数日ぶりに再開した仲間が笑いを堪えるために肩を震わせていた。飛葉は二人の頭に軽く拳を入れる。
「何、笑ってんだよ」
「おめぇこそ、なんだよ。そのナリは……」
「すんげぇ、カッコ悪りぃよ。飛葉ちゃん」
「しょうがねぇんだよ。だいたいな、俺が気がついた時にゃ、服もパンツもひん剥かれちまってて、この服だってこの間、やっとこさ持ってこさせたんだからな」
だが飛葉の弁明などどこ吹く風で、両国とオヤブンは俯いたまま両手で口を押さえ、目尻に涙を浮かべて笑っている。
「しかし、なんだな。女がシャツ1枚羽織ってるだけってのは色っぺーけどよ、男がやると、てんでバカみてーだぜ」
「うるせー。俺が色気出してどうすんだよ。おい、オヤブン。笑ってねーで、お前のパンツ寄越せ」
「俺のパンツで何する気だ」
「決まってるだろ。履くんだよ」
「なんで俺のパンツなんだよ。気色悪いこと言うんじゃねぇよ」
「俺だってお前のパンツなんか履きたかぁねぇさ。けど、しょーがねーだろ? 両国のはいくら何でも無理だってもんだ。おめぇはズボンがあんだろ? それとも、何か? 俺にフルチンのまま外に出ろって言うのかよ」
「確かにその格好じゃ目の遣り場に困るよな。と言うより、笑っちまって仕事になんねーや。まぁ、非常事態なんだしさ、オヤブン、パンツ貸してやりなよ」
「俺様がパンツなんて、軟弱なもん持ってるわけねぇだろ? 日本男児は六尺よ!」
威勢良く啖呵を切ったものの、この状況に心底困り果てている飛葉と、その姿のあまりに情けない様子、そして完全に面白がっている両国を見たオヤブンが溜息をついた。
「ったく、しょーがねーな。飛葉。ちょっと待ってろ」
オヤブンはベッドのマットにドスを突き立て、表面の布地を幾ばくか切り取り、飛葉に渡した。
「ほら。これ使え」
「どうすんだよ? こんな布っきれ」
「六尺の締め方もしらねぇのか。まったく近頃の日本男児は情けねぇったらねーな」
オヤブンは大袈裟に嘆いたものの、実に手際よく飛葉の腰に布を巻き付けてやった。
「ま、ちょっとごわごわすっかもしんねぇけどな。丸出しよりはマシだ」
「白衣に六尺ってのは、妙な具合だな」
飛葉が己の姿を見て呟くと、両国が
「さっきのカッコより、マシだよ。飛葉ちゃん」
と慰めにもならないことを言い、飛葉も諦めたように溜息をついた。
◇◇◇ 世界とヘボピーの厳しい視線に、佐倉川は無言で耐えていた。二人は何度も佐倉川を追求しようとしたが、彼は頑なな態度を崩そうとはせず、また視線を合わせようともしない。
「一言くらい、何か言ったらどうだ」
ヘボピーが呆れた声で言ったが、佐倉川は黙したまま床を見つめている。
「寿司屋で何度か会ったな」
世界の言葉に、佐倉川の身体が震えた。
「俺たちの仲間にも一人、サビ抜きのカッパ巻が好きな奴がいてな。おまけにそいつはバカみてぇに大食らいなんだ。最近、急に姿が見えなくなっちまったんだが……」
そう言うと、世界は煙草に火を点けた。静かに紫煙を燻らせている世界に代わってヘボピーが言葉を継ぐ。
「あの気性の荒いヤツがいねぇとな、どうも調子が悪くてよ。ヤツがいたら今頃は、こんな仕事もカタがついてる筈なんだよな」
「お前が買ったサビ抜きのカッパ巻を食ったダチってのは、どんな野郎だ?」
世界とヘボピーが何を言っても佐倉川は相変わらず黙ったままだったが、その心中に動揺が走っていることは不自然な身体の震えからもうかがえる。世界とヘボピーは目配せを交わし、佐倉川が苦手としている話題を続けた。
◇◇◇ 両国とオヤブンから佐倉川を世界とヘボピーが拘束し、八百とチャーシューが屋敷の2階を調べていることを聞いた飛葉は、飛葉がいた部屋に向かい合っている、もう一つの部屋の捜索を手伝うことにした。
三人が扉を開けた途端、強い悪臭が鼻を突く。
「臭っせぇ〜」
オヤブンが情けない声をあげ、飛葉は彼が囚われていた部屋の照明のスイッチと同じ場所を探る。漆喰とは異なる硬質な感触が指に触れ、飛葉はその先のスイッチを入れた。
電球に照らされた室内の光景に、三人は言葉を失った。そこには6個の白木の棺が並べられ、そのいくつかは内部から侵出している液体で変色している。そして室内に充満している異臭も、整然と並べられた6個の箱が原因となっていた。
「おい、手伝ってくれ」
飛葉の言葉にオヤブンが動き、二人はゆっくりと最も新しいと見られる棺の横に立ち、両国もそれに続く。
棺の中には腐臭を放ち、半ばミイラ化した死体が収められている。それを目にした途端、両国は胃の中のものを全て床にまき散らした。
「これは……」
絞り出すような声を出した飛葉が残りの棺を次々に改めたが、その全てに物言わぬ人間が横たわっている。
「数が合うな」
「ああ。目も当てられねぇような案配だが、体格から見ると男が4人と女が2人としていいだろうよ。佐倉川はクロだ」
「……これ……どういうこったよ? おい、佐倉川どこだ!! あンの野郎、俺が締め上げてやる!!」
怒りに溢れた飛葉の声に両国とオヤブンが振り向いた時、既に飛葉は地下室から駆け出していた。棺の並ぶ地下室に取り残された二人は互いの呆れ顔を見合わせ、苦笑と安堵の呟きを漏らす。
「おい、両国よ……飛葉のヤツはよ、あそこに閉じこめられてたんだったよな。その割に、随分と威勢がいいじゃねぇか」
「ああ、飛葉ちゃんはいっつも元気だけはいいから」
「まったくだ」
そして二人は、棺の蓋を元通りにして飛葉の後を追った。