七夜目の真実―Side of two persons 3rd―


 その朝、男は温かい握り飯と少しばかりの副菜を手に飛葉を訪れた。男は休日くらいは飛葉と朝食を共にしたいと言い出し、飛葉もそれを承知した。登山用ザイルで四肢を戒められている状態では、男との会話やその様子から自分自身が置かれている状況の詳細な情報を得るしかない。飛葉にとっては選択の余地がないとも言える承諾の返事に、男は顔をほころばせ、飛葉は予想以上に明るい男の笑顔に戸惑いを覚えた。そして

「おい……一緒に飯を食ったからって、てめぇを友達だと認めたワケじゃねぇぞ」

と、言い捨てた。

「うん、わかってるよ。ただ……誰かと一緒に朝食を食べることが何年もなかったから……だから、何だか嬉しくて」

「家族は、どうした?」

飛葉の問に男は頭を振る。

「でも一人暮らしが長いから、身の回りのことは一通りできるんだ。もし何か不自由があったら、遠慮なく言ってくれるかい? できる限りのことはする。約束するよ」

「だったら、何か着るものをよこせ」

飛葉の言葉に、男の表情が唐突に強張る。

「駄目だよ……それはできない」

震える唇がたどたどしい答を返すと、飛葉は紙コップの緑茶を勢いよく男の顔に浴びせかけ、

「何でもするって言ったのは、真っ赤な嘘だったってワケか。それでよく、友達だとか言えたもんだぜ」

と、低く静かな声で恫喝する。

「できることならって……言った……はずだよ」

飛葉はあからさまに不遜な態度を取り、男を値踏みするような視線を投げながら言う。

「お前、ホモか」

「ホモ?」

「ああ。俺を裸にして玩具にしてぇんだろ? そういうヤツをな、世間様じゃホモって言うんだよ」

「そんな……!! 僕は君とそんな風になりたいなんて考えてはいないよ」

「友達になりたいってか?」

男は静かに頷いた。

「お前な、言うこととやってることがおかしいってのが、わかってねぇな。ダチになりたいって言うんなら、ちったぁそれらしいことをしてみろよ。だいたい素っ裸のまんまじゃ、落ち着いて話もできやしねぇ」

「服を渡せば、友達になってくれるのかい?」

「少しくらいなら、考えてやらなくもねぇ」

「本当に?」

「考えるだけならな」

「……なら、僕も考えてみるよ」

男はそう呟き、部屋から出ていった。

◇◇◇

 朝食の後は少しばかりの仮眠を取り、その後の持て余すほどに長い時間を潰すために、思いつく限りのストレッチや運動をするのが飛葉の日課となっていた。それに飽きるとベッドの上に仰向けに寝転がり、天窓の向こう、薄汚れたガラスに遮られた空を仰いだり、うたた寝をしたりする。そして脱出のチャンスを見逃すことがないよう、五感だけは常に研ぎ澄ませておく。それが飛葉の選択だった。全ての元凶ともいえる男を締め上げてやろうかと考えないではなかったが、初めて顔を合わせた時、何一つ抵抗するでもなく飛葉に殴られるままだったこと。血に濡れた顔に浮かんだひきつったような笑顔が、肉体的なダメージを与えても効果がないことを物語っていた。それ故に飛葉は、暴力以外の方法で脱出を試みようと考えたのだ。

 昼食を持って現れた男のもう片方の手には、白い布が携えられていた。

「なんだ、こりゃ。ボタンが一つもねぇじゃねーか」

男から手渡された白衣を改めた飛葉は素っ頓狂な声をあげたが、それ以上の文句を言うのはやめにした。羽織るものを手に入れられたことは悪くない。一つもボタンがないために多少心許なくはあっても、肌にまとうものさえ確保できれば、脱出してすぐに次の行動に移ることができる。

「手のロープを外すから」

男はそう言うと、飛葉の手首に結ばれたザイルに大振りのカッターナイフを当てる。飛葉は男の頭を見下ろしながら、その迂闊なほどに無防備な様に呆れるほかなかった。男は既に飛葉の拳や蹴りをその身に嫌というほど受けたというのに、警戒する素振りさえ感じられないのは、飛葉が振るった暴力の全てが既に男の中ではなかったことになっているからなのだろうか。或いは殴る蹴るされたことさえ気にならないほどに、自分に対する執着は強いのかもしれない。今なら確実に男に肉体的なダメージを与えられるだけではなく、男が手にしているナイフを簡単に奪い取ることもできる。だが飛葉は行動を起こそうとはしなかった。余りにも不防備な男の隙につけ込むのは、いくらなんでも後味が悪すぎる。それにここに監禁されるに至った本当の理由をまだ聞いていない。真実を手にするまでの間、この境遇に甘んじてみるのも悪くないかもしれないと考えたのだ。ワイルド7に急な任務が生じる可能性がないわけではないが、危急の事態が生じたりしたなら必ず仲間が自分を見つけ出す。その確信があったからこそ、飛葉は茶番と知りながらも男につき合うことに決めたのだった。

◇◇◇

 その日、男は仕事に出なかったらしく、運ばれてきた三度の食事は温かだった。男は何か言いたげな視線を幾度か飛葉によこしたが、飛葉は敢えて気付かない振りをした。時折、男の唇が言葉を紡ぐために微かな動きを見せはしたが声にはならず、殺風景な地下室にあるのは寒々とした沈黙だけだった。一人になった飛葉が眠りに落ちる前、ほんの一瞬だけ彼の胸に男の寂しげな表情が過ぎる。泣き笑いのようなその顔に見覚えがあるような気がしたが、飛葉の意識はそれを思い出す前に睡魔に囚われた。


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