私を食べて


 何もかもわかっているのだと言いたげな瞳。そして、全てを諦めたような微笑みで桜井琉夏が言った。

「お前。お前がほしいな。で、パクって食べちゃいたい」

 自分に用意できるものなら何でもいい。そう言ったのは、確かに自分だ。そして、去年と同じような声音と表情で、同じ言葉を返してきたのは琉夏。

「なんちて。うそ、ジョーダンだって。なんて顔、してんだよ」

それからすぐに、矢継ぎ早といった具合に向けられるいつもの笑顔には、不自然なほどに一点の曇りもなく、ただただ明るい。

「琉夏君、去年も同じこと言ったよね」

 水田まりも負けず劣らず、不自然なほどにあっけらかんとした口調を作り込んでみる。

「そう……だっけ。覚えてない。ゴメン」

 去年の今頃、琉夏の兄である琥一の誕生日から数週間後のある日、誕生日プレゼントは何が良いかと琉夏に尋ねた。返された琉夏の言葉は冗談にも本気にも取れない微妙なニュアンスを含んでいて、水田は呆気にとられたようになって言葉にも詰まり、そこに琥一が琉夏の頭に拳骨をお見舞いして話は終わり、水田は結局、琉夏に南極の写真集を渡したのだ。プレゼントはとても喜ばれたけれど、それだけでは終わらなかった。知らず、記憶の底に沈めた筈の、形にはならないモヤモヤとしたあの時の感覚が、今頃になって水田の裡に蘇る。間が良いのか悪いのか、今日は琥一がいない。琉夏と二人で家路を辿っている途中だ。

「去年、お前がくれた写真集、すごく気に入ってるんだ。今も、見てる。だからきっと、お前が俺のために選んでくれるものなら、どんなだって嬉しい。それだけは、自信あるよ」

「ホント?」

「ホント、ホント」

 普段の他愛のない言葉の遣り取りの中に存在する、あやふやで空虚な何かに、それを隠そうともしないクセに、人を近づけようともしない幼馴染みに苛立つのを押し隠しながら、水田は琉夏の隣で取り敢えず笑っていた。

◇◇◇

 教会の庭で隠れん坊をした頃よりも、琉夏も琥一も、そして自分も少しは大人に近づき、少しは要領といったものを持つようになっている筈なのに、このもどかしさはどうだろう。自分の幼さを棚上げしたまま、水田は琉夏に対し、今更ながらに向かっ腹を立てている。

 はばたき学園の入学式前日に再会した幼馴染みは、見た目が昔とは随分と違っていた。離れていた約5年の歳月と異性であるという現実が、互いの間に多少の距離を作るのは仕方のないこと。それでも自分たち三人は、とても仲が好いと感じているのだけれど、琉夏は時折、ぞっとする程に綺麗な笑顔を浮かべていることがある。気付いたのは、いつだっただろうか。本気なのか冗談なのかわからないことを言った時、かなり高い確率で琉夏は綺麗に微笑い、そして、その瞳は表情を失っている。物語の中で見かける“深淵を見てきたような”という表現がふさわしい、禍々しささえ感じさせる瞳で、自分以外の全てを突き放してしまうのだ。琥一も琉夏のそんな一面を本能的に感じるらしく、琉夏が凄みのある微笑みを浮かべる時にはすかさず拳だの蹴りだのを入れ、琉夏をこちら側に連れ帰ってくれる。兄弟故の遠慮のなさが羨ましく、幼馴染みという距離感を煩わしく思ってしまう水田だった。

「プレゼントは私、か」

 自室のベッドに寝転がり、天井を仰いで呟く。

「現物をプレゼントするのは無理よね、実際。琉夏君とは、そういうの、想像できないもん。それに、本当にほしいんじゃないだろうし……」

 ならば、琉夏の裏の裏をかくような形で、自分自身を贈り物という形にはできないだろうか。大切な友人だと言いながら、どこかで他人のラインを引いたままでいる琉夏を無理矢理こちらに引き寄せて、腹の底から笑わせられるようなもの。琉夏だけでなく、琥一までをも大口を開けたままにできるくらいにくだらない、史上最高に馬鹿馬鹿しいアイデアで琉夏をコテンパンにどうにかしなければ気が収まらない。元々強い負けん気が激しい自己主張を始めるのを感じながら、水田は部活でも愛用しているクロッキー帳を開いた。

◇◇◇

 少し早いけれど琉夏のお誕生会をしようと琥一を拝み倒した水田は、大きな箱を抱えてWest Beachへ急ぐ。ディパックにはささやかな宴のためのお弁当。たらこのおにぎりとBLTサンドウィッチ。それにサラダとフルーツを詰め込んだ。バースデーケーキは琥一が、ホットケーキを積み上げて作ると請け合ってくれた。デコレーションに使う生クリームやチョコプレート、17本の蝋燭は昨日の帰りに琥一と二人で買い揃えてある。今日の昼過ぎまで、琉夏は日曜日だというのに急にバイトが入ってしまったらしいのだが、琥一と自分にはむしろ好都合だ。逸る気持ちに背中を押されるように、予定よりも早く到着したWestBeachでは既に琥一が大量のホットケーキを焼いている最中で、大きな背中を包むシャツは汗で色が変わっている。

 琉夏にギャフンと言わせたい。その一言でつき合ってくれる琥一の全面協力のお陰で、色紙と色つきティッシュペーパーを飾り立てた、“お誕生会”にふさわしい準備ができた。水田は室内の一番涼しい所に置いてあった箱をテーブルに置く。

「また、でけぇな、こりゃ」

「琉夏君をギャフンと言わせるために、頑張りました」

「お前……もちっとよ、別なことに体力使えや」

琥一が呆れたような、嬉しそうな表情を浮かべる。

「何か時々、琉夏君にひどいことされてる気分になるから。冗談だってわかってるんだけど、たまにストレスになっちゃうの。せっかくだから、お誕生日おめでとうのついでに嫌がらせとか八つ当たりとか、全部丸っと一緒に押しつけちゃおうかなって。で、琥一君は、私の共犯者。ヨロシクね、相棒」

「相棒って……まぁ、いいか、たまにはよ」

水田の視線を真正面から受け止めてから、琥一は薄く微笑む。

「で? 自信、あんのか?」

琥一が、スカイブルーのリボンに指先で軽く触れる。

「ある。頑張ったの。頭も身体も一杯使った力作だよ?」

「やっぱり、お前は大馬鹿野郎だ」

「じゃぁ、三馬鹿だね、私達」

「一緒にすんな」

 遠くからSR400のエンジン音が聞こえてきた。水田と琥一の二人は顔を見合わせてほくそ笑み、束にしておいたクラッカーを構え、入り口の両サイドへと向かう。

 ドアが開かれた瞬間に炸裂したクラッカーは、琉夏を驚かせて喜ばせた。ホットケーキを積み重ねたバースデーケーキも好評で、琉夏は上機嫌だ。

「はい、お誕生日のプレゼントだよ」

「俺に? マジ? やった!」

ウキウキとした様子で、琉夏はサテン生地のリボンを解き、波の模様が透ける淡いミントグリーンの包み紙を開くと、20センチ四方ほどの白い箱。期待を込めて、蓋を開くいた琉夏は驚きと喜びの混ざる声で

「あ、チョコだ。箱に一杯」

と、言った。

「そう、チョコレート。好きでしょ? 琉夏君」

 水田は微笑みながら、こっそりと手元に隠しておいた小さな箱を開き、

「それから、こっちも。プレゼントはワ・タ・シ。オイシク食べて? オイシイよ?」

と、小首を傾げて人の形を模したチョコレートを差し出した。

「これ……お前だ」

「わかる?」

「すげぇな、そっくりだ。なぁ、コウ」

「おぅ、やるな、水田」

 かなりデフォルメを利かせた、チョコレートで作られた水田自身の立像は、色とりどりのリボンで飾られている。淡い色の本体は、琉夏好みのコーディネイトの装いで、丁寧に彩色されている。

「これ、どうやって塗ったの?」

「ホワイトチョコレートをベースにして、食用色素で染めたり、塗ったり。派手な色合いだけど、ちゃんと食べられるからね。そっちの小さい方は、琉夏君と琥一君のチョコも入ってるの。たくさん作ったから、いっぱい食べてね? 思いっきりビターなのもあるから、琥一君も食べられるよ」

 揃って箱を覗き込む琉夏と琥一を眺めながら、してやったりとばかりに水田が笑う。

「まりちゃんのもあるけど……あ、これ、コウだ。で、こっちは俺?」

「三人分、作ってもらったの、せっかくだから」

 歯科技工士が使う素材で作った三種類の本体を、バイト先の洋菓子店アナスタシアに出入りする厨房用品業者に頼み込み、オリジナルのシリコン型にしてもらったのだと、水田は二人に説明した。

「業者さんにお願いしなくても、一回使い切りくらいのだったら自分でも作れるんだけど、琉夏君てば時々、“プレゼントは私”とか言うでしょ? だったら、そんな気分になった時にいつでも食べてもらえるように、ちゃんとした型を作っちゃおうって。それに、プロ仕様は使い勝手良いから、綺麗に抜けるんだよね」

 さらりと言ってのける水田の髪を、大きな手で梳き混ぜながら、琥一は呆れ顔を浮かべる。

「にしてもよ、よく、こんだけのもん、作ったな、大したもんだぞ、お前?」

「美術部だもん、任せて! それに私、絵画より彫刻とか造形の方が得意だから、型を作るまでは楽しかったんだけどね」

「そっか、まりちゃん、美術部だった。チョコ、作るの、大変だったろ」

「気を抜くと、溶けちゃうんだもん、チョコって。今日だって、ここまで来る途中で溶けて、ゾンビになったらどうしようかって、気が気じゃなかったんだもん。琉夏君、もうちょっと涼しい季節に生まれてくれれば助かったかも。真夏だからチョコレートくらいしか使える素材、ないんだもん……で? どう? 嬉しい?」

「ちょー嬉しい……ゴメン、他に思いつかないや。だせぇな、俺。ありがとう、まりちゃん。最高に嬉しい誕生日だ、俺」

「うん、喜んでもらえて、私も嬉しい。じゃ、琉夏君と琥一君がゾンビになる前に、食べよう!」

 水田が笑うと、琉夏がうんざりとした声で

「うは、コウのゾンビ、想像した」

と言いながら、明るく笑う。

「想像すんな、気味悪りぃ」

「コウのチョコレート、あんまり美味そうじゃないなぁ。ほら、食べろよ、コウ。共食いだぜ、これで」

「そりゃ、こっちの台詞だ、バカルカ。お前も共食いしてろ!」

「じゃ、琉夏君型のビターチョコ、琥一君にあげる」

「え、俺、コウに食われるの? それも、ちょっとやだ」

 他愛のない言葉の遣り取りと小競り合いの間、水田が不安に駆られることはなかった。それどころか、琉夏と琥一の笑顔に引き込まれるように、水田自身も大いに笑い、三人でチョコレートを摘んでは笑い、そしてまた摘んだ。

◇◇◇

 琉夏の誕生日会から2週間ほど経ったある日、上機嫌の琉夏が言った。

「チョコ、なくなっちゃった」

「もう?」

「大事にちょっとずつ食べてたつもりなんだけど、ね?」

「そっか、うん、いいよ、作る」

「俺、運び屋しようか? 大変だろ? あんなの、持ち運ぶのって」

「じゃぁ、今度の日曜日、うちにおいでよ。一緒に作ろう」

殊勝な琉夏の様子の琉夏を、水田が自宅に誘う。すると琉夏の機嫌は更に良くなって、真夏の太陽のような明るい顔で笑った。

◇◇◇

 WestBeachの厨房の、古びた業務用冷蔵庫は基本的に空に近い。それなりに食材を補給しても、人よりも大柄で食べ盛りの高校生が二人いれば、あっという間に食糧は枯渇する。琉夏と琥一の生命線でもある冷蔵庫の特等席に、少女の姿を模した小さなチョコレートが収まっているが、どんなに腹の虫が騒ぎ立てようと、琉夏と琥一は手を出したりはしない。琉夏は飲み物を取り出す時に必ず、琥一は食事の用意をする時にそれとなく、カラフルなリボンで飾られたチョコレートを見る。いつも笑顔を浮かべているそれも、琉夏だけでなく琥一にとってもある種の生命線なのだ。


美術部クラブマスター候補のバンビで、得意分野は彫刻と立体造形だったりすると、
こんなプレゼントもありかと思いました。
最近はフィギュア造形用の道具も出回ってますし、
キャラ弁ブームのお陰で、業務用、医療用の素材とかも入手しやすいので、
スキルさえあれば、これくらいはできるのではないかと(笑)。

琉夏の無茶ブリに違和感とか怒りとか焦燥を感じつつ、
そういうのをひっくるめて笑いという形で渾身のツッコミに転じられるようなバンビなら、
琉夏ともうまくやっていくのではないかと思う。
というか、琉夏に無茶をさせずにいられない色々なものを
力業で笑いにまみれさせるくらいに力強いバンビがいいのではと。


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