卒業旅行


 「これは、何だ」

目の前に現れた、丘のような小山のような物体に、設楽は思わず呟く。

「仁徳天皇陵。世界最大級の墳墓だ」

「そんなこと、言われなくてもわかっている。そこに看板があるんだからな」

 仁徳天皇陵。世界最大の陵墓としてギネスブックでも認定されている前方後円墳。そんなことは、小学生の時から数年ごとに、社会科や歴史の授業で聞かされている。覚える気はなくとも記憶には残るほどには繰り返された筈だ。

「近すぎると、緑の丘だね。とても、前方後円墳とは思えない」

 同級生の紺野玉雄が言うように、仁徳天皇陵はただの小山で丘で、パセリのようにこんもりと緑が生い茂っているだけにしか見えない。一応、鳥居が門のようにも見える柵があり、天皇陵についての説明書きもある。宮内庁の管理下にあり、仁徳天皇の陵墓と伝えられているらしい。「伝えられているらしい」という但し書きからして信憑性があるようなないような、何とも中途半端な印象である。それから、女子供でも楽に渡れそうな堀のようなものもあるが、そこで人の目を避けるように――その努力は一向に実を結んではいないのだが――釣り糸を垂らしている人間もちらほらといて、墓につきものの厳かな雰囲気がないどころか、春の日差しも相まって、実に長閑だ。この墓に自分が埋葬されているとするなら、きっと腹立たしく感じるだろうと確信するほどに、日常の中に埋没している。この場所を聖域として認識しているのはきっと、時々見かける警備員くらいのものだろう。つらつらと、そんなことを考えている設楽に、紺野が話しかけた。

「市役所の展望台からなら、前方後円墳だってわかるみたいだけど、どうする?」

「興味ない。どうせ、教科書か何かにも載ってるんだ」

「まぁ、その方がわかりやすいかもな。じゃぁ、次の目的地に行こう」

「次……どこに行くんだ?」

「JR阪和線の三国ヶ丘駅まで行って、鳳駅で“東羽衣線”に乗り換えるんだ。で、南海本線に乗り継いで和歌山市駅。そこから“和歌山電鐵貴志川線”に乗り換えて、貴志駅で“たま駅長”に会う。今日は和歌山市駅前のホテルに泊まって、明日は熊野。明後日は紀勢本線で伊勢まで移動。いい加減、予定くらいは覚えたらどうだ?」

「紺野が覚えていたら、事足りるだろ。ところで、たま駅長って、何だ?」

「日本一有名な駅長だ」

そう言うと紺野は、明るく笑った。

◇◇◇

 卒業旅行から戻ってすぐの日曜日、設楽は紺野と共に下級生の水田まりと会うことになった。水田は設楽達よりも1年後輩で、吹奏楽部に所属している。設楽が2年生になって間もなく出会った水田の第一印象は、記憶にない。設楽にとっては学校生活の背景の一部──その他大勢の女生徒の一人程度の認識だったのだが、放課後、設楽がピアノを弾き始めると知らない間に音楽室に忍び込み、設楽の死角になる場所にいる。曲が終わると拍手をしてみたり、一端の評論家のように「今日の音は……」などと言ってみたり、妙に静かにしていると思えば熟睡していたりと、その行動は予想できない。だからだろうか、いつの間にか紺野と設楽、そして水田の三人で会うことが増え、この日も卒業旅行の土産を渡すため、わざわざ会う羽目に陥っている訳だ。

 卒業式以来、水田には会っていなかった。はばたき学園在学中は数週間も顔を合わせないことなどなかったせいか、随分と久しぶりに感じられたのだが、駅前のファミレスのボックス席で向かい合った水田は変わらない。暢気な顔でヘラヘラと笑い、注文したパフェを見るなり瞳を輝かせ、バカみたいに幸せそうな顔になる。

「卒業旅行、どうでした?」

フルーツを頬張りながら、水田が問うた。

「ああ、とても楽しかったよ」

「どこに行ったんでしたっけ」

「新幹線で新大阪に行って、初日はJR経由で堺市――正確には百舌鳥駅(もずえき)で下車して、仁徳天皇陵を見てきたんだ」

「仁徳天皇陵……あ、教科書で見たことあるかも! 大きかったですか?」

「わからない」

期待に目を輝かせる水田を横目で見ながら、設楽が答える。

「大きすぎて、ただ木の生い茂る丘みたいな感じだったよ。前方後円墳かどうかは市役所の展望台か、伊丹空港発着の飛行機ぐらいの高度がないと、全貌はわからないらしい」

「そんなに大きいんですか?」

「だから、ただ見たって有り難みも何もないぞ。町中に公園があって、その途中にあるだけだ」

「そうなんですか。でも、楽しかったんですよね?」

「微妙だ」

「そういう言い方、ないだろう?」

「微妙だったぞ。少なくとも俺は。電車に乗って、乗り換えて、また、電車に乗って」

「電車に乗ってばかりだったんですか?」

水田の不思議そうな顔に、紺野が困惑の混ざる笑顔で言う。

「そうでもないよ。設楽が大袈裟すぎるんだ」

「大袈裟? どこが? 何だかわからない電車に乗せられてただけだぞ、俺は」

「何だかわからないなんて言い方、ないだろう? “阪和線東羽衣線”は日本で唯一の、実に貴重な路線なんだ。何回も説明したじゃないか」

「紺野先輩、それ、何ですか?」

「“阪和線東羽衣線”は、2輌編成の単線で、路線距離は1.7km。JR旅客6社で最も運転区間が短い営業列車の一つなんだ。15分おきに往復運転をしていて、JR阪和線と私鉄の南海本線をつなぐ役割を果たしている。在来線から派生する距離の短いローカル線を“盲腸線”と呼ぶことがあるんだけど、その中でも強い存在感を持つのが“東羽衣線”だ。路線距離の短さも魅力的だけど、戦前から営業している貴重なものなんだ」

「よくわからないけど、凄いんですね」

「よくわからないのに、どうして凄いってわかるんだよ」

「国民的司会者の“モタさん”だって絶賛する、全国の鉄道ファンからも愛されてる路線だって言っただろう?」

「あっという間に次の駅に――しかも、何の変哲もない駅にだ。その後、また電車に乗って、妙な帽子を被せられた三毛猫を見て……」

「そうだ、水田さん。これ、お土産」

言いながら、紺野はテーブルの上に数点の小物を並べる。

「これ、たま駅長ですね。もしかして、貴志駅に行ったんですか?」

「水田。お前、知ってるのか、その猫」

「知ってますよぉ! 日本一有名な駅長さんですよ。あ、地元では名誉騎士の称号を授けられたり外国の映画にも出演して、動画サイトでも人気者なんです、全世界的に!」

「詳しいね、水田さん。設楽と大違いだ」

 それからは紺野と水田の独壇場で、設楽は口を挟むこともできずに、ローカル線の魅力だとか青春18切符の情緒性、更には鉄道に関する雑学や食に関するあれこれを、設楽は長時間にわたって聞かされることになった。何だかな、などと思いながらも楽しそうな二人を前にしていると、どうでも良かったような卒業旅行もそれなりに思い出深いものだったかもしれないとまで感じるようになっている。それも、素っ頓狂な水田のお陰かもしれない。そんなことを考えていた時、水田に呼ばれた。

「設楽先輩は、何が一番良かったんですか?」

「駅弁。それから和歌山ラーメンと、三日目に食べた伊勢うどんもイケたな。大阪はお好み焼きとたこ焼きが良い。イカ焼きはこっちのとは違っていて、お好み焼きに似てる。基本的に町中の小さくて汚い店が案外と、良い仕事をしてた……と、思う」

「本場のたこ焼きにお好み焼き、食べたんですね。いいなぁ」

「まぁ、悪くはない。ただ、自分で焼けないんだ、お好み焼きが。向こうは店の人が焼く」

「プロの仕事……絶対、美味しいですよね?」

「うん、流石って感じだったよ。設楽はちょっと、物足りなさそうだったけど……」

「うるさい。でも、まぁ、技は盗み見た。機会があれば、最高の一枚を食べさせてやる。楽しみにしておけ」

「本当ですか? 私、今からでもオッケーです!!」

勢い込む水田に呆れた設楽は、

「お前……今、そのどでかいパフェを食べたばかりだろう」

と言う。

「甘いものは別腹です。本拠地、空いてます」

「そうだな、僕もオーケーだ」

何故だか紺野までが興味を示し出し、三人の予定は決まった。

 実は卒業旅行が終わってから、自宅のシェフに手伝わせながら、本場の技を特訓していた設楽としては、この展開は願ってもないチャンスでもある。紺野が一緒というのが気にならなくもないけれど、水田に良いところを見せられるのは悪くない。などという思いを押し隠しながら、設楽は不承不承という風を装い、紺野と水田の希望を受け入れたのである。


大阪南部に先輩'sの卒業旅行を誘致してみた(笑)。
鉄オタとB級グルメ好きには、大阪南部は結構愉快な旅行先だと思います。
大阪のお好み焼きは原則として店の人が焼いてくれます。
他の地域で自分で焼くこともありますが、
「お金を払ってるのに、何で自分で焼かんならんねん」と思ったりしなくもない。
まぁ、基本的に店のこだわりが強いから、素人に手を出させないだけかと思います。

あと、東羽衣線は全国の鉄オタにたまらんもんらしいのはガチ。
日常の足に使ってると、そういう意味での有り難みはないですけど。


HOME 版権二次創作 ときメモGS