弟の領分


 海沿いの国道を辿る。連続するワインディングを、愛車SR400は滑らかに辿っていく。ボアアップしたばかりのエンジンは快調そのもので、まるで身体の一部であるかのように操ることができる。毎度のことながらのは言え、桜井琉夏は素直に兄・琥一のメカニック技術に舌を巻いてしまう。

 一つ屋根の下に暮らす兄弟故、それなりに互いのことをわかってはいるだろう。けれど、数度の調整でピタリと琉夏が望むパワーとスピードを、絶妙なバランスで引き出してしまうセンスに、琉夏は毎度のことながら感心する。路面に吸い付くように回転する前後の車輪には僅かなブレもなく、アスファルトとの摩擦と力強いトルクが生み出す振動は、心地よい程だ。

 ふと、背後に意識を向けると、幼馴染みの少女・水田まりもタンデムツーリングに随分と慣れてきたらしく、琉夏の腰に回された両腕に過剰な緊張はなく、時折、景色を楽しむ余裕も出てきているようで、時折、頭を巡らせているのがわかる。潮風と疾走するバイクが創り出す風を全身に受けながら、琉夏は水田を怖がらせないようゆっくりとアクセルを開いた。

◇◇◇

 途中で立ち寄った道の駅で、琉夏と水田は名物の塩味のソフトクリームを買った。並んでベンチに腰掛けながら、

「まりちゃん、今日は余裕だね」

と、水田に笑いかける。

「景色、綺麗だったろ?」

「うん。琉夏君、運転、上手くなったよね」

「そう?」

 水田を乗せている時、多少はおとなしい走りを意識はするけれど、それはいつものことだ。というより、今日は気分が良かったせいで、普段よりもスピードを出していた筈なのに、水田は気付いていないらしい。不思議に思った琉夏は、水田に問う。

「違ってた? いつもと」

「うん。ジェットコースターみたいじゃなかったよ。それに、お尻も全然痛くないし」

「ジェットコースター?」

「初めて乗せてもらった時、ジェットコースターみたいだったもん。でも、今日は全然しそんなことなかったよ? 楽しかった」

「そっか、楽しかったんだ。だったら、俺も楽しい」

 そして、水田の笑顔を琥一が見ていたなら、きっと喜ぶのだろうと、琉夏は思った。

 トルクが物足りないと、何気なく呟いた数週間後、琥一はジャンク屋から安く譲ってもらったというパーツを“West Beach”に持ち込み、チューンナップを始めた。

 子供の頃から機械いじりが好きで、家中の色々なものを分解しては叱られていた琥一に、父親はスクラップ同然の原付バイクを一台と大判の本を与えた。子供には難しい言葉の意味だとか、まだ習っていて読めない漢字を調べるのは琉夏の役目で、琥一は目を皿のようにして数え切れないラインが入り組んだ図面を睨みつけ、あちこちといじり回していたものだ。役立たずの部品を見つけ出しては、近所のバイク屋で売り物にはならない代替パーツを、少ない小遣いをやりくりしては手に入れる。僅かなサイズの違いをヤスリで削ってみたりと試行錯誤を繰り返しながら、ようやくエンジンが動いた。こっそりと忍び込んだ、桜井組が管理する工事現場での試乗は、バイクの暴走・激突・大破という散々な結果に終わり、父とその部下の現場監督から拳骨と説教を食らってしまったが、それから琥一は学校と喧嘩の合間に壊れた機械を拾ってきては修理するようになり、今度は家に粗大ゴミが溢れるようになったと母親を悩ませるに至る。

 幼かった自分達の手で始めて蘇らせた原付バイクを、最初に走らせたのは琉夏だった。父親に連れられて出かけたバイク愛好家の集まりでも、琥一はメンテナンスを受け持ち、サーキットに出るのは自分。二人の間でいつの間にか出来上がった役割分担に、これまで不満だのを抱いたことはない。けれど、今回ばかりは複雑な心境になってしまう琉夏である。

 エンジン周りを調整したため、サスペンションも変えたのだろうと思い込んでいた足回りの変化は、バイクに乗り慣れていない水田のためだった。少しでもタンデムを楽しめるようにと琥一は、きっとクソ丁寧にサスを調整したのだろう。その苦労が報われたことは、水田のリラックスした様子からも窺い知れる。

「狡ぃなぁ……」

ソフトクリームのコーンを囓りながら、思わず琉夏が呟く。

「何? 琉夏君」

こちらを覗き込む水田の膝には、オレンジ色のラインが鮮やかなヘルメットが置かれている。そう言えば、これも琥一が実家から持ってきたのだった。何も言わず、一人で考え、素知らぬ顔で琉夏と水田にとって最善の策を選ぶことは、思えば実に琥一らしい。当たり前のように与えられるばかりで、後から気付かされて悔しい思いをして、それを知られるのが嫌で知らない振りを決め込む自分は、もっと狡いのだけれど。

「まりちゃん、俺より楽しそうだから」

「えっ、そうかな。そんなこと、ないでしょ? 琉夏君も、楽しそうだよ」

「うん。お前が楽しいなら、俺も楽しい」

「なら、おあいこだね」

「うん、おあいこだ」

 一瞬だけ、強面で無愛想な琥一が、水田のためにバイクの乗り心地を良くしたのだとバラしてやろうかと考えた琉夏だった。きっと、水田は喜ぶだろう。でもきっと、琥一はそんなことを望まない。この一件を秘しておくことで、琥一に花を持たせてやろうと、琉夏は決めた。

「さて、行こうか。あと少し行ったら、ダム湖があるんだ。白鳥のボートに乗ろう」

「琉夏君、頑張って」

「え、俺だけ?」

「私も手伝うよ。楽しみだね、白鳥ボート」

「うん、楽しみだ」

 弟としての領分を守るために微かな胸の痛みを隠しながら、自分だけに向けられた笑顔に、琉夏は応えた。


琥一みたいな兄貴は頼りになるけど、たまに鬱陶しいというか、ムカツク。
けど、それが八つ当たりとか逆恨みとかわかってたりして、余計にムカツク。
そんな、不肖の弟としての琉夏の心情など。
というか、たまには格好いい(当サイト比)桜井兄弟を書きたくなりました(笑)。

琥一が仕上げたバイクを最初に乗ることに、琉夏は多少複雑なんではないかと思う。
有り難いけど、それだけではないような、年齢差がない兄弟故の心境がある気がする。
しかも、琥一は良かれと思ってやってるから、逆らう理由も見つからないとかね。
で、兄の尊厳と弟の領分を守る振りして、実は甘えている自分が嫌になってそう。


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