乙女達の秘策
トートバッグにスケッチブックを仕舞いながら、水田まりは溜め息を吐いた。
「大丈夫。二人はきっと、バンビの願いを聞き入れてくれる」
「うん……ラッキーアイテムも教えてもらったし、大丈夫だろうなって思ってはいるんだけど……」
次の日曜日、花見に出かける時、桜井琉夏にはたらこのおにぎりを、桜井琥一にはBLTサンドを用意して、コーヒーと「アナスタシア」のケーキも添えて、あの二人を懐柔できるだろうか。話くらいは聞いてくれるだろうけれど、頼み事を聞いてもらえる自信はない。
「やっぱり、自信ないよ、ミヨ。特に琥一君、ああいうの、苦手そうだもん」
水田の縋るような目に、宇賀神ミヨは微笑む。
「満開の桜は、人の心を軽くする。そして、バンビの手作りのお弁当があれば、二人の心は開く。そして、きちんと話せば、きっとわかってくれる」
宇賀神の言葉には、不思議な説得力がある。美術部の部活動が終わってから、ことの成り行きを丁寧に占ってくれた結果も信頼できると思う。けれど、一番不安なのは水田自身だ。
◇◇◇
水田と宇賀神は美術部に所属しており、4月には三年生になる。新入生のためのオリエンテーションや美術部の紹介イベントを二人で企画することになった。毎年、美術部ではデッサン会をやるのだが、何故か桜井琉夏と琥一をモデルにという話が持ち上がり、何が何だかという間に妙に盛り上がってしまい、その説得役に二人の幼馴染みの水田が指名された訳だ。琉夏と琥一の性格をよく知る水田は反対したのだが、所詮は多勢に無勢。明日からは楽しい春休みだというのに、とんでもない大任を押しつけられてしまい、水田の心は沈んだままだ。
猫よりも気まぐれな琉夏が、デッサン会の間、じっと椅子に座っていられる訳はないだろうし、硬派な琥一がモデルを承諾する筈がない。水田の頼みを無碍に断ることのない二人ではあるが、今回ばかりは手作り弁当とケーキで釣るのは絶対に無理だ。ダメもとで頼んではみるつもりだが、結果は目に見えている。宇賀神には申し訳ないと思いながらも、二人を説得できるだけの自信が水田にはない。
「バーンビ、ミーヨ、今、帰り? 一緒に帰えろ?」
明るい声に振り向くと、花椿カレンが満面の笑顔でやってきた。
「ん? バンビ、元気ない?」
「カレン……」
「カレン、バンビの力になってあげて。バンビは今、とても困ってるの」
「何? 私にできることなら、何でもするよ?」
肩に置かれた花椿の掌のあたたかさに、水田は全てを話した。
◇◇◇
そして決戦の日曜日。渾身の力を注いだ弁当は、我ながら上出来だ。宇賀神が手を回してくれたお陰で、開店間もなく売り切れるレアものスイーツも確保できている。コーヒーは花椿に教えてもらった人気の豆を、丁寧に煎れた。勝負服のコーディネートは桜に合わせた淡いピンクのフリルキャミソールとミニスカートを合わせ、甘くなりすぎないようにデニムのジャケットをプラス。耳元で揺れるピアスもつける。このコーディネートも、花椿のアドバイスだ。
「よし、行くか」
ピクニックバスケットを手にした水田は、気合いと共に自宅を後にした。
◇◇◇
森林公園の入り口待っていた琉夏と琥一と合流し、三人は弁当を広げるのにふさわしい場を探す。満開一歩手前を迎えた森林公園には花見客で賑わってはいたが、何とか見つけだした芝生に腰を落ち着ける。アッという間に弁当を平らげた琉夏と琥一は、上機嫌を絵に描いたよう。
頼み込むなら、今だ。水田は腹をくくった。
「ところで、琉夏君、琥一君。相談があるんだけど、いいかな?」
「ん? 何?」
「えーっとね、新学期になったらね、新入生の勧誘のね、オリエンテーションがあるんだけど、手伝ってもらえないかなって」
「手伝うって?」
「おいおい、俺らはカンケーねぇだろうが」
「そこんとこをね、何とかお願いできないかなぁって、ね?」
「何するの? 美術部って」
「見学者も参加するデッサン会。それで、二人にモデルになってほしいなって」
「おいおい、勘弁しろよ、メンドクセー。俺は、パスだ」
さっきまでの機嫌の良さはどこへやら。琥一はうんざりとした顔で、言い捨てる。そして、琉夏もニコニコと笑いながら
「俺も。バイト、あるし。それにさ、ヌードは、ね?」
と、言った。
「もう! そんなヌードなワケないでしょ? 制服のままでいいの!!」
「え、そうなの?」
「どっちにしても、パスだ、パス。暇じゃぁねぇんだよ」
「そっかぁ……そうだよね。残念だけど」
付き合いきれないといった風の琥一の言葉に、二人の性格を考えれば当然だと思う。とは言え、実は水田も前々から、二人を描いてみたいと考えてはいたのだ。
「琉夏君と琥一君、私も描いてみたかったから」
「でもさ、まりちゃんのためだったら、いつだってやるよ? モデル」
「うーん、それはね、ちょっと恥ずかしいかな。でも、美術部のみんなと一緒なら平気かなって、そう思ってたの」
「遠慮しちゃう?」
「遠慮っていうより……照れるんだもん。乙女心は、複雑なんだよ」
琉夏と琥一の雰囲気が変わった。そんな気がするだけかもしれないけれどと思いつつ、それとなく水田は二人を見る。
「あのさ、俺らがモデルしなかったりしたら、まりちゃん、困る?」
「困るっていうか、二人ともこういうの好きじゃないからって、みんなには言ってあるし、ダメだったら私がモデルすることになってるの。だから、大丈夫。困ったりしないよ」
「お前……モデルとか、やんのか?」
「毎週月曜日はね、人物デッサンなの。で、順番にモデルやるの。だから、私だけじゃないけど、時々ね」
「だとよ、お前、デッサンできねぇだろ。その……モデルなんかしてたらよ」
「うーん、そうだけど、二人に迷惑かけるよりは、ね?」
やっぱり、少しだけだけれど取り付く島がなくもないだろうか。だったら、花椿直伝の奥の手が使えるかも知れない。ちょっとズルイかもしれないけど、この際、使えそうな手は使ってしまおうと、水田は決めた。それでダメなら諦めもつく。
水田は俯いて、素早く目をしばたいた。昨夜は15回の瞬きでも効果があったが、念のために20回。しっかり瞬きをしながら、親友・花椿の言葉を思い起こす。
◇◇◇
「俯いて、黙ったままで瞬きを何回もするの。そしたら、目がウルルンってなるから。それから顔を上げて、にっこり笑うの。わざとらしいくらいに笑うのがポ・イ・ン・ト」
「わざとらしいくらいって……それ、逆効果じゃない?」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ。この場合は、わざとらしいくらいがいいの!!」
「さすが、カレン」
「ミヨまで……」
「バンビの魅力は、アタシが一番よく知ってるんだから!! ダイジョーブ。上手くいくよ、絶対!!! じゃぁ、今から軽〜く練習してみよっか」
◇◇◇
よし、20回。次は、思いっきりわざとらしく笑うだけ。
「ゴメンね、無理なお願いしたりして。この話は、もうお終いにしよう? 大丈夫。みんな、わかってくれるから」
最初に琉夏、次に琥一の目をしっかりと見ながら、水田は笑顔を浮かべた。わざとらしくできたかどうかはわからない。けれど、微妙な表情で顔を見合わせる幼馴染みの姿に、それなりに効果があったのだろうかと思う。
「えーっとさ、俺、モデルやってもいいかな」
「でも……」
「何か、気が変わった。やるよ、モデル。やりたくなった。なぁ、コウ」
「しょーがねぇな」
「20分、じっとしてなくちゃダメなんだよ? 琉夏君、そういうの苦手じゃなかった?」
「苦手……だけど、やる」
「1回だけだぞ」
「無理……してない?」
「してない。なぁ、コウ?」
「ああ、してねーよ」
「ホントに?」
「ホント、ホント」
「嬉しい! 私、お礼にお弁当、作るよ。新学期が始まったら、1週間」
「やった! それ、サイコー!!」
「あぁ、楽しみにしてるぞ」
「全力で、魂込めて作るね、お弁当。楽しみにしてて!!」
◇◇◇
そして、美術部の新入生勧誘オリエンテーションは、特別モデルの話題性もあって、大盛況のうちに終わった。前年よりも多い新入部員も入り、水田と宇賀神は大役を果たすこともできた。新学期が始まって琉夏と琥一に届けている弁当も会心の作とあって、水田は上機嫌である。
「バーンビ。今日のお弁当、なに?」
「今日はねぇ、三原色画伯の作品だよ。混ぜご飯をベースにして、海苔とかのトッピングを工夫しました!」
言いながら水田は、今朝撮った写メを見せた。
「すごい、バンビ。傑作」
「でっしょー? 自信作だよ、これ」
「初日は戦隊ヒーローのレッドとブラック。昨日は……」
「悪の組織の大幹部と、最強怪人」
「あれは作ってて気持ちよかったなぁ。悪役のデザインってデコラティブで凝ってるから、凄く作り甲斐があるんだよね」
「明日は? 何作るか、決まった?」
「まだ。二人とも、何かアイデア、ある?」
「ドラゴンとタイガーは?」
「ああ、いいそれ!! 最後のはねぇ、インパクトのあるのがいいなぁって。何にしようなぁ」
「少女マンガのキャラは? ちょっとレトロな感じの、薔薇とかキラキラが一杯の」
「それいい!! いただき!!!」
などと盛り上がっているキューティースリーは、琉夏と琥一は三原色の後継者と呼ばれる幼馴染みが芸術家魂を注ぎ込んで作った、お世辞にも食欲をそそるとは言えないキャラ弁を、微妙な気分でかっ込んでいるのを知らない。だがしかし、はばたき学園は、今日も平和である。
美術部コマンドを始めて見た時、結構な衝撃でした(笑)。
そして、手作り弁当には心ではなく、芸術家魂が込められてしまって、
琉夏はともかく、琥一はかなり微妙なのではないかと予想しています。桜井兄弟は何だかんだ言ってバンビに弱い。
カレンはバンビとミヨの魅力を知り尽くしているので、
効果的な対策を繰り出せそうだなぁと思いつつ、
やっぱりキューティースリーは最強なのではないかと(笑)。
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