王子と庶民


 4時限目の授業終了を告げるチャイムが鳴ると同時に、新名旬平は教室を飛び出した。階段を駆け下りて目指すのは2年生の教室。昼の休憩時間を有意義に過ごすため、足早に移動する大勢の最上級生達の中に混ざる女生徒に迷いなく駆け寄っていく。

「まりちゃん、いた」

新名の声に、水田まりが笑顔で振り向いた。

「新名君。良かった、すれ違いにならなくて」

「もしかして、探してくれてた? 俺に、何か用あんの?」

「そう。渡したい物があるんだけど……ニーナ君、お昼は?」

「あ、これから購買でパンでも買おうかなって。アンタは?」

「私はお弁当だよ。じゃぁ、屋上で待ってるから、一緒に食べよ?」

「オッケー。じゃ、ダッシュで行って帰ってくんね」

 はばたきミックスジュースとパンを手に新名が屋上に行くと、水田が手を振って新名を呼ぶ。小躍りしたいのを抑えながら新名は、さり気ない振りを装いながらも駆け足で水田のもとに行き、その隣に腰を下ろす。

「それ、うまそう。 アンタが作ってんの?」

「今日はお父さんのお弁当がない日だから、全部自分で作りました。普段は、お母さんと合作っぽいかな?」

「なぁ、卵焼き、チョーダイ。そのお礼に、デザートに買ってきたチョコ、半分こ。どう?」

「ふふ。いいよ、もちろん」

 中学三年生の時にナンパに失敗して、その後に重なった偶然に運命を感じた途端に会えなくなって、高校の入学式で再会するという、運命の女神にからかわれているような経緯で親しくなった水田まり。手芸部員の彼女とはファッションの話題で盛り上がることも多く、放課後、時間が合えばウィンドウショッピングに繰り出すことも多い。好みが似ているところもあるが、そうでもない点もあり、更に異性という関係性からお互いの存在がそれぞれに良い刺激になってもいる──ひと言で言えば、学年も性別も違うからこその親友だ。

 食事を終え、チョコレートを摘んでいる時、水田が言った。

「忘れないうちに、渡しちゃうね。これ、新名君に」

「え……いいの? 一昨日、誕生日プレゼント貰ったばっかだぜ?」

「いいの、いいの。これは特別というか、別腹というか……。ね、開けてみて?」

 言われるままに渡された包みを開くと、Tシャツが一枚。

「これ……抱きしめTじゃん! え、あれって、レディスしかないんじゃ……」

「男子……というか、新名君が着られるように、リメイク風にアレンジしてみました。どうかな?」

「え、わざわざ? 俺のため?」

「だって、新名君、葉月珪の大ファンなのに、抱きしめT着られないの残念だって言ってたでしょ? 葉月珪だって、きっとファンの人に着てほしいと思ってる筈だもん。だから」

「うっわ……マジ、嬉しい。てゆーか、反則っしょ? こんな……ああ、もう!! アンタって、最高!」

 溢れそうな喜びのまま、水田をハグするなり、担ぎ上げてくるくる回してみたい衝動を理性で抑えながら、新名は心からの“ありがとう”を告げた。

「ふふっ。こんなに喜んでもらえて、私も最高。あ、新名君の御用は、何だったのかな?」

「あ、そうだった。次の日曜、空いてる? 公園通りのフリマ、行かねぇ?」

「うん、オッケーだよ」

「実はさ、葉月珪が、フリマに出店するかもっていうウワサ、聞いたんだよね」

「ホント?」

「ホント、ホント。自作のシルバーアクセ、たまに売ってるって話。会えるかどうかは別としてさ、行ってみる価値、あると思わねぇ?」

「あるある。行く、絶対」

「じゃぁさ、抱きしめTで、さりげなーくペアルックしちゃわない? オレ、これ着たいし」

「いいよ。わかる人にはわかる、そんな感じだよね?」

 悪戯っぽく笑う水田はまるで小悪魔めいて、こういうところがカワイイと思う新名であった。

◇◇◇

 公園通りの一角で開催されているフリーマーケットは、本日も大盛況だ。開始時間に少し遅れて開店の用意を始めた葉月珪は、仕事の合間を縫って作ったシルバーアクセサリーのディスプレイを終えた。小さな物が多いからと、高校時代からの付き合いになる間田乙女が用意してくれたスタンドに一つずつ、見栄えに配慮しながらアクセサリーを並べる一時は、素直に楽しい。アクセサリーを作っている時、完成した時にも喜びや充実感を得られるのだが、我が子とも呼べる作品が誰かとの出会いを待つ姿を眺めながら、ぼんやりとしている時間も良いと思う。

「あの……見せてもらっても、いいですか?」

 折り畳みの椅子に腰掛けている葉月に声がかかる。

「どうぞ……気に入ったら……試してみても、いいから……」

「ありがとうございます」

 この日、初めての客は高校生らしいカップル。寄り添うように品定めをしている様子が微笑ましくて、自然に葉月の頬も緩む。排他的だった自分とは違い、この二人は楽しい学校生活を送っているのだろう。今でこそ葉月も人並みに暮らしてはいるが、それは恋人の間田の存在が大きい。はばたき学園で彼女に出会わなければ、以前と変わりない、精彩を欠いた日常を送っている筈だった。

「どっちもいいなぁ……マジ迷う。どっちが、イメージ?」

「うーん、いつか着てたシャツにはこっちが似合いそうだし、でも、こっちはドクロのペンダントと合わせるとイイ感じにならない? あと、こっちもステキ」

「だよなぁ……アンタは? 何買うか、決めた?」

「こっちのブレスレットと、このリング。どっちにしようかなってか、考え中」

「あ、いいじゃん、いいじゃん、どっちも」

 真剣に品定めする二人の姿に、葉月は思わず目を細めた。

「それ……気に入ってるのか?」

葉月の声に、少年が顔を上げる。

「あ……はい。スッゴク。今日は一つのブースで買うのは一つだけってルール作っちゃって、思いっきり後悔してるとこッス」

少ない小遣いを遣り繰りしているらしい少年の言葉に、

「だったら……これ。そのリングと……ペアっぽく作った……。気に入ったなら……」

と、お気に入りの新作デザインのペンダントを差し出してみた。

「アンタが気に入ったリングとお揃い? さり気ない感じ、イイッスね。どう? まりちゃん」

「えー、ニーナ君とお揃いー?」

「あ、ひでぇ」

「ウソウソ、ジョーダン。ニーナ君こそ、いいの? さっき選んでたのと違うよ?」

「いーの、いーの。さり気なペアってさ、ちょっとイイじゃん。もちろん、アンタさえ良ければ、だけど」

「じゃぁ、これにしちゃう?」

「しちゃう、しちゃう。これ、ください」

 それぞれの掌に載せられたシルバーアクセサリーを、間田が作ってくれた小さな布袋に入れ、葉月は“ありがとう”と言った。“こちらこそ”と応えた少年は明るい笑顔のままで、

「あの……葉月珪さんですよね? モデルの」

と、葉月に問う。

「ああ……そう……だけど」

「オフにこんなこと言うの、ルール違反だってわかってんですけど、オレら、葉月さんのファンです」

「そうなんです。特にニーナ君、葉月さんの大ファンなんです」

「あ……ありがとう」

 アクセサリーの品定めをしている時は、前屈みになっていたので気付かなかったのだが、よくよく見ると、二人は“抱きしめT”を着ている。しかも、さりげなさを装ってはいるが、しっかりとコーディネイトはペア。メンズはなかった筈なのにと混乱する葉月の眼前に、ニーナと呼ばれた少年が“抱きしめT”をピンと張って言った。

「サイン、ください」

「私も、お願いします!」

 自分の顔が全面にプリントされたTシャツをしげしげと長めながら、何のバツゲームなんだと、沸々と湧き上がるやり場のない感情を、葉月は無理矢理押さえ込む。だいたい、“抱きしめT”の発売には最後の最後まで抵抗していたのだ。なのに、葉月本人は完全に置いてけぼり状態で企画が進み、何を言っても聞き入れてもらえないままで発売に至った。そんな経緯を持つものだけに、スタッフに申し訳ないと思いつつも売れ残ればいいとまで考えているのに……。そんな葉月の願いとは裏腹にTシャツは売れ、あろうことかサインまで求められている。それも、自分の顔面がプリントされたTシャツに。

「それ……リメイク……したのか?」

殆ど怖いもの見たさで発した葉月の問に、

「俺が葉月さんファンだからって、彼女がメンズにアレンジしてくれたんです。あ、彼女、はば学の手芸部に入ってて……」

と、ニーナが応えた。

 後輩……なら諦めるほかないのかもしれない。葉月にとっては限りなく悪夢に近い状況ではあるが、後輩を無下に扱うのは少々気が引けてしまう。それに、公開処刑同然の現状から最も早く解放される手段は、素直にサインするほかなさそうだ。そう判断した葉月は、値札書きに使った油性マジックを取り出し、手早くサインする。

「うっわ、やった。サイン、貰った。しかも、本人から」

感無量といった様子のニーナが、葉月には不思議に感じられた。

「そんなに…嬉しいか…?」

「えっ!?マジ嬉しいっすよ!もう皆に自慢しまくるしー!!」

「だよね、だよね。私も、大切にします。宝物ですよ、私達の!! あ、これからも、頑張ってください。応援してます」

「モチ、オレも。今まで以上に リスペクトさせてもらいます! なぁなぁ、まりちゃん。これ、学校に着てくと、怒られっかな?」

「ヒムロッチに見つからなければ、大丈夫じゃない?」

 二人はアクセサリーとサインの礼を何度も告げてから、葉月のブースを後にした。葉月は何度か、Tシャツを人に見せびらかすのはやめてほしいと言ったのだが、彼らの明るい会話に、その声はあっさりとかき消されてしまい、二人の耳には届かなかったらしい。

 オリジナルのシルバーアクセサリーを全て売り切ってから帰宅すると、共に暮らしている恋人までが“抱きしめT”を着ていた。嬉しそうな彼女の姿に何も言えず、葉月はもしも同様の企画が再び持ち上がった時には、モデル生命を賭けて阻止すると誓うのであった。


抱きしめTに対するニーナの反応が可愛すぎるから着せてみた。
つか、ペアで着せたいと思いました。
んでもって、葉月はどうなんだろうかと妄想してみたのですが、
あちこちで抱きしめTを見て、指名手配犯気分になってるといいな(笑)。
そして、抱きしめTが好評だったため、新たな企画
「葉月珪の炊き枕」発売の準備が粛々と進められているという……。
泣くな、葉月。大人の世界を見事泳ぎ切ってくれ!!


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