緊褌一番への助走


 紺野家では母親と長女の珠美が家事を分担している。栄養士として働く珠美は平日は仕事があるため、休日に母の手伝いをする程度になっているが、比較的時間に余裕がある時、母娘の阿吽の呼吸に近い形で食事の用意や洗濯、掃除などをこなすのが常となっていた。

 「ねぇ、お母さん。玉緒、最近どうしたの?」

「どうって……何が?」

「どうって、変じゃない? 特に洗濯物。というか、主に下着が」

「そう?」

「妙に派手になっているっていうか、悪趣味になってるっていうか……。あんなの、まさか、お母さんが選んだワケじゃないよね」

「それがね。玉緒ったら最近、服だけじゃなくて靴下や肌着も、自分で選ぶようになったのよ。自立への第一歩、ってとこかしら」

「自立ねぇ……」

 ダイニングテーブルで母の煎れた紅茶を飲みながら、珠美はついさっき取り入れた洗濯物を思い浮かべる。テニスサークルの合宿から戻ったばかりの弟の洗濯物の中に紛れながらも、無駄に存在感を放つ下着の数々。それを選んだのが母ではなく、六歳違いの弟だったことを喜ぶべきだろうかと、ふと考える珠美であった。だが、その思いをすぐに改めた。黒や紺や緑色ならともかく、彼女の知る弟が身につけるとはとても思えない豹柄はどうなんだろう。しかも、ピンクのパステルトーン。というか、男性用の下着にも、あんな色柄があるという事実が衝撃的である訳なのだが。これではまるで、清純派グラビアアイドルだとかが清楚な振りをして、中には際どい下着を着けているのと五十歩百歩の状態だなどと珠美が考えていると、母親の直感なんだけどと言いながら、母親が声を潜めて言う。

「好きな女の子、できたんじゃない? ほら、いつだったか、高校の後輩の女の子が来てたじゃない。受験対策とか言ってたけど、後輩の子はともかく、玉緒はどうかしらね」

「単なる後輩でしょ? そう言ってたじゃない。それに、それと玉緒の下着の趣味が悪くなってることは、関係ないと思うけど」

「そろそろ“お母さんの買ってきた服”から卒業かしらね、玉緒も。下着とかも、気合い入れようとか、自分を変えようとか、そんな感じで色々試してるんじゃない?」

「それで豹柄とかオレンジとか? しかも、思いっきり派手っていうか原色系だよ? ドン引きされると思うけどな、逆に」

「そういうのをたくさん経験して、一人前の男になるのよ。多分」

「多分、なんだ」

 暢気に微笑う母親に相槌を打ちながら、恋愛沙汰に関しては鈍臭いことこの上ない弟が一人前になるまでに、何年かかるのだろうかと考えてみる。それならいっそ、姉の自分が悪趣味なものを嫌という程差し入れて、目を覚まさせてやるのが得策かも知れないとも。姉弟の間柄とは言え、そこまで世話を焼く必要があるだろうか、下手をすると穏和な弟の逆鱗に触れるかも知れないのだけれど、大学デビューしたばかりの弟をからかう、この絶好のチャンスを逃す手はない。それに最近、どうも生意気になっている弟をやり込めるにも、これは格好のチャンスでもある。やはり、ここで一肌脱いでやらなければ姉としての面子も立たない。姉としての思いやりが喜ばれるのか否かは、出たとこ勝負。玉緒が怒ったところで、たかが知れているのだから心配無用。そんなことを思う珠美であった。

◇◇◇

 ある夜、珠美が自室で本を読んでいると、ドアが控えめにノックされた。

「姉さん、いいかな」

と、玉緒がそっと顔を出す。

「何?」

「あ、えっと、母さんから聞いたんだけど……下着、補充してくれたって」
きたきた。心の中で密かに、珠美はほくそ笑む。

「余計なお世話だった?」

「ううん、そうじゃなくて。自分では選ばないようなヤツだったから……ええと、ありがとう。それだけ」

そう言い残し、玉緒は早々に珠美の部屋を後にした。

 あんなの、喜ぶんだ。そう、珠美は思った。というより、呆れた。

 珠美が選んだのは白と黒のゼブラ柄のビキニパンツと、ラメがちょっと毒々しい鮮やかな蛍光グリーンのTバック──これは、嫌がらせのつもりで買ったものだ。そして、ネタとして仕込んだ筈の、戦国武将の家紋入り甲冑デザインの肌着だったりする。職場の近くにオープンしたばかりのアンダーウェア専門店の中でも、かなり目を引く、珠美としては弟をからかうつもりで、特に気合いを入れて選んだ筈のものだった。

 確かに、自分ではなかなか買わないラインナップではある。そして、人にプレゼントするとしてもジョーク寄りでしかない。そんなものも喜ぶなんて、弟はいよいよ浮き足立っている。というよりも、頭の中には春爛漫のお花畑が広がっているに違いない。そう、珠美は確信したのであった。


玉緒は何だかんだで姉・珠美には頭が上がらなかったり、
その行動原理は好意に基づくのだと思い込んでいるといい。
そして、珠美は弟は可愛いけど玩具だと思っているので、
微妙な温度差とかが出ていたりするんではないかと。
お母さんが買ってきた衣類を卒業する時が、大人への第一歩ですね、玉緒の場合は。

や、こう、弄りもツッコミも愛ですよ、愛(笑)。


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