道場破り


 運動部の部室が並ぶ場所から少し離れた場所に建つプレハブは、柔道場兼柔道部の部室である。耳を澄ませば中からは、威勢の良い声が聞こえてきた。桜井琉夏は深呼吸をしてから、勢いよく扉を開き、

「たのもう!」

と、声を張る。

 中には柔道部主将の不二山嵐と一年生部員の新名旬平がいた。そして、琉夏の幼馴染みの水田まりが、目を丸くしている。

「やる気になったのか? 柔道」

「じゃなくて、悪党退治……あ、違った。道場破りだ。いざ、尋常に勝負!」

「よし、お前が勝ったら柔道部主将だ」

「え、嵐さん、いいんすか? そんなこと言って」

「強いヤツが主将になるのは、当然だ」

「でも、負ける気なんか、ないんでしょ?」

「やるからには、全力でやる。まり、琉夏に柔道着、貸してやれ」

不二山の言葉が終わる前に、水田は既に用意した柔道着を琉夏に差し出した。

「はい、柔道着。私は外に出てるから、着替えが終わったら声かけてね」

「何で。ここ、俺らしかいねーじゃん」

「あのね、琉夏君は嵐君や旬平君と違うの。普通に恥ずかしがり屋さんなんだから」

「まぁまぁ、嵐さん。ここはまりちゃんの顔を立ててですね」

「変なヤツ。俺らの着替えなんか、平気なクセに」

三人の会話を聞き流すつもりが、水田に馴れ馴れしい不二山と新名に対し、琉夏はかなりムカついている。特に水田の名前を呼び捨てにしている不二山は、大いに気に入らない。新名まで“まりちゃん”など自分と同じように呼ぶのは、一年坊主のクセに生意気にも程がある。こうなれば素人の特権で、少々汚い手を使ってでも勝つ。そう、琉夏は決めた。

 体育の授業で多少はかじった程度では、いくら何でも柔道で不二山には勝てないくらいはわかっている。けれど、うっかりした振りで蹴りを出せば、不二山に間合いを詰められることはない。それが琉夏の勝算である。学生柔道とは言え勝負師の不二山も、そんなことは承知の上だろう。だが、リーチで分がある琉夏が不二山を寄せ付けず、いかに不二山の隙を突くか。それで勝負が決まる。勝敗がなかなか決しないのであれば、奥の手を使えばいい。

 一礼の後、向き合った不二山が発する独特の空気が、琉夏の喧嘩魂を刺激する。そこらの喧嘩小僧とは比べものにならない清冽な殺気にも似た気に、背中が微かに泡立つような気がした。五感がどんどん研ぎ澄まされていくのを感じながら、摺り足のまま一歩を踏み出す。

 じわりと距離を詰めてくる不二山を際どいタイミングでかわしてみるが、不二山は涼しい顔で襟を掴もうと攻めてくる。そうはさせじとばかりに琉夏が蹴りを繰り出すが、思惑は読めているとばかりに受け流されてしまう。互いの様子を窺うような、じゃれ合いじみた遣り取りが続いた後、先に仕掛けてきたのは不二山だった。きっちりと襟を掴まれることだけは回避した琉夏は、身の軽さを生かして相手の手を振り払い、その勢いで後方に跳ぶ。いつの間にか人が集まっていたらしく、不二山の技が決まらなかったのを惜しむ声と、琉夏への声援が聞こえた。積極的に攻める不二山を拳で牽制してはみるが、思うようには動かせてもらえず、再び襟を取った手は容易に外れてはくれない。

 不二山の足技が出る一瞬前に、琉夏は胴衣を脱ぎ捨てる。襟さえ掴ませなければ、大技を決めることはできないと考え、予め緩めに帯を結んでいた琉夏は、胸の裡だけでほくそ笑んだ。しかし不二山は落ち着き払ったまま、袴を掴もうと迫ってくる。長い手足を使って不二山をやり過ごした琉夏は、すぐに緩められるように結んでおいた袴を脱ぎ捨てた。

 こんなこともあろうかと、パンツは取って置きのを履いてきた。掴み所がなくなれば、柔道よりも空手の方が格段に有利になるのを見越して、琉夏は最後の手段に出た訳だ。さぁ、ここからが俺のターンだと身構えた時、

「もう! 琉夏君!! 何てカッコしてんの!! 裸ん坊が可愛いのは3歳までって、この間、言ったばかりじゃいの!!!」

と、水田の声が聞こえ、琉夏は

「パンツ履いてるから、セーフ!!」

と、胸を張る。

「それは、お家の中でだけ!! 人が大勢いる時は、パンツ履いててもアウトです」

「えー、それはないよ、まりちゃん。勝負パンツだよ、今日は」

「よそ行きのでも、いけません。神聖な柔道場で、しかも試合中に裸になる子なんて、どこにもいないんだからね」

「ていうか、まり。お前、組み手の途中で割り込んでくんなよ。危ねぇぞ」

呆れ顔で不二山が言うと、

「私が割り込んだって、嵐君は避けられるでしょ?」

と、水田が笑う。

「俺はな」

「俺だって、避けられる。止まっただろ、今」

「もう! 二人ともストップ!! 琉夏君、胴衣、ちゃんと着て」

「やだ。何か、ムカつく、コイツ」

「琉夏君。いい加減にしないと、本気で怒るよ?」

両手を腰に当てた水田が不二山ばかりを庇っているようで、気に入らない。元はと言えば、不二山と新名のセクハラをやめさせるため、道場破りなんかをしている訳で、それは水田のため他ならない。なのに、自分だけが叱られるのは理不尽だ。己の行動や姿を棚に上げて、琉夏は黙りを決め込む。

「わかりました。だったら私も本気出す」

 動かない琉夏に痺れを切らした水田に詰め寄られた直後、琉夏は畳の上に転がされていた。次いで、一瞬の出来事に混乱する琉夏の首に、水田の華奢な腕が回される。肩胛骨に柔らかな感触があったと思ったら、思いがけないほど強い力を首回りに感じた。

「まりちゃん、いい投げっぷり。マジパネェ。いつの間に、そんな技、覚えたの?」

「俺が教えたんだ。マネージャーとは言え、柔道部員。痴漢よけの決め技の一つ二つ、使えねぇとな」

「上手だった?」

「ああ。ところで、その絞め技、俺は教えたことないぞ?」

「あ、それは、俺。何かの時にミニスカ対応の絞め技……あれ、膝、空いてんじゃん。おっかしいな、練習の時は上手くいったのに」

「教えてもらったようにしたんだけど……」

「新名、この技、どうやって考えたんだ?」

「家で。弟に痴漢役やらせたんッスよ」

「お前……まりと俺らとじゃ、太股のサイズが違いすぎだろ? だから、同じバランスのつもりでも、膝が開くんだ……と、まり、琉夏、マジで落ちるぞ。そろそろ腕、緩めてやれ」

フワフワとした、危うさとない交ぜになった心地よさから解放されたのは良いが、水田の身体が離れてしまったことを残念に思っていると、

「ちょっと修正するか。膝が空いたままだと、使えないからな。琉夏、もうちょっと付き合え」

と、不二山の声がする。

「スイマセンね、琉夏さん。まりちゃん、もうちょっと左足を内側に向けて……右足を左に寄せてみて?」

「こう? わわ、後ろに倒れ……ありがとう、嵐君。支えてくれて」

「どういたしまして。下腹に力入れて、心持ち上半身のを琉夏側に倒して、バランス取ってみろ。後ろから腰、支えてやるから」

水田に抱え込まれたままの体勢は、なかなかに際どいのではないかと琉夏は思うのだが、柔道バカの不二山も、妙に生真面目な新名と水田には問題ないらしい。しなやかな両腕や小さな膝小僧が触れる部分から流れてくる水田の体温に、琉夏は安らぎに似たものを感じている。正義のヒーローにはなり損ねたけれど、身体が密着するほどに水田に近づけただけで良しとしようか。セクハラをやめさせるのは次のチャンスにでもと考えていると突然、先刻とは比べものにならない力で頸動脈が圧迫された。

「な? テコの原理を使えば、最小限の力で最大の効果が得られるんだ。柔道の基本だな」

「ホントだ。あんまり力入れてないのに、スゴイ」

「さすがっすね、嵐さん」

三人の声が遠くに聞こえる。恍惚とした心地に再び身を任せようとした琉夏の耳に、兄・琥一の声が響いてきた。

「お前ら……そのへんにしとけ。琉夏の野郎、マジでイクぞ?」

「あ、ゴメン、ゴメン。琉夏君、大丈夫?」

技を完全に解いた水田に

「平気。不死身のヒーローだから」

と、ウィンクする。

「何がヒーローだ、バカが。さっさと服着ろ。帰るぞ」

琉夏がノロノロと起き上がると、呆れ顔の琥一と目が合った。取り敢えず、へらりと笑ってやると、兄の眉間の皺が更に深くなる。ドアの近くには、見せ物を存分に楽しんだ学生達の後ろ姿の他に、琉夏の健闘を讃えるつもりらしいピースサインを揚げる知り合いもいた。むさ苦しい男ばかりの道場に咲いた紅一点に、琥一が何やら話しかけている。不肖の弟のしでかした不始末の尻ぬぐいをそつなくこなす琥一に苦笑しながら、琉夏は制服を身に着けた。

◇◇◇

 その後、水田は“はば学”の猛獣使いの称号を手に入れたのだが、その事実を本人や親しい人間に告げる勇者は一人もいなかった。

 琉夏は琥一から、クセ者揃いの柔道部に構わないよう釘を刺されたけれど、馬耳東風といった様子でリベンジの機会を窺っている。

 不二山は琉夏の再挑戦を虎視眈々と待ち受けていて、新名はというとミニスカ対応の護身術の改良に余念がない。

 そして、琉夏の道場破りを機に、柔道部には入部希望者が次々と訪れたのだが、水田目当ての不届き者はことごとく、琉夏と琥一の暗躍により入部断念を余儀なくされたのである。


柔道部マネージャーマスターバンビは、肝っ玉母さん。
お父さんが嵐で、息子がニーナ(笑)。
そんな柔道部ファミリーに殴り込んで玉砕する琉夏は、可愛いと思う。
琥一は正攻法というより、絡めてでいきそうなイメージでしょうか。

“琉夏は基本裸族”という妄想を授けてくれたニシオギさんに捧げます。
勝負パンツを履くのは、柔道部に敬意を表してだったりするかも、琉夏なので。


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