玉緒のバスケ
賑やかなウィニングバーガーの店内で、尽は新発売の照り焼きうどんバーガーに興味津々・戦々恐々といった表情で囓りついている。玉緒と尽、初対面は小学生の時。転校初日から明るく笑っていた尽は昔とちっとも変わってはいなくて、今だって何事にも臆することなく、好奇心のままに生きているかのようだ。そんな彼を眺めながら、玉緒はフライドポテトを摘まむ。
「高等部でも、バスケ、続けるんだろ?」
尽の問いかけに、玉緒は笑顔で頭を振る。
「続けない。もう、いいよ。バスケは」
「“スコアの鬼”、やめんの?」
「鬼って……そんなのじゃないよ……」
怪訝そうな表情と何かを惜しむような声で、
「先輩達からも誘い、もらってんだろ? お前のスコアとデータ分析は、チームの要だったじゃん。試合の時もだけど、トレーニングとかでもさ。先輩とか顧問の先生からも頼られてたじゃん」
と、尽が言った。
「うん、まぁ、それは……。でも、バスケが下手だから、他にできることがなかっただけで始めたんであって、僕じゃなくてもできるよ。高等部にはマネージャーも多いから、別に僕がやらなきゃならないわけでもないし。それに……バスケは、本当に、もう、いいんだ」
バニラシェイクと共に玉緒は、“バスケが好きでもなければ、自分から始めた訳でもないから”という言葉を飲み込んだ。
『はばたき学園中等部』に入学してすぐに、玉緒は姉の珠美から無理矢理にバスケットボール部に放り込まれた。運動が得意ではなく、どちらかというまでもなく気も弱い。要領も良いとは言えない玉緒を心配した姉心と言えば美談だが、当時、姉の珠美は、自分がマネージャーをしている男子バスケットボール部の誰かに絶賛片思い中で、卒業後も自分をダシにしてコンタクトを取ろうとしていたのだと、何となくだが感づいていた。百歩くらい譲って、弟を心配する気持ちがあったとしても、多分それは、ほんの少しにすぎない。動機の大部分が下心だと、当時から、そして今も尚、確信してもいるのだ。それも専門学校卒業後、栄養士として働き始めてからは、さすがに弟にかまけている暇はなくなったらしく、秋の引退試合以降、玉緒は平穏な日々を過ごしている。時々、スコアから得られる情報をいかに分析するかについて、後輩から尋ねられることはあったが、現役時代のように胃がキリキリと痛むようなことはない。
「玉緒はさ、セコンドっていうか、参謀とかの才能あったのにな。てっきり、そっち方向に進むと思ってたんだ、オレ」
「そんなもの、ないよ。バスケ部にだって、姉さんに無理矢理入部させられただけだし、人並みにできることが他になくて、何となくスコアラーやってただけなんだ」
負けん気だけは多少でも強かったのと、勉強だけは人よりも得意な方だったから正確で詳細なスコアを作ったり、データ分析の真似事もできた。けれど、それはバスケに対する才能や適性などではなく、朝顔や向日葵、メダカの観察日記をつけて、環境による変化を予想するといった理科の自由研究と大差ない。現状や問題点が分かったとしても、自分の身体さえイメージ通りに動かせない玉緒には結局のところ、他の部員のような結果は出せない。問題解決の糸口を示すことはできても、その先は才能や実力を持つ選手達の独壇場。運動が不得手もいいところの玉緒の場所などない。
だが、スコアラーをすすんで務める人間が他にいなかったがために、玉緒は一年生中盤から殆どの試合でベンチ入りを許された。アスリートとしては足下にも及ばないような同級生を差し置いてのベンチ入りという、明らかに分不相応な扱いに戸惑い、玉緒はバスケットボールというスポーツについて学び、また、ライバル校の情報を集めたりもしたのだ。それは、ベンチに入りたくても入れなかった同級生の気持ちを考えてのことであると同時に、陰口を叩かれないための自衛策でもあったのだ。もちろん、一番親しくしている尽にさえ、本音を話したことはないけれど。
「何となくでも結果を出せるのを、才能っていうんだよ。でも、やっぱ、勿体ねぇなぁ」
少しばかり意地悪な表情で、尽が笑う。
「そっちだって、内部進学しないクセに。人のこと、言えないだろ?」
玉緒の反撃は予想していなかったらしい尽が、一瞬だけ目を見開く。
「まぁ……少年老いやすく学何とかとか? あ、あっちでもいい。少年よ荒野を目指せ?」
「それを言うなら、“少年よ、大志を抱け”」
「それそれ。まぁ、オレも色々と考えることあるんだよ。武者修行に出て、今よりももっとイイ男になろうかと」
サッカーが大好きで人懐っこくて、容姿にも恵まれている尽らしいと、玉緒は思った。さり気なく、高校サッカーの古豪と呼ばれる学校を選ぶ辺りもソツがない。何をしても嫌みのない尽ならきっと、どこに行っても大勢の友人に囲まれるのだろうとも思う。
「高等部に行ったら、どうする? 部活とか」
尽の言葉に、玉緒は迷わず「帰宅部」と、答えた。
「帰宅部?」
怪訝そうに玉緒の言葉をなぞる尽にかまわず、新生活での予定を告げてみる。
「そう。部活なんかしないよ。放課後は好きなだけ本を読んだり、あと、廃線の駅舎とかの写真を撮りに行きたいんだ」
すると、尽は心底納得したと言わんばかりの表情になった。
「あ、そっか。玉緒は撮り鉄だっけか。体育会系は、何だかんだで休みがつぶれるもんなぁ」
「そういうこと。中学の時は、部活絡みの写真ばかり撮ってばかりで、家に帰ってからはカメラを触る気にもなれなくてさ。だから、純粋な趣味だけで写真を撮りに行くのを、楽しみにしてるんだ。運動部は休日返上で練習することも多かったから、本を読む時間をつくるのに精一杯で、それだって、ちょっとしかなかったし……」
「わかる、わかる」と、尽は玉緒の言葉に何度も頷き、姉に振り回される弟の悲哀についても語る。珠美の同級生でもある尽の姉の方が、ずっとずっと良い人だと思っている玉緒だが、多分、家族にしか見せない部分もあるだろうから、何もかもぶっちゃけてしまえばきっと、珠美と大して変わらないのかも知れない。所謂、“青々と輝く隣の芝生”のようなものなのだろう。
◇◇◇
見知らぬ街で新生活を始める尽にささやかな餞別を渡し、互いに貸し借りしていた本や漫画、ゲームソフトなどを返してから、玉緒は尽と共にウィニングバーガーを後にする。
「じゃぁ、ここで。お互い、せいぜい頑張ろうぜ。お前は帰宅部、うまくやれよ」
「うまくって……そんなんじゃないだろ、帰宅部なんて。誰にだってできるさ」
尽の言葉に、思わず玉緒は苦笑した。
「お前はさ、わかってないんだよ。もしかしたらさ、次は文化系方向からお呼びがかかるかもな」
「文化系……ないな、絶対。そこまで繊細な神経とか感性なんか、ないよ」
「むしろ、図太かったり鈍い方が向いてる部活もあるんじゃね? そうだな……生徒会とかさ。玉緒は委員長も結構やってたしさ、先輩達に目をつけられてる可能性って、ゼロじゃないだろ。で、いつもみたく、断り切れないでクラス委員とか委員長とかやってるうちに、そのままズルズルと……」
「やめてくれよ、縁起でもない」
戯けながらも目が笑っていない尽に、思わず力んで反論してしまう玉緒である。
「お前……マジで、やなのな、委員長とか」
「向いてないんだ、根本的に」
「そんなこと、ないだろ? 俺がこっち来てから、クラス委員とか委員長じゃなかったこと、ないじゃんよ」
長年の付き合いという気安さから、遠慮も躊躇もなく溜息を吐き、玉緒は続けた。
「それは、単に断れなかっただけ。押し切られやすいんだよな、どういう訳か、昔から。きっと、姉さんのせいだ。姉さんの妙に説得力のある屁理屈に丸め込まれてるうちに、こんな風になったんだ」
「なら、高校3年間のテーマは“断る力”だな。タマねぇに負けないパワーをGetだぜ!! ラッキーアイテムはドクターイエロー、パワーフードは駅弁!」
「何だよ、それ」
「ラッキーカラーは緑で、ラッキーパーソンは……後輩の女子。で、最初の1年は修行期間で、2年目から紺野玉緒の青春は花開く……どう? こういうの」
スラスラと、立て板に水を絵に描いたような予言は信憑性の欠片もない。けれど、悪友でもある尽の言葉は玉緒に、明るい高校生活を想像させるに充分だ。そして、何ら根拠もなく明るい高校生活を夢想するのであった。
『黒子のバスケ』というアニメを始めて見た時、
緑色の頭の眼鏡君を見て、うわ、ひねくれてグレた玉緒っちやーん(笑)!!
と、思いまして、お姉ちゃん命令でバスケ部に放り込まれたらグレてくれないかと。
まぁ、そんな不純でふざけた動機で書いてみたけど、
玉緒はそういうタイプではないだろうなぁと……。案外、負けず嫌いなので勝ち負けのハッキリする分野は向いてそうやねんけどね。
参謀とかデータとかで活躍しそうではある。
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