青い春のガンパレード・マーチ その1


 速水厚志はハンガー2階で士魂号の調整を行っていた。彼と彼のパートナーの芝村舞が駆る複座型士魂号の調子は連日の出撃にもかかわらず、Sランクをキープし続けている。正式に戦車兵となったばかりの頃からは比べものにならないほど、最近の速水の戦闘能力は向上しており、出撃の度にその力は磨かれていくようにも見え、常に軍上層部の評価に足る戦果を収めてもいた。最近では彼の所属する5121小隊のエースパイロットとしてだけではなく、郷土の英雄として多くの人々に知られる存在にさえなっているのだが、速水本人には英雄だという自覚はない。彼は彼の仲間を守るために戦っているだけであり、気が遠くなるほど続いている幻獣との戦いを一刻も早く終わらせるために全力を尽くしているに過ぎないのだ。実際、彼にとっては顔も知らない人々からの評価や賞賛の言葉よりも、小隊の皆が贈ってくれた手づくり勲章のほうが遙かに価値がある。何よりも大切な仲間の存在こそが、速水厚志という人間を動かしているのだ。

 故に速水厚志は仲間のためにであれば、全てを投げ出す覚悟を持っている。

◇◇◇

 3号機のテストを終えた速水は、その隣の2号機に目を遣った。

 戦車兵候補生として共に学び、その後も共に戦場に臨んでいる滝川陽平はここ数日気もそぞろといった様子で、ハンガー内でのパイロットの仕事にも今ひとつ力が入ってないように見える。速水はお節介を承知で2号機をチェックし、滝川に知られないような形で2号機の調整を始めた。そして一通りの作業が終わるのを見計らうように声がかけられた。

「己の訓練を後回しにしてまで滝川機の調整とは、人がいいにもほどがある」

「仕方ありませんわ。今の滝川君の様子では……」

芝村の不遜な言葉を宥めるように、1号機パイロットの壬生屋未央が言った。

「二人とも、気がついていたんだ。滝川のこと」

「同じ戦車兵の様子を観察するのは当然だ。それよりも厚志、貴様、滝川をどうにかしろ」

腕組みをして、仁王立ちになった芝村の目が鋭い光を帯びる。その隣で壬生屋が気遣わしげな表情を浮かべた。

「今の不安定な精神状態が続けば、この先の厳しい戦いを生き残ることさえ難しくなるでしょう。私、そんなのは嫌です……。先日、彼の力になれたらと思い、声をかけてみたのです。けれど私ではお役に立てなかったようで……」

そう言うと壬生屋はやり切れないとばかりに目を伏せた。

「私とて手をこまねいて眺めていたわけではないぞ。注意はした。だが奴は耳を貸そうともせんのだ」

悲しげに訴えかけてくる壬生屋の瞳に見つめられ、挑むかのように鋭い芝村の眼光に射抜かれた速水はぼややんな微笑を浮かべて頷いた。

「うん、わかったよ。僕も頑張らなくちゃね。二人がとっても心配していたって、滝川にはちゃんと伝えておくから」

そう速水は答えると、鉄製の階段を軽快な足取りで駆け下りていった。

◇◇◇

 滝川の姿をあちこち探し回った速水は、女子校の玄関とグラウンドをつなぐコンクリート製の階段の脇に座り込んでいる親友の姿を見つけると、手を振りながら駆け寄った。速水に気づいた滝川が笑顔を浮かべたものの、普段の絵に描いたような天真爛漫さは感じられない。速水は滝川の隣に腰を下ろし、コーラを手渡す。いつもよりも元気のない滝川だったが、それでも彼は嬉しそうにコーラ受け取る。

「あのさ、滝川。どうかしたの? 最近、変だよ。何か悩みがあるんだったら、僕に話してよ。そりゃ、僕はあんまり頼りにならないかもしれないけど、一緒に悩んだり考えたりはできると思うんだ。多分、そのほうが一人で考え込んでるよりいいと思うんだけど……」

首を傾げ、覗き込むような仕草で速水が言った。滝川は速水の視線から逃れるように遠くを眺め

「俺だって……できりゃ、とっくにそうしてるさ、ハヤミスキー」

と、呟く。

「そんな……親友じゃなかったの、僕たち。いつか滝川がそう言ったのに……僕は滝川を親友だと思ってるから、どんなことでも話してきたつもりだったけど……滝川はそうじゃなかったんだ」

 泣き落としに極端に弱い滝川の性格を充分に承知している速水は、視線を足下に落として大きな溜息をついた。第三者から見れば下手な田舎芝居にしか感じられないわざとらしい溜息も、単純明快な滝川には効果覿面だったようで、滝川は速水のほうへ勢いよく向き直ったかと思うと強い力でその両肩を揺さぶった。

「ハヤミスキー、俺達親友だよな? 本当に、本当に、親友だよな?」

「当たり前じゃないか、タキガワスキー。僕たちは戦車兵候補の時から一緒で、士魂号に乗れば同じ戦場で戦う同志なんだよ?」

「だよな? 俺達は同じ時、同じ場所で命をかけて戦う戦友だ」

「そうだよ、滝川。僕の悩みは君の悩み、そして君の問題は僕の問題でもあるんだよ? ね? だから聞かせてよ。力になりたいんだ」

 速水の真剣な眼差しが滝川の心動かした。彼は力強く頷き、

「俺は嬉しいぜ、ハヤミスキー。やっぱ、持つべきものは親友だ!!」

と宣言すると、勢いに任せて渾身の力で速水を抱きしめる。そして付き合いの良い速水もまた、滝川の背中を強く抱いた。

 その様子を隠れ見ていた芝村が眉を顰め、彼女の隣にいた壬生屋が首までを朱に染めて『……不潔です……!!』と呟いたことも知らず、二人のパイロットは互いの友情に酔いしれていたのだった。

◇◇◇

 固い友情を確かめ合った速水と滝川は、人目を憚るように倉庫へ向かった。

 倉庫の引き戸を閉めた上に、ご丁寧にモップでつっかえ棒までした滝川が室内の隅に積み上げてある土嚢用の麻製袋の上に腰を下ろす。速水もその隣に座り、滝川が口を開くのを待った。一つ深呼吸をしてから滝川が

「俺はお前に謝らなくちゃならないことがあるんだ」

と、溜め息と共に呟く。

「いつか……一緒にHな雰囲気を見ようって約束してたろ? けど……俺……」

「滝川、もしかして……壬生屋さんと……」

「バカ!! 何で壬生屋なんだよ。どうせなら原さんとか言えよ」

「原さんみたいに大人の人が、僕らを相手にするわけないじゃないか。それに滝川、壬生屋さんとよく話してるし、最近仲いいし……」

「あれは、私生活とか仕事だとかで注意しながら、一方的に絡んできやがってんだよ」

滝川はさも憎々しげに言ったが、頬を染めて一方的に男子生徒に絡む女学生がどこにいるんだかなどと速水は思う。しかし壬生屋について語る滝川が心底嫌そうな表情を浮かべているところを見ると、この件については壬生屋の独り相撲にすぎないらしいと速水は判断した。

「じゃぁさ、滝川は誰とHな雰囲気になっちゃったの?」

ぼややんとした笑顔で速水にうと、滝川は首まで朱に染めながら

「若宮さん」

と答えた。

「へぇ……えっ、何、それ。だって若宮さんって……お……男の人だよ」

「不可抗力だったんだ!! 俺だってあんなことになるなら、最初からわかってたら、いいや、ほんのちょびっとでも予測できてたら俺だって……!!」

すでに滝川は半泣きになっている。

 麻袋の上で膝を抱えている滝川が悲痛な声で言った。

「僕、委員長に言ってくるよ。いくら若宮さんが僕たちの先任だからって、無理矢理そんなのって、ひどいよ」

「バカ、違うよ!! 俺が悩んでんのは、そんなんじゃないんだ。それに若宮さんは無理矢理何かしようなんて、ひどい人なんかじゃない!!」

怒りにまかせて立ち上がろうとした速水の腕をつかみ、滝川が速水を無理矢理座らせた。

 確かに豪放磊落を絵に描いたような若宮は万事に対して大雑把に見えるのだが、あれで並の人間よりも神経の細やかなところがあり、4人の戦車兵たちの訓練が不足していると見るやしごきに限りなく近い厳しいトレーニングを指揮したことがあった。その時彼らは先任で年長の若宮を多少恨んだりもしたが、訓練の後に食糧や飲み物を配ってくれたり、各人の身体的特性や性格に応じたトレーニング方法を考案するなどの気配りも見せてくれた。また若宮本人が常に厳しいトレーニングを自身に課していることを目の当たりにしてからは、下士官としての若宮に一目を置くようになっている。そしてスカウトとして共に戦場を駆け抜ける姿は――士魂号のものよりも遙かに火力的に劣るウォードレスで幻獣を確実に仕留めていく様は正に圧巻という他なく、生命を守る装甲などなくとも人類の天敵と互角に戦いさえする若宮に、そしてもう一人のスカウト・来須銀河に対して畏敬の念さえ抱くようになっていた。だから速水は滝川の言葉を直ちに受け入れ、謝罪の言葉を口にすることもできたのだが――――。

 しかし、それでは問題はただの少しもしない。ここ数日の滝川の常ならぬ状態の一因が若宮であることに間違いはなく、けれど当事者の滝川は若宮に責任はないと言いつのる。速水は親友の目を見つめ、努めて穏やかな口調で問う。

「じゃ、どうして滝川はそんなに落ち込んでるの? 嫌だったからじゃないの? 若宮さんにひどいことされたから元気がなくなったんじゃないの?」

普段のぼんやりとした様子からは考えられない速水の憤慨ぶりを目の当たりにし、滝川は戦士として尊敬している若宮の名誉を守るために、また自分のためにスキュラと戦う時よりも激しい怒りをまとう親友の気持ちを鎮めるために、滝川は誰にも話したくなかった夕暮れ迫るシャワー室の出来事を話すことに決めた。

「違うんだ」

滝川が速水の両肩に手を置き、静かに言った。

「あれは……あれは俺の方が悪いんだよ、速水」


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