青 空


 グランドの脇の植え込みの間に寝転がり、滝川は流れる雲をただ眺めていた。初夏を感じさせる風が時折頬を撫でていく。幻獣さえ出現しなければ世界は平和そのもので、空は脳天気なほどに青い。

 

 

 この日、午前中一杯は速水厚志と芝村舞のアルガナ勲章の授与式でつぶされた。昨夜の出撃により二人の累計追撃数が150を超え、その功績が讃えられての受勲だった。

 戦車兵候補生として共に学んだ親友の活躍は、滝川にとっても喜ぶべきものだと思う。実際に二人が操る複座型士魂号は5121小隊の戦力の要であり、滝川も、もう一人の戦車兵・壬生屋未央も幾度となく窮地を救われた。それは感謝している。国家の英雄として大勢の人に知られる存在になってからも毛ほども傲ったところを見せない速水に抱く友情にも変わりはない。けれど昨夜の戦闘の中で滝川が速水に対して言いようのない恐怖を感じたのも、また事実だった。

 幻獣を殺すほどに速水が人とは異なる何かになっていくような気がする。考えすぎだ、思い過ごしだと自分に言い聞かせたこともあった。だが滝川は幻獣との戦いの最中に振り向いた速水の紅潮した頬に、背筋が凍るような微笑みが張りついているのを確かに見たのだ。ほんの一瞬の、瞬きよりも短いその瞬間に滝川は悟った。戦闘中にもかかわらず子犬を庇い、小隊の仲間のためにクッキーだのを差し入れ、はにかむように笑う親友の中には易々と幻獣を屠り去る何かがいて、それはきっと幻獣をいとも簡単に殺す時のようにあらゆる全てを亡き者にするだろう。そして滝川自身がその標的にならないという保証はどこにもないのだ。

 近くにいると恐ろしいと、自分とは住む世界が違うのだと告げた時、速水は何も言わずにただ寂しげに笑っていた。それは口を吐いて出る、あまりにも一方的すぎる自分勝手な言いぐさだと滝川も自覚していた。平生から穏和な速水であっても、謂われのない言いがかりには腹を立てる筈だと思っていたのだ。しかし速水は拳を振り上げるどころか抗議の声を上げようとさえせずに立ち去った。後悔と罪悪感に苛まれながら滝川は、黙って速水の背中を見送ることしかできない自分自身に苛立ちを覚えた。そして人の好い戦友が間違いを正すきっかけを与えてくれないことに失望した。

 「黙って行かなくたっていいのによ。俺のこと殴るとか、何か言い返すとかしてくれりゃ……そうすりゃ俺だって……」

 呟きながら滝川は、身勝手で他力本願な自分に嫌悪感を抱く。いつも誰かに何かを望んでばかりいて、それが叶えられなければ泣いてみて、それでもどうにでもならないとわかってようやく諦め立ち上がる。多分、物心ついてからこっちは、その繰り返しだったように思う。ただ諦めるためにはきっかけが必要だったから、速水のように何も返そうとしない人間が相手では途方に暮れるほかなかった。

 いかにも軍人らしい規則正しい足音に滝川は上体を起こす。

「なんだ、なんだ、サボリか」

屈託のない調子で笑いながら、滝川の傍らに若宮康光が腰を下ろした。

「どうした? 珍しく元気がないな」

「若宮さん……」

「速水に何か言ってやったか? 栄光のアルガナ勲章。あれを取るヤツはそうそうおらんぞ。速水は名実共に救国の英雄だ。仲間として鼻が高いだろう?」

至極もっともな若宮の言葉に滝川は迷わず同意した――つもりだった。しかし聞こえた自分の声はぎこちなく、上手く返した筈の作り笑いも空々しいものだったことが若宮の表情から知れる。滝川は抱え込んだ膝に顔を伏せ、若宮の視線から逃れる。

「何かあったか?」

 静かな声で若宮が問う。

「言ってみろよ、滝川」

 訓練中の怒声や昼食時の豪快な笑い声、原素子整備班副班長に声をかけられた時のしまりのない声とは明らかに異なる落ち着いた声音に、滝川は不思議な力を感じた。速水にぶつけてしまった弱さや狡さ、甘え、苛立ち、身勝手さ、我が儘。そして滝川が自分自身に抱いた強い嫌悪感さえも受け止めてくれる、そんな気持ちにさせる何かが若宮の言葉にはあった。

「まぁ、アレだ。俺は頭より身体を使うほうが性に合ってるからな、聞かせてもらったところで気の利いたことは何一つ言えんかもしれん。けどな、滝川。誰かに言ってみるだけで気が楽になることは、案外多いもんだ」

そう言いながら若宮は滝川の肩に軽く手を置いた。

 触れ合ったところから流れてくる若宮の温もりが心地よい。鼻の奥が微かに痛んだが、いつものように耐えきれないほどに辛くはない。

 きっと今自分はひどい顔をしているだろうと滝川は思った。そんな自分を若宮はいつもの調子で笑い飛ばしてくれるだろうか。速水に対する子供じみた感情を諫めてほしい。そんな考えしか持てない自分の幼さを叱ってもらえるだろうかと逡巡しながら滝川は、顔を伏せたまま言った。

「俺……速水に酷いこと言ったんです。けど速水は全然怒んなくて、何も言わないで行っちゃって……」

「何を言ったのかは知らんが、速水が怒ったりしなかったのなら、たいしたことはないんだろう」

「恐いって……速水が恐いって……幻獣を殺して幻獣よりおっかないヤツになってるって……俺達とは住む世界が違うんだって……きっと笑って俺を殺せるんだって……」

「そんなことを言ったのか」

こみ上げる熱いものをこらえながら、滝川は無言で頷く。

「そうだな。確かに俺も速水といるのが恐ろしいと思うことがあるぞ」

「若宮さんも?」

「速水はこの先どんどん強くなるだろうし、ことによったら絢爛舞踏なんていう伝説になっちまうかもしれん。そうなったら俺達も……恐らくその伝説とやらに巻き込まれずにはおれんだろうな。そうなったら誰一人見たことも聞いたこともない何かに立ち向かわねばならんし、得体の知れんものを迎え撃つとなれば、誰だって恐くもなる。いや、むしろそれが普通だろう。
 俺には未だ正体さえ掴めない敵と戦うこの戦争や、速水自身を恐ろしいとは思えんよ、滝川。実際に敵の正体を知らなくても生き抜く方法はいくらでもあるからな。身体を鍛えて、敵の気勢を殺ぐ戦術を頭と身体に叩き込んでおけば、運に見放されない限り大丈夫だ。速水のことも同じだと、俺は思う。アイツが仲間だということを忘れさえしなければ恐れることはない」

「でも……」

「恐れるべきは速水ではなく、どんどん変わる速水に対する猜疑心だとか恐怖心だ。そいつは個人だけでなく小隊の動き全体を鈍らせる。
 いいか、滝川。戦いは一人でするもんじゃぁない。司令の指揮の下、一人一人がそれぞれの責任を確実に果たそうとする気概が士気を高め、戦況を決める。露払いの俺達スカウトを、真っ先に敵の中に切り込んでいく壬生屋を、ミサイルで幻獣を蹴散らす速水と芝村を死なせないために、お前は後方からバズーカで支援する。その連携が上手くいっているからこそ、寄せ集め部隊の俺達にも結果が出せるってわけだ。実際、俺はお前が後ろに控えているお陰で、後ろを心配せずに前進することができる」

「俺……俺は全然そんなつもりは……」

「自覚はなくとも、そうだ。お前は速水を恐いという。でも本当は速水が好きなんだよ。お前は誰よりも速水を頼りにしていて、速水もお前を頼りにしているように俺には見える」

「嘘だ……そんなこと、あるもんか。速水は……アイツは強いよ。だから俺なんかいらない」

 肩に置かれていた若宮の手が、滝川の髪をかき回す。

「滝川、お前はホントに速水が好きなんだな。速水が気に入っているから気になるし気に病みもする。ひどいことを言ったのも、言ってしまったことを悔やんでいるのも、速水が好きだからなんだよ。恐いのは速水は遠くなっちまうことであって速水本人じゃない」

「そんなこと……!!」

滝川が若宮の手を振り払った。

「そんなことない! 俺は……俺は……今でも速水が恐いよ。アイツにいつ寝首を掻かれるかわかんねぇって思ってるし、今だって……今だってヤバイこと……言って……」

こみ上げる嗚咽に押さえ込まれた言葉が意味を失っていく。拭う暇もないほどに溢れ出した涙が滝川の膝を濡らす。

「速水が恐いわけじゃない。お前はアイツに裏切られるかもしれないとか、見限られたかもしれないとか、そう考えちまったことが恐いんだよ。そんな風に考えたことが速水に対する裏切りだとか、そんなもんに思えて、つい色々考えすぎただけで、本当は速水が好きでしょうがないんだ」

 そう言いながら若宮が笑う。屈託のない若宮の声は、まるでこれまでの言葉の全てが真実であると滝川に信じさせるのに充分な力を持っていた。

 赤茶けた髪を梳くのをやめた手は滝川の頭をただ撫でている。大きな手が伝えてくる若宮のおおらかさや懐の広さに滝川は、言いようのない恐怖心に踊らされるように親友を傷つけた己の幼さを見せつけられたと同時に、人に対して極端に臆病になってしまう弱さを受け止めてもらったような気がした。

「俺……速水に謝らなきゃ……な」

鼻水をすすり上げながら滝川が呟くと、

「ああ、それがいい」

と言いながら、若宮が滝川の頭を軽く叩いた。

 滝川は顔を上げ、涙と鼻水でグチャグチャの顔を制服の袖で拭う。ふと気づけば、若宮は滝川からさり気なく視線を逸らしている。その心遣いが滝川の心に染みた。

「滝川、今から俺につき合わないか?」

「……いいですけど、その前に俺、速水に謝らなくちゃ……」

「先に売店につき合えよ。焼きそばパンを奢ってやろう。好きだろ、お前」

「そりゃ……好きだけど……どうしてですか?」

「速水の分も買ってやるからな。お前、焼きそばパンを持って速水を訓練に誘ってこい。俺が鍛えてやるって言うんだぞ」

若宮はそう言うと勢いよく立ち上がり、滝川の返事を待たずに駆け足で校舎に向かう。そして滝川も若宮を追い、グランドを駆けていく。

 

 

 相変わらず空は青い。走りながら後ろを振り返る若宮の表情が意外なほどに空に映えている。滝川は少し驚き、それから普段の調子でニヤリと笑ってみた。すると若宮も唇の片端を上げて笑った。


我ながら若宮の扱いはいつもあんまりだと思ってるので、
カッコイイ若宮を目指してみました。
善行指令の下士官を務める彼はきっと、
小隊内の人間関係にも気を配ってるはずという設定で……。

あと滝川は色んな意味で甘えたがりですが、
同じくらい人に接する時には臆病になる気がします。


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