愛の在処 1


 そこに愛はないのか――――。

 3体の士魂号が次々に幻獣を屠る様をレーダー画面で見ていた瀬戸口は、微かな溜め息をついた。

「壬生屋機、敵の攻撃にて損傷。神経接続低下なの!!」

瀬戸口の傍らの東原ののみの叫びに似た声に瀬戸口は、点滅する光を頼りに壬生屋の退避路を確保する。

「壬生屋、10時の方向に走れ! 遮蔽物がある。そこで一旦体勢を整えろ!!」

壬生屋機からの返信はなかった。しかし壬生屋の存在を示す光は瀬戸口の指示した方向へと移動を開始し、その動きと連動するように来須のリテルゴルロケットの跳躍を示す光点が光る。

◇◇◇

 指揮車の中にいる限り、級友達の繰り広げる殺戮の現場を見なくても済む。いくらか離れた場所で続いている死闘の気配を感じながらも、流される血を目の当たりにすることはない。不意に友軍機の光点がレーダーから消え失せたとしても、生ある者が屍となる瞬間に知らぬ振りを決め込むことくらいはできる。絶望の中から未だ抜け切れぬ精神は、人や人のなれの果てが殺し合う様に耐えられない。だから新しい肉体を得た時に生き方を変えた。深く人と交わることをせず、長く誰かの傍にあることもなく、熱くもなく、冷たくもなく、激しくもなく、自ら堕落を選ぼうともせず、ただ漫然と時をやり過ごすだけの日々。

 そこに愛はあるのかと問われれば、即座にないと答えたことだろう。

 そこに愛はない――少なくとも瀬戸口隆之が求め続けた愛はなかった。

◇◇◇

 鼓膜を突き破るほどに暴力的なノイズに、瀬戸口はヘッドホンをむしり取る。次いでコントロールパネルに突っ伏している東原に声をかけた。ノイズのダメージのせいか東原はやや混乱しているようで、瀬戸口を見つめる瞳の焦点は定まってはいない。

「大丈夫か、ののみ。ヘッドホンをこっちに……いいから、耳鳴りが収まるまでそうしていろ。いいな」

「何事です」

善行が眼鏡をかけ直した。

「今、確認中で……敵の援軍が現れました。数20。詳細は確認中」

東原の身体を支えながら瀬戸口が応える。善行は歯を噛み鳴らした。

「友軍機がやられました!!」

そう告げながら、瀬戸口は各装置の性能を最大限に引き出すために忙しなく手を動かしている。

「スキュラ3、ミノタウルス5、ゴルゴーン3、ゴブリンリーダー1、ナーガ8。大丈夫だ、勝てるぞ」

瀬戸口は特定した幻獣の位置を次々に戦場を駆ける仲間に送り、次いで退路が確保できる方向を指示する。

 善行が冷静に言った。

「攻勢に出ます。陣形再編用意」

「敵の陣形を崩せ。突出しすぎだ、滝川。前方にスキュラとミノタウルスがいるぞ」

「サンキュ、師匠。最後のバズーカで大物いくぜ!! お前ら、避けろよ!!」

「壬生屋、先に参ります」

「厚志、敵の中央へ移動しろ。ミサイルの射出準備に入る」

「了解。幻獣が集中してる3時の方向に跳ぶから舌噛まないでね、舞」

「雑魚は俺達に任せろ!! 俺の力をみせてやるぜ!!」

 短い言葉の遣り取りには参加していない来須が複座型士魂号に併走する。若宮は壬生屋機に付き従い、2機の士魂号の動きを隠れ蓑に滝川がバズーカとアサルトライフルによる遠距離射撃を仕掛けた。

「壬生屋機、ミノタウルスを撃破」

「滝川機、ゴルゴーンを撃破」

「速水機、ミサイル射出予定地点に到達。援護しろ」

「……任せろ」

「壬生屋機、被弾。反応速度に損傷」

「……倍にして、返してあげますからね」

 幻獣は撤退する素振りも見せず、この事態を予測していた善行が予め要請していた友軍の支援養成への回答は、まだない。

「こちら航空部隊、すまないが制空権をとるのが精一杯だ。健闘を祈る」

ノイズまみれの友軍からの連絡が、彼らの孤立を決定的なものとした。善行の微かな迷いを背中に感じた瀬戸口が絶望する。

「たかちゃん、だいじょうぶ?」

東原の小さな手が瀬戸口の手に重ねられた。

「大丈夫だ。みんな、頑張ってるから大丈夫。ののみは俺が守るから、心配しなくていいんだよ」

「ちがうのよ、たかちゃん。そうじゃないのよ」

東原が悲しげに瀬戸口を見上げる。その時――

『その心は闇を払う銀の剣 絶望と悲しみの海から生まれでて
戦友達の作った血の池で 涙で編んだ鎖を引き
悲しみで鍛えられた軍刀を振るう
どこかのだれかの未来のために 地に希望を 天に夢を取り戻そう
われらは そう 戦うために生まれてきた』
スピーカーから速水の歌声が流れてきた。
『それは子供のころに聞いた話 誰もが笑うおとぎ話
でも私は笑わない 私は信じられる
あなたの横顔を見ているから
はるかなる未来への階段を駆け上がる
あなたの瞳を知っている』

壬生屋と舞が速水に応え、次いで滝川、若宮、来須の歌声が重なる。

『今なら私は信じられる あなたの作る未来が見える』

そして瀬戸口も歌わずにいられなかった。

『あなたの差し出す手を取って 私も一緒に駆けあがろう』

無垢な歌声を持つ東原の、瀬戸口の手に添えられた幼い手の先に力が込められる。

『幾千万の私とあなたで あの運命に打ち勝とう
どこかのだれかの未来のために マーチを歌おう
そうよ未来はいつだって このマーチとともにある
ガンパレード・マーチ ガンパレード・マーチ…』

 指揮車に同乗している者も、後方の補給車で待機している整備士達も、いつしか歌声を重ねている。高揚した声で善行がマイクに向かう。

「オール!  ハンデッドガンパレード! オール!  ハンデッドガンパレード! 全軍突撃! たとえ我らが全滅しようともこの戦争、最後の最後に男と女が一人づつ生き残れば我々の勝利だ! 全軍突撃! どこかの誰かの未来のために!」

「どこかの誰かの未来のために!!」

 戦場に居合わせた者の意志が統一されていく様が、マイクを通じて手に取るように感じられる。そして瀬戸口の意識も戦場の、一種特異とも言える空気に飲み込まれてゆく。

◇◇◇

あそこに愛はあったのか――――。

 結果的には人類側の大勝で終わった戦闘から小隊へ戻った瀬戸口は、指揮車の点検をしながら愚にもつかない堂々巡りの思考に意識を投じていた。すぐ近くでは東原がブータと遊んでいる。

「あれ、瀬戸口さん。今日は真面目なんだね」

速水の声に振り向くと、滝川と若宮、来須の姿もあった。

「今から銭湯に行くんッスよ。師匠もどうです?」

「たまには裸の付き合いもいいぞぉ。風呂も広いし、いうことなしだ」

滝川がよれよれのタオルを示し、若宮が豪快に笑う。極端に口数が少ない来須は微かに微笑み、速水は満面に幸福そうな笑みを浮かべている。

「この俺が真面目に仕事をしてるっていうのに、お前さん達は随分といいご身分じゃないか」

「機体の調整をするつもりだったんだけど、故障箇所の修理が先だって、原さん達に追い出されちゃったんだ」

「追い出されたはひどいぞ、速水。原さんは戦車兵の安全を思ってだな……」

「なるほどな。帰還したまま風呂に入るどころか着替えもしないでその辺で夜明かししたもんだから、あんまり汚くて匂うとでも言われて追い出されたのか」

瀬戸口がからかうように言うと

「さすが、師匠っすね。臭いって、もんのすごく嫌な顔されちゃったんですよ」

「だろうな。ブータも逃げ出すくらい、ひどい有様だ」

「ねこさん、いっちゃったのよ」

「こいつらの有様があんまりだから、ブータの鼻もひん曲がっちまったのさ」

駆け寄ってきた東原を抱き上げながら瀬戸口が笑うと、汚物扱いされた面々が不満げに抗議する。

「さっさと風呂屋に行って来い。その汚い手でののみに触んなよ」

「ひどいなぁ、瀬戸口さんは」

速水が笑う。

「俺も速水もヒーロー候補のパイロットなんすよ」

滝川がふてくされた。その背中を若宮が軽く叩く。

「風呂屋で男を磨くぞ。そうすれば、文句もあるまい」

来須が帽子を被り直した。

「ねぇ、たかちゃん。おふろやさんて、なに?」

「あのね、大きなお風呂がある所だよ。ののみちゃんなら、湯船で泳げるよ」

ぼややんとした笑顔を浮かべた速水の言葉に、東原が瞳を輝かせた。

「ほんと?」

「ホント、ホント。この間も俺達、泳いだもんな? 速水」

「あれは、滝川が僕の足を引っ張って沈めたんじゃないか」

「けど、その後、潜水して俺の両足引っ張っただろ。俺は片足だけだったのに」

「よし! なら今日は、俺がお前達を湯船に沈めてやろう」

豪快に若宮が笑うと、速水と滝川は声を揃えて

「遠慮しますっ!!」

と、引きつった笑顔で後ずさり、その肩を若宮がしっかと掴んで遠慮はいらないと豪快に笑う。

 大勝に終わったとは言え、明け方近くまで幻獣と戦っていたとは思えない彼らの屈託のない姿を眺めながら、瀬戸口は既に癖になってしまっている自問を繰り返す。

そこに、愛はあったのか――――。

「ねぇ、たかちゃん。ののみもいきたいのよ」

東原が瀬戸口の袖を引く。

「ああ、いいね。後で一緒に行こうか」

速水が笑う。

「東原なら子供料金で大丈夫だよな」

「よし、俺が風呂屋まで肩車してやろう」

喜んで若宮に駆け寄ろうとした東原を引き止めて瀬戸口が言った。

「だめだめ。ののみは女の子なんだから、こんな薄汚い野郎どもと一緒にお風呂に入っちゃ、だ〜め」

「薄汚いは、ひどいですよ。瀬戸口さん」

「そうだ、あんまりだぞ」

「……」

「文句を言う前に、手と顔くらいは洗うんだな」

「ねぇねぇ、たかちゃん。でもののみは、おっきなおふろにはいりたいのよ」

「大きなお風呂はいいけど、こいつらと一緒は駄目なんだ。だって、ののみはレディなんだからさ。俺が大きなお風呂に入れるようにしてやるから、ちょっとだけ待っててくれよ」

頬を膨らませたののみの頭を撫でる瀬戸口が東原に肩車をしてやった。

「そんなわけだから、お前さん達は先に行っててくれ。俺とののみは後から行く」

「だったら、今行ったって同じじゃないか」

「だ〜め」

瀬戸口はにべもなくそう答えるとハンガー裏を後にして、若宮と来須、速水と滝川の4人は銭湯に向かうべく学校を後にした。


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