銀の針と青い空-2- 鍛え上げた肉体に惜しげもなく晒している――正確には防具以外の身につけられるもの全てを取り上げられたビクトールは完璧に開き直っていた。切れてしまったグレミオの堪忍袋の緒を結び直せるのは解放軍のリーダーであり、グレミオが長年母親代わりに身の回りの世話を焼いてきたティルぐらいのもので、名家の家の育ちらしく世間知らずのティルが物珍しくてついからかってしまうビクトールはグレミオから目をつけられており、それ故、何を言ったところで聞き入れてはもらえないことは充分すぎるほどに承知している。おまけに今回の一件も、元はといえばものぐさな己の性格が引き起こしたものだから、多少手荒な真似をされたとしても文句は言えない。つまり、ビクトールは一糸纏わぬ、情けないことこの上ない状況を甘んじて受け入れるほかなかったのだった。
「ちったぁ、加減ってもんを覚えてもらいてぇもんだ」
「それができるなら、私だって苦労はしませんよ」
ビクトールが呟いた時、戻ってきたグレミオが、苦笑まじりに答える。
「着替えを持ってきました」
普段着ているものと似ているのを選んでみたのだがと言いながら、グレミオはきちんとたたまれた一揃いの衣服を手渡す。
「サイズが合わないところは直しますから、言ってください」
グレミオは掌に乗るほどの箱を示すと、様々なものが乱雑に積み重ねられたテーブルの上を片づけ始めた。明らかに不要品と思われるものを器用に選り分けてからゴミ袋に放り込み、要不要の判断がつきかねるものを大まかに分類してから、テーブルの片端に寄せる。それだけで見違えるように広くなったように感じるテーブルに、グレミオは先刻の小箱から針と糸を取り出した。
「マメだな」
「あなたにそう言われても、ちっとも嬉しくないですよ」
「人がせっかく褒めてやったんだ。素直に喜べよ」
シャツの袖に腕を通しながら笑うビクトールに釣られるように、ビクトールも薄い苦笑を浮かべる。
「肩の辺りが、ちとキツイな」
ビクトールの言葉にグレミオは立ち上がり、ビクトールが示す部分に指を走らせた。
「これくらいなら、縫い代をギリギリまで出せば大丈夫ですね」
グレミオはビクトールのシャツのボタンを全て留めると、
「おいおい、俺は上まできっちりボタンを留めたりしねぇぞ」
と、文句を言う。
「わかってます。今だけですから、少しくらい我慢してください」
まるで子供を諭すようなグレミオの口振りに、思わずビクトールは苦笑した。
「ズボンの裾も上げましょう。腰回りはキツイですか」
「いや、ちょうどいい」
「裾の長さ、どれくらいにします?」
「任せる。いつだって適当だ。靴の中に入れちまうんだ。適当でいいさ」
「腿のところ、少し幅出ししたほうがいいですね。そのほうが、動きやすいでしょう」
「ああ、そうしてくれると有り難い」
ビクトールが答えると、グレミオは穏やかな声音でズボンかシャツのどちらかを渡すように言った。
細かい作業を苦手とするビクトールは、物珍しげにグレミオの指先を眺めている。
掌に隠れる程の鋏で布を縫い合わせている手早く糸をほどいたかと思うと、グレミオは器用に二枚の布を仮留めしていく。仮留め用のピンを打ち終わると一旦布をピンと張る。深緑色の瞳を左右に動かす様子から、グレミオがピンの位置や間隔に不備がないかどうかを確かめていることが知れた。それから裁縫道具の入った箱の中からシャツとできるだけ似た色の糸を選び出し、リズミカルな動きで布を縫い合わせる。迷いのない銀色の針は、この後どうすべきかを充分に心得ている人間だけが持つ確さで動き、一定のリズムで窓から差し込んでいる日差しを反射した。
「そんな風にやるのか」
誰か縫い物をしているのをこんなに間近で見るのは初めてだと、ビクトールが感心したように言う。
「なんか、アレだな。随分とバカ丁寧に縫うもんなんだな」
「普通なら、こんなに念を入れた返し縫いなんてしませんよ」
手を休めることなくグレミオが笑う。
「ビクトールさんはいつも戦闘パーティーに入ってますし、戻ってからも力仕事を手伝うことも多いでしょう。その分だけ頑丈に縫っておいたほうがいいと思って」
「さっきとはうって変わって、随分と親切じゃねぇか」
ビクトールがからかうように言った。
「いつ、私が意地悪をしたって言うんですか」
「さっき。俺を丸裸にひん剥いた時は、おっかなかったぜぇ」
「あれは……元はといえばビクトールさん、あなたが悪いんじゃありませんか。あんなに洗濯物をため込むなんて信じられませんよ。並の神経の人間には絶対に真似できないに決まってます」
「グレミオ……お前さん、俺に恨みでもあるってのか? いつもいつも、す〜ぐ突っかかってくるのは、どんな理由があんだよ」
「あなたが坊ちゃんのためにならないことばかりしでかすからですよ。変なことを教えたり、からかったり……」
「ありゃ、社会勉強っていうんだよ。いくらお坊ちゃん育ちでも、ティルは世間知らずがすぎるぜ。過保護なんだよ、根本的に」
「世間ずれしたあなたと比較対照するのは間違ってるんじゃないですか」
針先に視線を落としたまま、当然のように言うグレミオに呆れ果てたビクトールは、それきり何も言わずにグレミオの手元を眺めることにした。
規則正しい針の動きが小気味いい。離れたままでは意味を為さない布片が、糸で縫い合わされるほどに人の身体を包む形状に変わる様に淡い感動を覚えもする。長い傭兵生活の、度重なる戦闘や小競り合いが続く日常の中では繰り返される破壊に荷担することはあっても、それら以外の、あらゆる意味で建設的な作業を目の当たりにする機会に恵まれてはいない。それだけにグレミオの見せる手際の良さは、ビクトールの知っている言葉では形容しがたい安心感のようなものを与える。
どれくらいの間そうしていたのか、グレミオに名を呼ばれたビクトールが顔を上げると、グレミオは穏やかな微笑みを浮かべて彼を見ていた。
「まるで坊ちゃんみたいですね」
グレミオが笑う。
「私が縫い物をしているのを、坊ちゃんも今のビクトールさんのような顔でよく見ていましたよ。小さな頃から好奇心が強くて、針仕事や洗濯や掃除や、台所仕事を眺めたりするのがお好きだったんです。お手伝いもよくしてくれる、本当によい子なんですよ、坊ちゃんは。外で遊ぶのも大好きで、普通の縫い方の服だとすぐに縫い目がダメになっちゃうもんですから、どの服も肩と脇のところだけは一旦ほどいてしまって、こんな風に縫い直したもんです。同じ年頃の子どもたちと比べると、少し小柄で。でも、10歳を過ぎた頃からどんどん背が伸びて、大きめに作っておいた筈の服がすぐに小さくなって、しょっちゅう裾を延ばしたり身幅を出したりしたものだったんですよ」
「俺のお袋は、な……」
ビクトールが呟いた。
「俺と弟の服を繕う時はいつも、どんな風に遊んだら服を雑巾にできるんだとかって言ってたな。俺達はお袋の目の前に座らされたまま、長い説教を聞かされたもんだ。もし、今も……」
途中で言葉を濁したビクトールを、グレミオが見る。その唇が何か問いたげに動いたが、言葉が紡ぎ出されることはなく、グレミオは静かに針に視線を戻す。
故郷に戻れなくなったあの日から、一度も口にしたことなどなかった母の思い出が今、何故口をついて出たのか。故郷を失った日に立てた誓いを果たせない無力感を苦々しく思いながらも、幸福だった賑やかな日々を振り切れない自身の甘さ、それを誰かに聞かせようとした女々しさや弱さをグレミオには悟られたような気がした。それだけではなく堂々巡りの考えにとらわれていることや、その他の何もかもを、人の心を察することにかけては他に類を見ない青年に見透かされたような気もする。何とも言えない居心地の悪さを覚えたビクトールは、沈黙を破るために話題を変えようとしてみた。
「それにしても、どこから新しい服を調達してきたんだ」
「この間来た、古着を扱う行商人から買い上げたものの中から」
ビクトールの問いかけに、グレミオが答える。
「ここも人が増えましたから、生活用品はいくらあってもいいくらいなんです。武具や戦闘に必要なものを優先して揃えると、着るものまで新しいものを揃えることはできませんから。それでも良い古着を購う商人を一人でも確保すれば、新品に劣らない質の衣類が用意できるんです。身体に合わない服だって、少し手を加えればどうってことないですしね」
グレミオはそう言い、ビクトールの身体に合わせて縫い直したばかりのシャツを掲げて見せる。促されるままに袖を通すと、最初に着てみたのとは比べものにならないほどの着心地よさを感じた。恐れ入りましたと、ビクトールが大袈裟に頭を下げてみせると、グレミオは明日はきっと大雨になるだろうと笑った。
◇◇◇ それから数日経ったある日、ビクトールはティルに請われるまま手合わせの相手をしていた。ティルはどんどん強くなっており、僅かな隙にも容赦なく打ち込んでくるため、軽い気持ちで始めたつもりの訓練が、いつしか本気の打ち合いになることも最近では珍しくはなくなっている。
「あれ、このシャツ……」
訓練を終え、汗を拭っていたビクトールのシャツの裾をティルが引っ張った。
「グレミオのおまじないがついてる」
「まじない?」
「怪我をしませんように、病気をしませんように、元気に大きくなりますようにってお祈りしながら糸玉を作るんだよ。グレミオが子供の時にグレミオのお母さんに教わって、グレミオのお母さんも子供の時に、グレミオのお祖母さんから教えてもらったんだって、いつか教えてくれたんだ」
ティルが自身の服の裾の裏側をビクトールに見せた。
「ほら、僕のと一緒。ビクトールもしょっちゅう怪我をするから、グレミオが心配したんだと思うよ」
「お前と同じガキ扱いってのが、気に入らねぇな。だいたい、こんな子供じみたまじないなんて、何の役にも立ちやしねぇってのによ」
ビクトールがぼやくやいなや、ティルはビクトールの尻を蹴飛ばす。
「グレミオを悪く言うな!!」
軽い身のこなしでビクトールの反撃を避けたティルは笑顔で『アカンベェ』をしたまま、城内に戻っていった。
この上なく忠実な付き人に守られている少年の姿が見えなくなると、ビクトールはティルに言われるまで気づかなかったお守りに目を遣る。
「お人好しめ」
ビクトールはそう言うと、晴れ渡った空を見上げた。
ビクトールの部屋は汚いに決まってるし、
興味のあること以外にはかなり無頓着そうやし、
多少服が解れてても気にしなさそう(笑)。まぁ、アレです。
正直に言えば、一度ビクトールを剥いてみたかっただけです(笑)。HOME 版権二次創作 幻想水滸伝 創作