美男と野獣 2


 バーバラの話はこうだ。

 傭兵砦ができたばかりの頃に、旅の男が行き倒れ同然で傭兵の一人に連れられてやってきた。辺鄙な場所にあるが故、傭兵砦では途中で力尽きようとしている、或いは道を見失った旅人を迎えることは珍しいことではない。そして、その男も傭兵砦の皆の厚意に救われた一人だったのだ。

 薬の調合を生業としている男はバーバラやレオナの細やかな心遣いに触れ、気の好い傭兵達との短いながらも楽しい日々を過ごして健康を取り戻した礼にと、代々に伝えられてきた秘伝の薬を仕込んでいったのだという。

「何でも余所で流行病が流行りだした時、夜寝る前に匙に一杯だけ飲みさえすれば病気も逃げ出しちまう、よく利く薬だって話でね。ただ熟成までに五年はかかるらしくて、塩漬けの肉や野菜と一緒に置いておくといいって言ってさ。そんなで私が預かることにしたんだよ。できるだけ目立たない場所にしまっておいたつもりだったんだけどね……」

「俺達が見つけたのは、偶然なんだ。樽を片づけてたらネズミが飛び出して、どっから来やがったのかと巣穴を探してた時、戸棚の隅っこまで頭を突っ込んじまって、その時に見つけたんだ」

「けどね、ビクトール。樽を開ける前に普通はバーバラに一声かけるのが筋ってぇもんじゃないのかい? バーバラはここの倉庫の世話を一手に引き受けてるんだよ。そのバーバラを差し置いて、それはいくら何でもあんまりじゃないか」

「そりゃ、そうさ。けどよ、俺達にも俺達の都合だとか言い分だとか……」

 『お黙り』と、レオナはビクトールを一喝した。その迫力にビクトールは身体を小さくして、お行儀よく椅子に座っている。

「その……今更だけどよ、すまんことしたな、バーバラ。悪かったよ」

「いや、いいよ。この間の男が置いていったオマケみたいなもんなんだから、端からなかったんだってことにしてりゃぁ問題もないしさ。完全に熟成する前に飲むとひどく腹を下すってのは、私も前に聞いて知ってたんだ。だいたい、あの薬のことも今思い出したようなもんだしね。皆には悪いことをしちまったけどね、あんただけが悪い訳じゃないからさ、ビクトール」

鼻の頭を掻きながら、決まり悪そうに謝罪するビクトールにバーバラが微笑む。バーバラとビクトールが和解した時、付き合いきれないとでも言いたげに煙管をふかしていたレオナが言った。

「で、あんたには何ともないのかい?」

「そう言えば、そうだねぇ。フリックも大慌てでトイレに走ってったのに、ビクトールは何で平気なんだい?」

 ビクトールが酒を飲み損ねることなどあるわけがないと思い込んでいる二人は、突然に生じた疑問を口にした。

「いや……俺もプラム味のブランデーを飲んだし、漬けてあった実が傷んでないかどうか、実際に食ってみて確かめはしたんだがな……」

「フリックは? あの子はどうなんだい?」

「ほんのちょっとだけな、ちょこっとだけ嘗めたくらいで……」

「あんたは?」

「俺は……発見者権限でちょいとばかり多めに……」

 大酒のみで、しかも甘いものにも目がないビクトールなら何だかんだと理由をつけて、ちゃっかりと樽の中身を腹に収めたであろうことは想像に難くない。それ故、レオナとバーバラの二人はごく普通の肉体しか持ち得なかった、そして今、熟成が充分ではなかったために強い毒性を発揮したプラムのブランデー漬けを食べた揚げ句、ひどい目に遭った仲間に心から同情した。

 「多めに食べても悪運の強いヤツというか、ふてぶてしい人間には何事も起きないだなんて、世の中ってのはつくづく不公平だね」

と、レオナが言い、

「まったく、はた迷惑もいい加減にしてもらいたいよ」

と、バーバラがぼやく。そしてビクトールは自分が断罪の対象ではなくなったことを胸の中でこっそりと、けれど思い切り喜んでいた。

◇◇◇

 二日後、傭兵砦で寝起きしている者達の大部分が健康を取り戻していた。ビクトールは知らなかったこととは言え、皆を危ない目に遭わせてしまったことを詫びて回り、余計なことをして傭兵隊を混乱させた罰として課せられた様々な雑用を、自主的にこなしている。

 傭兵隊の隊長・ビクトールの隣には常にフリックがいた。そして副隊長のそば近くにビクトールもいた。普段では見慣れていた筈の風景は、平穏を取り戻そうとしている平和なものであったが、どこかが妙な案配だった。ビクトールとフリックが一緒にいない。それだけでいつも眺めていた風景に多少違和感を覚えはしたが、そしてフリックの怒りを買ったビクトールの身体のあちこちに雷の紋章の一撃を食らってできた傷を見なかったことにすれば、取るに足りないことでしかなかった。

 そして平和な冬の終わりに、この一件は退屈な日々を紛らわせる格好の話題となった。フリックが食べたブランデー漬けのプラムの量は、寝込んだ子ども達よりも少ない程度だったのが、具合が悪くなった者の中ではフリックが最もひどい症状に陥ったのは何故なのか。その理由についての数え切れないほどの憶測が砦内を飛び交う。その中で最も真実に近い現実は『フリックはただ単に、運が悪かっただけだ』という説だったが、毒味と称して一番大きなプラムを食べ、何杯も何杯もブランデーを啜ったビクトールだけがピンピンしてしている事実が、色男ではあるが運にはとことん恵まれないフリックの悲劇性を際立たせ、むさ苦しいにも程があるビクトールの見てくれを前にしては、どんな災難も回れ右をしてどこかへ行ってしまうのだという噂に信憑性を与えた。また、ビクトールと連んでいる限り、フリックに輝く未来は訪れないのだろうという大方の予想にも、これ以上ないという程の確かな裏付けを与えることとなった。


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