建前の向こう側
サイズの異なる紙袋を下げた、小柄な背中を見送りながら山瀬一郎が呟いた。
「休みの日も、仕事ですか……しかも夜から……」
「忙しいのんは結構なことやけど、仕事がらみの晩飯とか酒はなぁ……。あれで気ぃ遣いやから、べーやんは」
そうでなければ社長は務まらないのだろうけれどと、しみじみと山田が言う。
経験はないけれどと前置きしてから、
「接待する立場だと、良い料理も味がしないんじゃないかな」
という山瀬の言葉に、山田は同感だと答え、それから
「俺らだけでも、美味い飯、食いに行きましょか」
と、笑う。
「そうですね。川辺さんの分もなんて言うと、後で文句、言われそうですけどね」
「先に俺らで味見しといたて言うて、二人で支払いしたら、ええんちゃいますか。ちゅーか、多分絶対奢らされるやろけど」
「安月給の公務員らしく、慎ましやかな店がいいですよ、きっと」
「社長の口にはもの足りへんとこやったら、なんぼでも知ってますから」
軽口と笑顔を交わしながら山田と山瀬は、三月にしては冷え込む歩道を行く。
「寒いですねぇ。もう、三月なのに……」
「東大寺のお水取りが終わってから、こんな寒なることは滅多にないんですけどね。今年はホンマに妙な感じですよ」
「何か、歴史的な大事件が起きるかも知れませんね。今は日常に紛れているというか、ニュースで取り上げられてはいるけれど、意識している人はあまりいないような……忠臣蔵の討ち入りも、それから二・二六事件も、例年ならもう雪なんか降らない時期に大雪が降る年だったんだそうですよ」
山瀬の言葉に、山田は感心しながら相槌をする。
「何かて、何ですかね」
「さぁ、それは……何かの正体が分かるのは早くてもきっと、今年の卒業生が百歳になる頃か……もっと先の話のような気がしますけど……」
「それくらいやったら、運が良かったら歴史的瞬間があったかなかったか分かるかもしれへんですねぇ。地学は最低でも百年とかを一回のサイクルで数えることが多いから、何を調べるんでも化石とかになってから、堆積層をほじくり返さなどもならんでしょう。ちょっと普通の歴史がうらやましいですねぇ」
「百年ですか……」
「草一本、生えてない荒れ地が常緑広葉樹林になるまでには、だいたいで三百年かかりますねぇ。人為的な影響が全くない状態やったらの話で、例えば畑にするとか工事するとか、あと大雨とか嵐とかがあったら、その分だけ森になるのんが遅れますけどねぇ。地震も最短で百年サイクルとか言うくらいで」
「それもまた、ロマンティックだと思えなくもない……ですか」
「ロマンねぇ……そんなエエもんちゃいますけどね」
と、呟いた山田は不意に何か思い出したのか、ホワイトデーフェアで賑わうデパートの地下食品売り場で手に入れた紙袋を手で探り出した。その仕草に山瀬もすっかり失念していた小さな包みを、手荷物から取り出す。
「これ……」
重なった、トーンの異なる声と共に、皿や小鉢の並ぶテーブルの上に白い包みが二個、並ぶ。山瀬が置いたのは青いリボンがかけられていて、山田のには淡いピンクの小さな花が、リボンの代役を果たしている。
「気が合いますね、山田先生」
「や、ホンマに」
照れ隠しに笑いながら、二人はプレゼントを贈り合う。
「まぁ、こういうのは盆暮れの決まり事みたいなモンで……」
「本当ですね。僕の方も、バレンタインのお返しというわけでもないですけど、まぁ、いいですよね」
「お互い、今年度もお世話になりましたということで。時期もキリがエエし」
「ああ、そう言えば……」
あと一週間もすれば終業式だったと、山瀬が笑う。
「来年も何事もなく、過ごせたらエエんですけどねぇ」
「大丈夫でしょう、多分」
「楽天的ですねぇ、山瀬センセーは」
暢気そうな笑顔を浮かべる山田の言葉に、山瀬は笑顔を返す。しかし心の中ではこっそりと、それは一体誰のせいだと呟くのだった。
何となく、大の男がバレンタインのチョコを買うのは抵抗があるのではないかと、
けどもホワイトデーやったら義理のお返しのついでに
本気の分も買えんこともないやろかと思うんですが。
そして今回も、タイトルが……(遠い目)。HOME オリジナル創作 彼らの隠れ家